梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

巡業日記番外・郡山で暇つぶしと与三郎の「傷」

2005年07月13日 | 芝居
今日は須賀川市の『須賀川市文化センター・大ホール』での、六時からの一回公演です。午後三時半の出発なので、半日フリーとなりました。
朝九時半に朝食を済ませてから、郡山駅周辺の神社とお寺めぐりにでかけました。駅の観光案内所でマップをもらい、行ってみたい所をだいたい決めましたが、どうせ見知らぬ土地なので、足の向くまま気の向くまま、道に迷うもまた楽し、という感じです。
訪れた順に挙げますと、
「愛宕神社」
「田中稲荷」
「阿邪訶根(あさかね)神社」
「赤木神社」
「神明宮神社」
「大慈寺」
「安積国造神社」
となりますが、小屋のような質素なお社から、土地の産土神としての立派な神殿造りまで、規模も様々。なかには何の神様をお祀りしているのかわからないところもありました。なかでは「阿邪訶根神社」は境内も広く、<石造曼陀羅供養塔><石造浮彫阿弥陀三尊塔婆>といった県、市の文化財も見ることができました。
また「大慈寺」は曹洞宗のお寺でしたが、地図に<蝉塚>があるとの表記がございまして、これはなんなのだろうと興味津々で参詣いたしましたが、実際は、あの松尾芭蕉の“しずけさや 岩にしみ入る 蝉の声”の句碑で、どういう御縁でこれが建ったのかはわかりませんでした。
行く先々でしっかりと巡業の無事を祈り、素敵な風景はカメラにおさめ、ウロウロキョロキョロのんびり歩きましたので、ホテルに帰ったのは正午を過ぎておりました。これで昨日の巨大海老フライが消化できましたでしょうか?

さて、本日の須賀川公演が終わりますと、いったん東京へ帰ります。最終に近い新幹線に乗りますので、今日中には、須賀川公演のお話はできないかと存じます。
そこで、今日は番外二回目といたしまして、『与話情浮名横櫛』で師匠梅玉が演じております与三郎が、「源氏店の場」で体中に描いております<傷>についてちょっとお話させて頂きます。
以前歌舞伎の化粧法についての話の中でもふれたと思いますが、歌舞伎の化粧品は、基本的に油溶性のものがほとんどです。もちろん水溶性のものも使用しますが、汗で流れ落ちたりせず、長時間の舞台にも耐えるのは、やはり油墨、油紅と呼ばれるものですね。
では与三郎の傷も、そういうもので描いているかと申しますと、実はそうではないのです。というのは、油溶性のものは、肌に定着はしても、衣裳などと触れたり擦れたりすると、べったりと色移りしてしまうのです(口紅と一緒ですね)。傷は体中に描いているわけですから、衣裳はもとより、舞台に敷かれた<上敷(畳を表現するゴザ状のもの)>にもくっついてしまうでしょうし、第一、体に描いた傷そのものが、形が変わってしまって見苦しいものになってしまうでしょう。
といって水溶性のものでは汗で滲んでしまいます。そこで、油溶性ではなく、かつまた水溶性でもない顔料を、手作りで調整するのです。
あの傷の色、やや茶がかった赤を出す方法は、与三郎をなさる役者さん方によって相違もございましょうし、ある種「企業秘密」的なものでもございますので、これは皆様の御想像にお任せいたしますが、ともかくも、出来上がった色に混ぜることで、汗にも滲みにくく、かつ色移りしにくくなるモノが、<膠(にかわ)>なのでございます。熱を加えて溶かした膠を混ぜることで、ドロッとした絵の具状になります(日本画の岩絵の具も、膠を混ぜますね)。これで傷を描き、乾かすことで、膠が固まり、落ちにくくなるというわけです。
色の調合、そして膠をどれくらい混ぜるか、これはなかなか難しい作業のようです。舞台照明があたって、ちょうどいい色合いにすること、描きやすく、落ちにくい粘りを出すこと。これはひとえに、経験がものをいう世界です。
私達梅玉一門では、兄弟子がこの<傷作り>の担当です。私が入門する前からなさっていらっしゃるわけですから、私が申すのもおこがましいですが、ベテラン、ですね。会館に到着すると、まっ先に調合開始。膠が入るので固まりやすく、長期の保存、つまり作り置きができないのです。だいたい一回に三日分作るのが限度のようですね。

この他にも、師匠の舞台を支える、弟子の仕事(技術、ということもできますね)はいろいろございます。また別の機会に、お話いたしたいと思います。

それでは、ひと休みしてから、須賀川へ行ってまいります。