梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

怒濤の稽古 第四波

2006年03月31日 | 芝居
いよいよ明日に初日を控えての<初日通り舞台稽古>五連発。午前十一時より『時雨西行』『井伊大老』『関八州繋馬』『沓手鳥弧城落月』『伊勢音頭恋寝刃』という順番でした。
『時雨西行』では、師匠の着付けをお手伝いしましてから、次の『井伊大老』の、私の侍女役の化粧のために楽屋に戻らせて頂きました。兄弟子方に任せっぱなしにしてしまうのはなんとも申し訳ないのですが、舞台稽古はいつ何どき始まるかわからないもの。早めの用意をしておくのに、こしたことはないのです。…実は明日の初日からは、私の二つ目の出番『関八州繋馬』の軍兵と、この『井伊大老』の侍女の、出番と出番の間は三十分しかありません。『関八州~』の幕切れまで立役として舞台にいて、三十分後の『井伊大老』の幕開きには女形になって舞台にいなくてはならないのです。相当な<早ごしらえ>が求められるので、今日も何分で女形の化粧が仕上がるか、時間を計ってやってみましたら、八分で完成! これなら、軍兵の衣裳を脱いだり化粧を落とす時間や、侍女役の衣裳を着てカツラをかぶる時間を加えても、なんとか間に合いそうですが、その犠牲となった私の眉毛…。今朝全て剃り落してしまいました。
早くに化粧ができたおかげで、『時雨西行』は客席から拝見することができました。能の『江口』をモチーフにした、典雅で渋い味わいの長唄舞踊でございます。師匠は平成九年六月歌舞伎座で、すでに西行法師役をなすっていらっしゃいますが、今回は演出、装置、そして衣裳も大分変わっております。皆様には是非是非その目でお確かめ頂きたいものです。

『時雨西行』が終わって、次の『井伊大老』の舞台を作っている間に衣裳を着、かつらをかぶり、早めに舞台へ向かい、私たち侍女役の者たちが運んで並べる小道具の置き所、段取りを、井伊直弼役でいらっしゃる播磨屋(吉右衛門)さんやお静の方役の加賀屋(魁春)さんに伺ってからいざ本番。仕事はみんなテキパキできましたが、やっぱり難しいのは唄ですね。今日のダメ出しでは、二カ所ある唄の場面のうち、始めの方が調子が低い、ということ。ここは雛祭りに浮かれる陽気な気分を伝えなくてはならないので、高めの声で明るく唄わなくてはならないのですね。二つ目の方では、唄い出しはやや小さめに、だんだんとボリュームを大きくしてほしいということで、こちらは皆のイキを合わせるのが難しそうですが、明日から試行錯誤でやってみます! あとはいかに女形としての振る舞いをできるか。ウキウキした気分を出せるか、ですね。

さて昨日たっぷり稽古した『関八州繋馬』は、今日はノンストップで通しました。おかげで時間はほぼ本番通りになりましたが、各場でいろいろ改善点は残ったようです。私が出る第三場での立ち回りは、だいぶまとまりまして一安心ですね。私自身も失敗なく、落ち着いて勤めることができ、胸を撫で下ろしました。今回私はトンボを返ったりはいたしませんので、そのぶん形やイキに気をつけて参りたいと思っております。

『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦」。部屋子の梅丸もだいぶ慣れてきたようです。このお芝居のように、リアルな、速いテンポの立ち回り、まして刀を扱うものは、落ち着いて演じないと怪我や事故につながりかねませんので、慌てずに、余裕を持ってやってほしいと思います(今はまだ難しいかもしれませんが)。もちろん、こちらもどっしりかまえてからみます。…この場の立ち回りでは、<裸武者>の立ち回りが一番の見せ場になっております。さがり(褌)だけをつけた半裸の若武者石川銀八が、必死に敵と戦うものの、最後は空しく鉄砲に倒れる、というパートですが、今回は成駒屋(橋之助)さんのご長男、国生さんがお勤めです。長刀を得物に、奮迅の働きは迫力いっぱいです。

最後は『伊勢音頭恋寝刃』師匠がお勤めの料理人喜助についての裏の仕事に専念。長い出番はございませんし、後見が必要というわけでもないので、気は楽です。…そういえば、二年前の五月歌舞伎座では、師匠が主役の福岡貢でしたね。この時は成田屋(團十郎)さん病気休演による、公演途中からの出演でした。
このお芝居でも立ち回りがございます。貢が、妖刀青江下坂に惑わされるように、古市の遊郭油屋で次々と人を斬るー。下座唄に合わせて様式的に見せるこの立ち回りは、固定された演出はなく、貢役の役者によって、つまりは立師によって色々と違いがございます。共通しているのは、最後に血まみれ姿の二人の酔客を殺すこと。この二人を<血だるま>と呼んでおりますが、その通り体中に血糊をつけ、髪はザンバラ。かなりコワい格好です。今日のお稽古中、気がついたらすぐそばに<血だるま>役の方が立っていらして、ギョッとしました。

