梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之名古屋日記・2

2008年03月31日 | 芝居
どうやらネットにつながらないのは私のパソコンや設定の仕方が問題なのではないようで、同じ物件に住んでいる同期のパソコンも同様の事態だそうで、マンション一括管理の回線になんらかの支障がおきているようです。
そんなわけで当分『梅之名古屋日記』は近所のネットカフェからお送りすることとなりそうです。

名古屋御園座<陽春歌舞伎>公演は、明日いよいよ初日を迎えますが、そんなこんなでお稽古の様子をお伝えできませんでしたので、駆け足の文章になってしまうかもしれませんが、以下に3日間の名古屋でのお稽古風景を記しておきたいと思います。


《3月29日》

午後1時からの<顔寄せ>に間に合うように名古屋入り。公文協の西コースや中央コースでは何度か来ていましたが、御園座の本興行に出演するのは実は5年ぶり。平成15年10月の、加賀屋(魁春)さんの御襲名興行以来なのでした。
御園座さんはこの前からちっとも変わっていませんでした。地下の食堂街も、2,3変わった店舗がありましたが、ちょくちょく昼ごはんを食べにきていた<淡水飯店>をはじめ、なじみのお店はそろって健在で嬉しかったです。
このさらに下の階にある<エメラルドホール>という多目的室が、稽古場として使用されます。なかなか広々とした部屋で、その場に出番のない役者も大勢控えることができます。

さて『源太勘当』『与話情浮名横櫛』『鬼平犯科帳 大川の隠居』の2回目の<附立>、『閻魔と政頼』の<総ざらい。>
『源太勘当』の腰元は、あまり細かい演技をしてはいけない時代物の演技とはいえ、百人一首に打ち興じる女たちの楽しさを出すための<思い入れ>はきちんとするようにと、同役の先輩からご指導をいただきました。捨て台詞(台本にない言葉)を言うとか、表情を変えるとかいうのではなく、隣の人とうなづき合うとか、離れている人の様子を見るとかいう、色々な気持ちを込めた<仕草>で雰囲気をつくるということです。私どものような若輩が勤めると、ともすれば無感情無表情のようになってしまいがちな<居並び>の腰元も、先輩方は分をわきまえた上でゆきとどいた演技をしていらっしゃる。そんなことが改めてわかりました。

その点、『与話情浮名横櫛』の「見染め」の貝拾いの女の演技は、世話物の通り流しでございますから、好きに台詞をいい、仲間同士で考えた芝居で場をつなぎます。このたびは花道で与三郎、鳶頭の2人とすれ違う娘ですので、どんなふうに芝居しながら引っ込もうか、あれこれ考えたり。こういうのはなかなか楽しい作業です。


《3月30日》

『閻魔と政頼』の<初日通り舞台稽古>に『源太勘当』『与話情浮名横櫛』『鬼平犯科帳』の<総ざらい>。
『閻魔と政頼』での裃後見は当然ながら初役でして、師匠もお出になっていない芝居に後見をさせて頂くことは有り難くもありまた緊張もいたします。
なにしろ、曲がりなりにも10年師匠と一緒に舞台を勤めておりましたら、師匠のイキと申しましょうか、合引に座る間(ま)ですとか小道具の受け渡しの仕方などが、なんとなくでも感覚的にわかってくるものですけれど、今回は高嶋屋(左團次)さん加賀屋(松江)さん萬屋(種太郎)さんといった方々のご用事をいたしますから、皆様に対しまして、どのように仕事をすれば支障なくゆくのか、それが大変難しいのです。
もっと経験をつんでいれば「ドンと来い!」なのでしょうが、師匠の後見だってまだまだ初心者マークなのですからね…。ともかくも舞台稽古は無事勤めることができましたが、後見の舞台上での動線、きっかけのとり方には、もう少し改善が必要でしょう。まだ2演目という出来立てホヤホヤの作品ですが、曲はだいたい覚えましたから、本番の舞台上での試行には問題はないでしょう。
1昨年歌舞伎座の『藤戸』に続き、播磨屋(吉右衛門)さんのお家の裃を着ることができましたのも、ご縁でしょうか。今回は後見も化粧をいたしますので、さらに品よく綺麗に仕事をしたいものです。