全体的にトントン進んだので、午後七時半過ぎには全ての稽古が終わり、ヤレ有り難やです。とはいえ明日からは毎日午前九時出勤、夜の部の予定終演時間が午後九時ですから、一日十二時間労働というわけで、覚悟をきめて取り組みます。一日劇場にいるので、面白いエピソードにも、多々出会えると思いますので、その都度ご報告いたします。

では、明日から始まる『六世中村歌右衛門五年祭 四月大歌舞伎』、皆様お誘い合わせの上、お出まし下さいますよう、心よりお願い申し上げます!

怒濤の稽古 第三波

2006年03月30日 | 芝居
ますます稽古は忙しくなってきました。まず十二時から『時雨西行』、引き続いて『井伊大老』の〈総ざらい〉。『井伊大老』では五人の侍女役に、仕事を手早く済ますようにダメ出しが。物の出し入れに時間を取られて、芝居の流れの腰を折らないよう皆で気をつけます。唄は昨日よりは慣れましたが、まったくのアカペラですから、出だしのキーを揃えるのが肝心。邦楽器用の調子笛を使ってみようか、などと話し合っています。
『関八州繋馬』は午後二時より〈舞台にて総ざらい〉。こちらが本日一番の長丁場でした! 復活狂言ということもあり、まず大道具の確認から行われましたが、いろいろと変更が続き幕が開くのがだいぶ遅れました。さらに第一場が終わってからは役者間の段取りの手直しや音楽面のダメ出し、二場の装置を飾ったところで、初舞台の五代目玉太郎坊っちゃんの居所合わせ。通した後はまたダメ出し…と、「確認と反省」という、こういう稽古には絶対必要な過程を経るうちに、必然的に時間は経過するのでした。
そして第三場。メインの立ち回りの段取り合わせが、やはり大変でした。同時進行の二つのタテが、うまくシンクロするために何度も繰り返しました。合わせてシンを皆で担ぎ上げたりる箇所があるので、その稽古もありましたが、私はここで語るも恥ずかしい失敗をしでかし大反省です。…立ち回りの他にも、やはりここでも装置の手直しをしてから通しましたので、結果一時間半の舞踊が三時間余もかかってしまいました。しかしこれは一つの芝居を完成させるためには絶対必要な時間だったわけでございます。明日の〈初日通り舞台稽古〉では、さらに練り上げられると思いますし、私も同じ過ちは繰り返さぬようじゅうじゅう気をつけます!
さてこの稽古でかいた冷や汗脂汗も乾かぬうちに、今度は稽古場で『沓手鳥弧城落月』の<総ざらい>。短い出番ですが、初舞台となる梅丸は、当然ながら立ち回りなど初体験なわけですから、こちらでしっかりリードしなくてはならず気を使います。もう少し、手慣れてくればよいのですが。明日の<舞台稽古>で頑張りましょう。
そして『伊勢音頭恋寝刃』の<総ざらい>を終えてから、ものの二十分ほどの、午後七時半過ぎに『狐と笛吹き』の<初日通り舞台稽古>。とはいえ主演者方は衣裳のみ。化粧をしない形式で行われました。全五場の新歌舞伎、照明や音響、効果が沢山使われているのでその段取り合わせが事前に行われるのは先ほどの通り。私も桜の<散り花>をさせて頂いておりますが、この他蛍が飛んだり枯れ葉が落ちたり。皆々照明機材を吊るす<簀の子>に登っての、上からの操作となります。
このお芝居で大変なのは師匠の衣裳替え。各場が春夏秋冬に分かれておりまして、その都度師匠の衣裳が変わります。短い舞台転換時間での扮装替えは、今回は上手の舞台袖に<拵え場>を作りました。三人の弟子と衣裳さん、床山さん(今日は衣裳のみでしたからいらっしゃいませんでしたが)での総力戦です。
五年前に一度経験している演目ですので、そうドタバタすることはございませんでしたが、やはり忙しいことには変わりありませんでした。今日でこそ、各場が終わる度にダメ出しのための時間がもたれたので、なんとなく余裕があったものの、これがノンストップの本番になりましたらどうなりますやら。…すべてが終わったのは午後十時すぎ。いや~、長い一日でした!

大海の磯もとどろに寄せる波に打ち負かされそうな稽古は明日がクライマックス。五演目の<初日通り舞台稽古>がございますが、その全てに関わっているのですから…(つるかめつるかめ)。

前後いたしますが、本日午前中、青山霊園に伺いまして、歌右衛門の大旦那のお墓参りをいたしてまいりました。おりしも晴天、参道沿いの桜並木はちょうど見頃と咲き誇り、うららかな景色に心が和みました。やっぱり春は桜、ですね。

怒濤の稽古 第二波

2006年03月29日 | 芝居
(昨日の分の日記を追加しました。二十八日の欄も是非チェックして下さいね!)

本日稽古二日目。以前お話ししました通り、師匠が五演目に、私が三演目に出演で、結局私が携わらないお芝居は、約三十分の舞踊『高尾』のみとなったので、今日は一日稽古場(歌舞伎座客席ロビー)にいっぱなしでした!
まず午前十一時半から『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦の場」の立ち回り稽古。この場は集団の立ち回りがメインでございます。今回この場で、師匠の<部屋子>となった梅丸が、部屋子披露ということで、小姓役で出演し、武者相手の立ち回りをお見せすることとなり、その相手の<武者>役を、兄弟子の梅二郎さんと共に勤めさせて頂きます。小姓に助けられる手負いの武士はやはり兄弟子の梅蔵さんなので、まさに一門のみの出番。チームワークで頑張りたいです。
その後は『狐と笛吹き』の<附立て>(と、稽古割りには書いてあるのですが、明日は<舞台稽古>なんですから、総ざらいではないのかな…?)があり、『井伊大老』の<附立て>。ここでは私は女形。井伊家の<侍女>役です。同じ役の四人とともに、モノを運んだり、お膳を出したりする仕事があるのですが、もう一つ大事な仕事が<唄>でございます。おりしもひな祭りの宵。酒機嫌になった侍女たちが、別室で唄い出したという場面がありまして、これは私たちが生唄で聞かせるのです。女形すらろくろくいたしませんのに、女方の声で唄う! 今日の稽古は恥ずかしかったなあ…。唄もさることながら、動きも振る舞いも、悪目立ちしないように気をつけます。
さらに『沓手鳥弧城落月』の<附立て>、先ほど覚えた立ち回りをもう一度。<別立>(違う場所で同時進行させる稽古)で行われた、師匠が踊る『時雨西行』には立ち会えず。
午後二時四十五分からの<顔寄せ>では、御襲名の六代目松江さん、初舞台の五代目玉太郎さん、そして名題昇進の梅蔵さん、歌松改め春花さん、部屋子となる梅丸のご披露がございました。
続いては『口上』の<舞台稽古>。後藤芳世画伯による舞台装置は本当に素敵でした。皆様お楽しみに!
今度は『関八州繋馬』の<総ざらい>。私が申し上げるのはおこがましいことですが、立ち回り部分はだいぶまとまってまいりました。あとは実際舞台でやってみて、ということでしょう。今日も長唄、鳴り物との合わせ方には念入りな打ち合わせがございました。
最後は『伊勢音頭恋寝刃』の<附立て>。師匠は料理人喜助です。稽古に立ち会いたかったのですが、楽屋に届く小道具のことや、裏の仕事の打ち合わせなどがあり、ほとんど見ることができませんでした。明日の<総ざらい>は、しっかり拝見いたしたいです。

いやはや、忙しくなることは覚悟しておりましたが、こうまで稽古場に居続けになるとは。芝居が始まるまでは、打ち合わせ、相談事も色々ありますし、先々のことを考えながら、今の稽古をこなしてゆくのは、興行によっては大変なときもあります。私にとりましては今月がまさしくソレですが、こういうときこそ、「一歩引いて」考えられるように。慌てず着実に、仕事をこなしてゆきたいですね。