《3月31日》

『源太勘当』『与話情浮名横櫛』『鬼平犯科帳』の<初日通り舞台稽古>。
3回化粧をして2回お風呂に入った1日。ちょいとバタバタいたしました。
『源太勘当』の腰元は、仕事はほとんどないのですけれど、幕開きの一くさりの台詞で、このお芝居の雰囲気や位取りが決まると思うと、一言の台詞やちょっとした物腰にも油断はできません。先月先々月の仲居とは違って、ピシッとしたところがございませんとね。久しぶりの<鴇色の腰元>の扮装ですが、こういうものが自然に身に添うようになるまではまだまだ時間がかかりそうです。とにかく品よく…。

『浮名横櫛』の「見染め」衣装と鬘にあわせて、とりあえず若めの化粧をしてみましたが、不安だったので名題の女形さんの楽屋にお邪魔して具合を見ていただきました。「もう少し綺麗にしたほうがいいのでは」とおっしゃって下さいまして、居合わせた床山さんにも、鬘の飾りもののことで、「こうしたら、より“らしくなる”」アドバイスをしてくださり、本当に助かりました。
芝居のほうは、道具変わりと皆々の登退場がちょっとずれたようで、舞台で(?)となってしまいました。稽古後あらためて確認しましたから大丈夫だとは思いますが。

『鬼平犯科帳』は、素のお稽古でもたっぷり時間をかけてお稽古をしてまいりました。歌舞伎として上演するのは2回目、さらに今回は台本を膨らませており、装置も変わったとのことで、下座音楽、演技演出など、あらためて作り上げるという趣でした。
舞台稽古におきましても、各場ごとの居所あわせはもちろん、進行を止めての手直し、小返しも随所でございました。私の勤める長谷川家の女中は、酒宴のお膳を同役と二人で片付けるしごとがあるのですが、稽古場での当初の段取りが大幅に変更。褥(しとね)の居所を変えたり煙草盆をしまったりする用事も追加。これらの変更は、すべて平蔵役の播磨屋(吉右衛門)さんが、今日作られた舞台面を見て、ご自身の演技をご考慮された上で、我々の段取りを丁寧にご指示くださいました。おかげさまで、これまで滞りそうだった舞台での用事が、とてもスムーズになりまして、本当に有り難いことでした。

             ☆

いよいよ明日からはじまる御園座<陽春大歌舞伎>。単身ではございますが、いや単身なればこその、昼夜4役。体調に気をつけながら頑張ってまいりますので、なにとぞご来場たまわりますようお願い申し上げます。

梅之名古屋日記・1

2008年03月29日 | 芝居
朝九時四十七分東京発の〈のぞみ〉で名古屋入りいたしました。
午後一時から八時までたっぷりのお稽古の様子など、お伝えしたいことはたくさんあるのですが、先程よりインターネット接続に苦戦しておりまして、まだパソコンでホームページを開けていません…。
LANケーブルを差すだけじゃないの!? 最近のネット環境って…。
しばらくダメかもしれません(がっかり)。
そんなわけで今日はこのへんで。とりあえず、今回のウィークリーマンションがとても広くて快適なことをご報告いたします。

名古屋へ行く前の日は…

2008年03月28日 | 芝居
銀座にございます東劇ビル内の稽古場で、名古屋御園座<陽春大歌舞伎>のお稽古が始まりました。
『与話情浮名横櫛』「見染め」の貝拾いの女は2度目ですが、『源太勘当』の腰元、『鬼平犯科帳 大川の隠居』の長谷川家の女中は初めてです。また1昨年初演の『閻魔と政頼』にも、後見として携わらせていただきます。