怒濤の稽古 第一波

2006年03月28日 | 芝居
今日が四月大歌舞伎のお稽古初日でございましたが、『関八州繋馬』『狐と笛吹き』の<附立て>のみでした(後述しますが、午後六時より『六代目中村歌右衛門を偲ぶ会』がございましたので)。
『関八州繋馬』は、六代目歌右衛門の大旦那が、昭和四十五年六月歌舞伎座におきまして復活上演なさった演目でございます。近松門左衛門最後の浄瑠璃で、時代狂言の形だったものを、復活にあたり三場構成の舞踊劇に仕立て変えたのは、歌舞伎研究家、劇評家でいらっしゃった戸部銀作先生ですが、その戸部先生も本年一月に亡くなられてしまいました。先生を偲ぶ演目ともなったように思われます。
さて私は、第三場において立ち回りをする<軍兵>役でございます。およそ四十年ぶりの上演にあたりましては、戸部先生の台本に、さらに今井豊茂氏が補綴を加えられましたが、立ち回り部分も、新たに尾上菊十郎さんが立師として考案をなさいました。立ち回りの中心人物のことを<シン>と申しておりますが、この演目では松嶋屋(仁左衛門)さんがお勤めになる将軍太郎良門と、加賀屋(魁春)さんが演じる土蜘蛛の精の二人がシンとなりまして、それに音羽屋(菊五郎)さんがお勤めになる源頼信、その弟役で、今度御襲名の加賀屋(新松江)さんがお勤めになる源頼平、加えて坂田金時や渡辺綱、碓氷貞光、卜部季武の<四天王>、そして八人の軍兵がからむという、大変な大所帯。舞台の上手下手に「良門グループ」「土蜘蛛グループ」の二手に分かれ、同時進行で二つの立ち回りをお見せするというかたちになります。
稽古初日ということで、まず<附立て>が始まる前に、幹部俳優さんが演じるお役は、みな名題下から代役を立てての稽古から。すでに三月興行のうちから手順をお作りになっていらっしゃったので、私のように今日初めて参加する軍兵役の俳優もまごつかずに手順を覚えることができました。それから幹部俳優さんに手順をお移しして、いざ<附立て>開始です。
さあ立ち回りの場面になりますと、狭い稽古スペースにぎっしりの人。もともとの登場人物はもとより、これまで代わりに立った人が幹部さんについて手順を教えたりもいたしますので、大混雑になるのはいたしかたございません。もともと本番通りの寸法はとれないわけですから、まずは手順を通せればよいのです。さはさりながら、長唄の曲、お囃子の合方、そして二手に分かれた役者の動きがきちんと合うようにするのは、復活狂言だからということもあるのでしょうが、ちょっと難航いたしました。

続いては『狐と笛吹き』。これも歌右衛門の大旦那が、昭和二十七年七月歌舞伎座におきまして初演なさった演目で、北条秀司先生の作による新歌舞伎です。初演では三代目寿海さんがなすった楽人春方役を、師匠がお勤めになるのですが、今回が二度目となります。師匠の初役の時(平成十四年五月南座)には、私も働いておりましたので、よっく覚えている演目です。色々裏の仕事が多い演目なのですが、それは後日お話しさせて頂きますが、書かずにおれないことは、今回このお芝居で、兄弟子梅蔵さんが、春方の友人秋信役で、名題披露をなさることです!

さてお稽古後、午後六時からは東京會舘におきまして、『六代目中村歌右衛門を偲ぶ会』。大勢のお客様がお越し下さり、大変な賑わいでございました。会の中盤では大旦那の懐かしの写真のスライドや、映画になった『京鹿子娘道成寺』(撮影は私の実家、大船の松竹撮影所だったのですね!)のダイジェスト上映もございまして、私も見入ってしまいました。大旦那とは直接舞台でご一緒することがなかったのが、本当に悔やまれるのですが、沢山の写真や映像、そして多くの方々からのお話を聞くだけでも、感じること、勉強になることがいっぱいです。…今もこのこの稿を書くにあたり、演劇界臨時増刊号『女形 六世中村歌右衛門』を広げているのですが、このご本、小学生の時に買って以来、どれだけ読み返したことでしょう。
会がお開きとなり、お客様をお見送りいたしましてから、改めて我々もお食事。大好きなマロンシャンテリー(裏ごしした栗を覆うように生クリームが乗っているお菓子)も頂けて、幸せでした。

私にとっての“社会復帰”第一日目、なんとか無事に終わった感じです!

充実したお休みでした

2006年03月27日 | 芝居
今日でひと月の休暇が終わります。約二年ぶりのお休みは、様々な経験ができ、またプライベートでも新たなスタートを迎え、充実した毎日を送ることができました。
研修発表会での『修禅寺物語』、師匠の舞踊会での『かさね』と、全く舞台から離れたわけではなかったですが、丸々お芝居の世界から遠ざかってしまうと、翌月の劇場での生活で、<時差ボケ>にも似た感覚にとらわれることがままありますので(私だけかな)、かえって良かったのかもしれません。
後半は引っ越しのために大分バタバタしてしまい、疲れてしまいましたが、昨日であらかた部屋も片付きましたので、今日は一日のんびり過ごすことができました。それにしても、荷造りよりも荷開けの面倒臭さといったら…。まあ、今回でおそらく生涯最後の引っ越しなので、よしとしましょう。