『源太勘当』は、名題の先輩方とご一緒ですので、万事教われるのが心強いです。久しぶりに時代物の芝居に出るのですが、最近新造とか仲居とか世話ばかりでしたので、どうもスイッチの切り替えがうまくいかず、なんとなく違和感が残りました。新参者の悲しいところです…。

「見染め」では、貝拾いの男女の出入りにいろいろ手順があって、幕開きからいる人、あとから出る人、あとから出るにも上手からか下手からかというふうに、変化をつけておりますが、貝拾い出演者の誰がどう出るかは、舞台監督的な職分である狂言作者さんが割り振りをしてくださいまして、進行表を書いてくださいます。
私は先輩と2人で、与三郎とすれ違いながら花道を引っ込むパートになりました。
与三郎を見ての芝居もできるちょっとうれしいお役です。

『鬼平犯科帳』は、齋藤雅文さんの演出です。歌舞伎としてみせるために、下座や大道具の使い方など、いろいろ工夫が凝らされているようですが、それ以上に、それぞれの人物をしっかり描くための細かく丁寧な演技演出を、じっくり時間をかけて作っておいででした。
私は後輩と2人で、酒宴の後片付けにくるお役で、お膳やらなにやら、引き下げる仕事がございます。テキパキこなさなくてはなりませんが、正直何も無い稽古場では段取りは組めません。舞台稽古での具合を待たなくてはならないのは不安です。

           ☆

お稽古を終えましてからは国立劇場小劇場に直行。舞踊家坂東三津緒師の<三津緒の会>の本番です。
三津緒師と師匠が共演する義太夫の『珠取海士』で、後見を勤めさせていただきました。師匠を葛桶に座らせるだけという、ごくごく仕事の少ない後見でしたが、それでも本番1回勝負は緊張いたしました。座っている師匠の陰になっていたので、三津緒師の踊りを間近で拝見することもできました。
海士ということで、藤色に銀の海松(みる)模様の縫の小袿、薄紅色のぼかしに千鳥の着付、白地に銀の波模様の襦袢というこしらえですが、これは6世歌右衛門の大旦那がかつての上演におきまして仕立てた意匠なのだそうです。品がよくて、お芝居らしくて、なにより舞台映えが立派で、とても美しゅうございました。

それにしても小劇場の舞台は照明が近いから暑いですね!
終演後は三津緒師の後見をされた先輩と、わざわざ観に来てくれた後輩とで、四谷の洋食屋さんでご飯を食べ、終電を逃してしまうまで芝居話し…。

なんとも濃い一日ではございました!

いいお休みでした。

2008年03月27日 | 芝居
今日は一日お休み。
昼過ぎから友人と浅草をブラブラ。5~7分咲きの墨田堤の桜を見ながら川上へ、<言問団子>を食べ<長命寺桜餅>はお土産に。仲見世や六区のお店を素見して、最後は<駒形どぜう>。
話しも弾んで楽しい道中でした。

                   ☆

3月歌舞伎座興行のことでひとことご報告を。
『女伊達』の所作立ての成果に対しまして、立師・尾上菊十郎さん、ならびに<若い者>出演の名題下の皆さんに対しまして、《歌舞伎座賞》が贈られました! 『女伊達』終演後の3階大部屋にて、歌舞伎座支配人より賞の授与。仲間たちからの盛んな拍手の中、菊十郎さんに手渡されました。
音羽屋(菊五郎)さんの『女伊達』は、ここ数年におきましては、上演の度ごとに立廻り部分の演出が変わっています。手順はもとより、使う得物やカラミの扮装、下座音楽の使い方まで。常に新鮮で面白い、華やかでカッコいい立廻りがお客様お目見えしているわけですが、立廻りを作る側、演じる側の絶大な協力関係、チームワークの素晴らしさには頭が下がります。
関係者の皆様に、私よりも心よりお祝いを申し上げます。


実はドキドキのひと月

2008年03月26日 | 芝居
本日歌舞伎座3月興行千穐楽。
昼の部だけの出演となった今月は、実にあっという間のひと月でございました。

師匠がお出になった『春の寿』の「萬歳」での裃後見、仕事が少ないだけ、控えている間の気持ちのとりかたが難しゅうございました。無関係にならず、といって過干渉にもならずという、師匠との<間>の取り方。ただそこにいるということの難しさに、今更ながら気がつかされる、そんな10数分の舞台でした。
『廓文章』におきましては、成駒屋(福助)さん演じる夕霧太夫の<病鉢巻>をはずして打掛をかけるという仲居。この<病鉢巻>に大いに悩まされました。
昨日ご紹介いたしました<合引>が、この鉢巻にもつけられておりまして、紫縮緬の鉢巻は、鬘の髱(たぼ)の下で<合引>によって結ばれており、舞台上で私がこれをほどくことで鉢巻がとれるという仕組みです。鬘をかけてから鉢巻の合引を結ぶのは床山さんの担当、ほどくのは私というわけで、自分が結ぶものではない、人様が結んだモノをほどくというのは実は大変なプレッシャーなのでした。
結び方はただの蝶結びではございますが、舞台で演技をなさるうちに、紐の端がどこにいってしまうかは全く想像がつきません。<神のみぞ知る>結末を知るのは、いざ私が舞台で成駒屋さんの背後に回ったときが初めてなのです。
といって、まさか知恵の輪みたいにこんがらかることはまずありませんが、今回このお役をさせて頂くにあたりまして、先輩から「必ずハサミを懐中しておくように」とのご助言を頂きました。もしも紐がからまったときには、ハサミで合引を切って対処するように、とのことだったのです。
当然歌舞伎の舞台ですから、和鋏を用意いたしまして、懐紙と一緒に帯に挟んでおきましたが、正直いってこのハサミを使うことはまずないだろうと思っていたのですが…。
25日間の公演のうち1日だけ、このハサミに救われました。合引の端を探り、ほどこうとしましたら、どういう拍子かからまりあってしまい、どうにも結び目を解くことができなくなってしまいました。(これはもう無理だ!)と判断いたしまして、ハサミを取り出し合引を断ち切り、いつもよりかは鉢巻を外すのに時間がかかってしまいましたが、芝居の進行にはそれほど支障をきたすこともなく事なきを得ました。
もしハサミを持っていなかったら、夕霧をお勤めの成駒屋さんにどれだけのご迷惑をかけていたことか! 先輩のお教えに、まさに救われた思いでした。

つくづく、どんなお役でも、経験なさった方に話しを伺っておくということが大切なのだということを思い知らされ、<万が一>に備えて、あくまでその役らしく対処するという心遣いの必要さを痛感したのでございました。

自らのアクシデントをネタにしているようではございますが、楽屋生活のおりにふれて諸先輩方からうかがう、<私の失敗談>的なお話を聞くにつけましても、(もしこんな事態になったら…)というシュミレーションは、まして師匠の後見、黒衣を勤める私どものような立場の者にとりましては、絶対必要なものだという思いを強くいたしました。

千穐楽の今日は、無事に鉢巻きもほどけ、後味よく弥生の仕事納めができました。先ほどまで先輩方と銀座でお食事、明日はお休みを頂きまして、名古屋公演の準備をいたします。
さあ、いよいよ<梅之名古屋日記>のはじまりです。気がつけば丸三年となった当ブログに、少しでも変化をもたらしてくれますでしょうか…。

あいびきの話し

2008年03月25日 | 芝居
舞台上で役者が腰掛ける黒塗りの台のことをいう<合引>につきましては、ずいぶん昔にご紹介いたしましたが、<合引>は、実は衣裳、床山用語でもあります。
衣裳におきましては、主に立役の扮装で着用する襦袢の襟を、キッチリ合わせて着崩れを防ぐために、下前の表側と上前の裏側に、紐をそれぞれとりつけ、これを結び合わせることで襟が離れないようにするという仕組み。襦袢の襟にかぎらず、同じような仕組みで、離れたりズレたりしては困るような箇所を固定することもあります。

床山では、左右の鬢(びん)の内側にとりつけた紐を、鬘をかぶったあとで、うなじの部分で床山さんに結んでもらい、この締め付けにより鬘をより頭に密着させるというものです。

どちらの<合引>も、結んだあとは上手にしまわれているのでお客様の目には見えません。また万が一紐がはみ出してしまってもよいように、衣裳の合引なら衣裳と同じ色に、床山の合引なら、毛と同じ色になっています。
いちいち糸針で留める手間を省いたり、激しい演技にも耐えうるようにする知恵のひとつなんですが、これがどうして<合引>というのか? こんな俗説がございます。

曰く、「見えないところで結ばれ合ってる」から…。

<合引>とは、実は<逢い引き>だというのです。
面白い説だとは思うのですが、確証はございません。
あくまで俗説ですので、念のため。

いい体験でした!

2008年03月24日 | 芝居
日頃から親しくお付き合いさせていただいております、『劇団偉人舞台』の鹿島良太さんによります、<鹿島亭プロデュース その壱>公演『BANK BANG(!)LESSON』のお稽古場にお邪魔させていただきました。

これまで、鹿島さんご自身のみでの一人芝居や落語、手話歌などがメインだった<鹿島亭>が、初めての複数人数によるお芝居上演。しかも、ひとつの戯曲を10人の俳優が日替わりで7通りの配役で見せるというのですからスゴい企画です。
出演の皆さん、お忙しい中での稽古ということで、全てのキャストが揃うという日もなかなかとれないそうなのですが、今日拝見したお稽古、私には実に実に濃い熱いものと見えました。

歌舞伎興行のお稽古では、稽古場に行く前までが勉強といわれるくらいですから、古典演目におきましては、<附立><総ざらい>では、個々の役柄の掘り下げ、感情表現の是非とか演技演出の変更、ダメ出しなどはほとんどないわけです。
ところが今日私が目にしたお稽古は、登場人物の居所や動きの段取りといったことが、この芝居におけるキャラクター表現としてふさわしいのかそうでないのか、そういうところからまず吟味をしてゆく。納得のいくかたちになるまでの小返しは当たり前といったもので、セリフのトーンや動作の軽重という、私どもに取りましては<ごくごく>細かいところまで、その場で修正してゆく。そういう作業が実に新鮮にうつりました。

おそらく歌舞伎の演出も、このような緻密な作業が先人の名優方によって行われてきたからこそ成立したのでしょうが、<今、芝居が作られる>という現場に携わることが少ない私にとりましては、改めて、役に向かい合う姿勢や、指導者の言葉を聞く態度、謙虚に舞台作りに参加する心構えを教えていただいたように思えてなりません。
本当に刺激的な一夜を過ごすことができ、有難い気持ちでいっぱいです。

鹿島亭プロデュース その壱
BANK BANG(!) LESSON


は、新宿はSPACE雑遊にて、2008年4月22(火)~27(日)まで。
詳細は鹿島亭ブログを御覧下さい。

馬2態

2008年03月22日 | 芝居
『一谷嫩軍記 陣門・組打』では、黒白2頭の馬が大活躍。
ご承知の通り歌舞伎の馬は、私ども名題下の役者が勤めるものですが、誰でもできるというものではなく、上に役者を乗せたうえで、駆ける・跳ねる・回るなどといった種々の動作を安全に勤めなくてはならず、体格や身長、足腰の丈夫さなど、色々な点を満たした方が担当する、とても特殊な仕事だと申せましょう。

ことにこの「陣門・組打」は重い鎧を着た役者を乗せ、長時間の演技を見せなくてはなりません。今月お勤めになっていらっしゃる計4人の馬役の先輩方が、お勤めを終えられ楽屋に引っ込んできたときの、汗びっしょりのお姿を拝見いたしましても、私などには想像もつかない大変なご苦労が偲ばれまして、頭が下がる思いです。

さて、そんな大変な<技術>を要する馬も出てくるかと思えば、なんとも幼稚で古風な仕組みの馬も出てくるのが歌舞伎の面白いところで、同じ「陣門・組打」の中盤、子役による<遠見の熊谷、敦盛>の海上の立廻り場面では、<ホニホロ>といわれる馬が使われます。
<ホニホロ>の馬には足は無く、胴体しか作られておりません。そして胴の中央部、ちょうど鞍が置かれる部分には穴が開いており、ここに拵えをした子役さんが体を入れて紐で固定する。子役さんは自分の足で歩くだけで馬に乗っているように見えるというわけです。海上の立廻りということで、浪を描いた<並べ(横に長い書き割り)>が前にあるので、馬の胴から下は隠れてみえません。そのため馬の足がなくても、また子役さんの足がニョッキリ出ていても大丈夫なのですね。
よく考えられているなァと思うのは、鐙にのせるべき本人の足もないわけなのですが、着ている鎧とか、背中につけた母衣(ほろ)などのおかげで、それほどおかしく見えないんですよね。



<ホニホロ>とは何とも不思議なネーミングですが、これはなんでも、江戸時代に町々を流していた商売人に、武者姿や唐人姿で、紙張り子でできたこの仕組みの馬を身につけ、「そりゃ上がるわ上がるわ ホニホロホニホロ」という囃子声と面白い動きで子供客を楽しませた<ホニホロ飴売り>というのがいたそうで、これを歌舞伎が取り入れたものなんだそうですよ。

しかし、なんでまた「ホニホロホニホロ」なんて言ってたんでしょ。
マァ現代でも「オッパッピー」の意味なんてわかりませんからね。なにかのノリで言ってたのかな。

最後に<ホニホロ>と人が入る方の馬の、表情の違いを…。

(左・ホニホロ/右・人が入る馬)

月末の催し

2008年03月21日 | 芝居
今月末の28日に国立劇場小劇場で開催される、舞踊家坂東三津緒師の会<三津緒の会>におきまして、師匠梅玉が『珠取海士』の<房前の大臣>役でご出演なさいます。
本日は国立劇所の大稽古場での<下ざらい>で、私も後見をさせて頂きますので、師匠とともにお稽古に伺いました。

『珠取海士』は歌舞伎興行ではまずお目にかからない演目です。
舞台は讃岐の国志度の浦。藤原淡海の息子、房前の大臣がこの地を訪れるところから始まります。
房前は早くに亡くした母のことを何も知りません。ようやく、讃岐の国志度の浦に住む女だったことを知り、昔を知るよすがを求めてやってきたのです。
水面に映る月影も美しい志度の浦辺で出会った一人の海士(女)との語らいの中から、房前の大臣はかつてこの地でおこった世にも珍しい出来事を知ります。…唐から我が朝へ贈られた宝珠が、ここ讃岐の国志度の浦で竜宮の眷属に奪われたため、藤原淡海公がこの地へ下り、身をやつして玉の在り処を求めるうち、土地の海士と馴れ親しみ一子をもうけた。淡海は、もし宝珠を取り戻すことができたらお前の産んだ子供を我が一族の世継ぎにしてやろうと約束。子の行く末の栄華を願い、母は命をかけて竜宮へ…。

竜宮から珠を取り戻すための、海士の壮絶な行動の有様、そして房前の大臣に物語る海女の正体とは…。

『珠取海士』は地唄のものが有名ですが、今回上演なさいますのは、六世藤間勘祖師の振付による義太夫地のもので、大変ドラマチックな曲調です。能の『海士』を下敷きにしておりますから、重厚さ、格調があるのはもちろんのこと、母(の霊)と息子の再会と別れのくだりは情愛たっぷり。<物語>性に富んだ一幕の舞踊劇でございます。大旦那、六世歌右衛門も舞踊会等でこの海士役をお勤めになられたそうでございます。

私の勤めます後見は仕事は多くないのですが、作品の雰囲気が重いものですから、きっちり綺麗にできたらと思います。舞台にいる時間は長いので(といっても師匠の真後ろに、ですが)、この機会に『珠取海士』という作品にどっぷり浸かり、よく勉強したいです。

この度の<三津緒の会>は、この『珠取海士』と、それに先立つ荻江節『鐘の岬』の2本だてです。三津緒師は、『鐘の岬』清姫と『珠取海士』の海士の2役を演じられます。

3月28日(金) 於・国立劇場小劇場 午後6時開演です。



決まりました

2008年03月20日 | 芝居
御園座四月興行での、私のお役が決まりました。
昼の部『ひらかな盛衰記 源太勘当』の<腰元>、『鬼平犯科帳 大川の隠居』の<長谷川家の女中>、夜の部『閻魔と政頼』の<裃後見>、『与話情浮名横櫛』「見染め」の<浜の女>の4本です。

さあ沢山沢山勉強させて頂くことになりました! 「見染め」以外はみな初めて勤めさせていただくお役です。ほぼ1日劇場で過ごすことになりそうですが、はてさてどんな毎日になりますでしょうか。
充実した<名古屋日記>(ブログを初めてからの3年間で、はじめてとなります)となるといいのですが。

◯に井の字の紋所

2008年03月18日 | 芝居
考えてみると『鈴ヶ森』という狂言はなんとも不思議&物騒なお芝居で、水も滴る美少年白井権八が、雲助どもをなぶり殺しにする様を次々と見せるのが眼目で、もちろん、男気あふれる幡随院長兵衛との出会い、肚の探り合いから邂逅までが実際の筋なのですが、権八による、下座にあわせての暗闇の中の大量殺人の有様は、歌舞伎の演出で処理しているからこそ見せ場になるというもので、リアルに考えたらとても正視できませんね。
顔が削げ落ちる、腕は斬られる足は断たれる、首が胴にめりこむわお尻の肉は剥がれるわ、彼の刀はいったん抜き放たれると、幾人もの血を吸わなければ元にはおさまらないのでしょうか。

残酷な場面を残酷に見せず、かえってユーモラスに仕立て上げられているのは、思い切って古風な仕掛けの数々と、雲助役者の大らかでいて味のある演技のおかげでしょう。かの大南北の作でございますが、初演当時から今のような演じられかただったのでしょうか?
私の初舞台の月(平成10年5月歌舞伎座)も、このお芝居がかかりまして、私はまだ本名の時分、黒衣を着てほぼ毎日舞台袖から<定後見>をさせて頂きました。そんなこともあり、私にとりましてはとても印象深い演目のひとつでもございます。
白井権八というお役、今月のように女形の俳優さんがお勤めになることも多いお役。まだ<殺し(舞台上の、ですよ)>を体験したことのない私、ちょっと憧れのお役でございます。

スーツケースを買い替えようと思っています

2008年03月17日 | 芝居
4月は名古屋御園座に出演するのが決まったことは先日お伝えいたしましたが、今年は東京を離れての公演が多い年になりそうです。
師匠の今後のご予定が、すでに発表になっておりますだけでも、6月博多座、7月公文協中央コース、9月公文協西コースと、3ヶ月の地方公演が決まっています。
博多座の狂言立てはまだ決定されておりませんが、7月の中央コースでは師匠は『神田祭』の鳶頭、9月西コースでは『勧進帳』の富樫左衛門をお勤めになります。

旅公演には旅公演ならではの楽しみもございますけれど、今度の6、7月のようにふた月続けてとなりますと、さすがに疲れも出てくるかもしれません。9月は9月で、勉強会で燃え尽きた後ですし…。
なるべく食生活を不規則にせず、遊びもほどほどにして(これが一番難しい?)、病気をせぬよう体調管理に気をつけて乗り切りたいものでございます。

このブログも、<梅之旅日記>ばかりになると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

みんな申年

2008年03月15日 | 芝居
最近ニュース等でお名前があがった広末涼子さんとは、実は生年月日が全く一緒でございまして、ともに昭和55年7月18日生まれの蟹座、二黒土星人なのでございます。

思い立って<昭和55年生まれの有名人>を調べてみますと、へえ~この方も、というお人ばかりでしたので、ちょっとご紹介しましょう(誕生日順)。

玉木宏さん     (1月14日生まれ)
井上和香さん    (5月13日生まれ)
優香さん      (6月27日生まれ)
松坂大輔さん    (9月13日生まれ)
岡田准一さん<V6> (11月18日生まれ)
小池栄子さん    (11月20日生まれ)
大野智さん<嵐>  (11月26日生まれ)
妻夫木聡さん    (12月13日生まれ)

玉木宏さん以外は、みんな27歳ですよ~。
当然私も27歳です(よく30代に見られますが)。
皆様のご活躍を励みに頑張ろう!

ちなみに歌舞伎界では

片岡松之君
上村純弥君
坂東彌風君

が同年です(みんな後輩ですけれど)。


…だからどうしたの、というような今日のご報告(?)でした。


お知らせです

2008年03月15日 | 芝居
日頃から大変お世話になっております美吉屋(上村吉弥)さんの会『みよし会』の第4回公演が開催されますので、ご案内申し上げます。

松竹新喜劇の名作『銀のかんざし』で第1回の幕を開けたこの公演は、これまでに『後の梅川』や『どんどろ』といった珍しい作品をとりあげていらっしゃいますが、先代の上村吉弥さん(5代目)の17回忌にもあたる本年の公演も、『伊達競阿国戯場』から「身売りの累」、そして舞踊『応挙の幽霊』という、本興行でもなかなかお目にかからない演目が並びました。

片岡 我當 監修 

    桜田治助  作 
   水口 一夫 補綴・演出

1・伊達競阿国戯場 一幕二場
    身売りの累
            前田 剛  美術


与右衛門女房 累/御守殿 照葉     上村 吉弥
花扇屋亭主 才兵衛           片岡 佑次郎
若党 丹助               片岡 當吉郎
細川家息女 歌形姫           片岡 りき彌
曲がり金の金五郎            片岡 松次郎
手習いの師匠 治助/島田重三郎     片岡 千次郎
寺子 定吉               和田 祥太朗
娘 お孫                上村 純弥
村の歩き                片岡 比奈三
判人 源六               片岡 當十郎
与右衛門実は絹川谷蔵          坂東 薪車




    鶯亭 金升  原案
   鶴賀 㐂代寿 作詞・作曲


2・応挙の幽霊
    藤間 勘十郎  振付
      前田 剛    美術



応挙の幽霊 お仙            上村 吉弥
丁稚 祥太               和田 祥太朗
道具屋 甚三              片岡 松之助
若旦那 松五郎             坂東 薪車
 

(演目・配役紹介におきましては、敬称を略させて頂きました)

『身売りの累』は、様々ある「累もの」の作品の中でも、時代味に富んだ古風な味わいで、夫への愛、献身が、ふとしたきっかけで嫉妬と恨みに変わってゆく様が見どころです。<土橋の場>の殺しの凄みと涼味は初夏の大阪にはぴったりでございましょう。
『応挙の幽霊』は同名の落語が元になっておりまして、それが新内曲として再構成、さらに先年なくなられた紀伊国屋(宗十郎)さんが、ご生前ご自身の会で歌舞伎舞踊として舞台にかけたのがはじめです。理屈抜きで楽しんで頂ける、お芝居っ気タップリの舞踊劇です。


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上方歌舞伎の皆様が集まりましての第4回公演、お一人でも多くの皆様のご来場を、私よりもひとえにお願い申し上げます。