明日から四月大歌舞伎のお稽古が始まります! 私が勤めさせて頂く三役、どのようになるでしょうか。一門にとりまして大事な興行の逐一は、随時この場を通じてお伝えしてまいります。
…今月は劇場におりませんでしたから、なかなか面白い記事が書けず、申し訳なく思っております。今後ともお見捨てなく、お付き合い下さいませ。

それでは、明日からの「稽古場だより」をお楽しみに!
写真は四月大歌舞伎の稽古割りです。

いい天気でしたね。

2006年03月25日 | 芝居
相変わらず段ボールと格闘しております。
新居は今までよりも歌舞伎座や国立劇場に近い場所なんですが、一番近いのは、大好きな浅草です。昼前に、浅草にあるお店に用事があったので、試しに自転車で行ってみましたら早い早い! ものの十分ほどで到着してしまいました。これからは、食事に飲みに買い物に、もちろんお笑いにも、ちょくちょく(というかしょっちゅう)訪れることになるでしょう。

昨晩は師匠のお稽古に同伴し藤間のご宗家へ伺いました。いつも半蔵門線の渋谷駅から徒歩で向かうのですが、東急本店の先、松濤よりのところに、『松濤温泉』なる施設ができているではありませんか。前々から工事中でしたから、雑居ビルでもできるんだろうと思っておりましたらこの有様。もう営業を開始しているようでしたが、これはいわゆるスパなのでしょうか? すでにいらっしゃった方がおいででしたら、リポートお待ちしております!

なかなか部屋が片付かないので、食事もろくに作れません。外食ばかりになってしまっておりますが、こういうときこそ、近所の美味しいお店、楽しい飲み屋を探すチャンスですね。
あと二日でお休みは終わりですが、どこまで部屋は綺麗になるでしょう…!?

段ボール箱と一緒に寝ました

2006年03月24日 | 芝居
昨日は引っ越しのため、一日中大わらわ。更新ができませんで失礼をいたしました。
業者の都合で、夕方からの作業となったので、昼過ぎまでは最終的な荷造りや掃除などができてよかったのですが、午後五時半からの積み込み、七時半からの新居での荷下ろしとなりますと、時間が時間ですので、新居ではたいした作業もできず、とりあえず食器だけを出し、寝場所を確保するだけで終わってしまいました。
今日は朝から頑張ろう! と決意して眠りについたのですが、疲れのせいか昼前までぐっすり。軽食をとってから近所のホームセンターで備品を買い込み、つい先ほどまで衣類の整理をしておりまして、今は小休止といったところです。
今日は午後八時から、藤間の御宗家の稽古場で、師匠の来月の演目のお稽古がございまして、それについて参りますが、あと少しは新居で頑張ります。

それでは、短文にて失礼いたします。

『かさね』本番です

2006年03月22日 | 芝居
本日、国立劇場小劇場で、坂東三津緒師匠の舞踊会での『かさね』。午後七時からの本番でしたが、午前中に、本番通りに大道具を飾った舞台で、居所合わせを兼ねてもう一度お稽古がございました。このときに、例の卒塔婆の仕掛けの確認とテストができたのは有り難かったです。以前やはり舞踊会で師匠がこの踊りに出た時は、ぶっつけ本番になってしまい、たいへん緊張した記憶がございましたので、流れ出る居所や、仕掛けの取り付け位置を念入りにチェックしました。小一時間で稽古がすんでからは、五時間近く空き時間ができるはずだったのですが、かつら会社の<東京演劇かつら>から私に電話が入り、至急来月のかつら合わせに来てほしいとのこと。すぐさま人形町の本社へお邪魔しました。…私、予想もしなかったのですが、夜の部の序幕『井伊大老』の侍女役で出演することになりました。このお芝居は昭和に入ってから書かれた<新歌舞伎>でございまして、かつらが常の古典歌舞伎で使うものとは若干ことなるのですが、このタイプのかつら、しかも女形のものをかぶった経験がないもので、新規にこしらえることになったというわけです。いずれこのかつらにつきましてもお話しさせて頂きますが、意外と短時間で形が決まりまして、一安心でした。私は、この侍女役の他に、昼の部『沓手鳥弧城落月』の関東方武士、『関八州繋馬』の郎党役で出演いたすこととなりました。師匠は昼夜で五本お出になっておりますが、私は三本。来月の狂言立ての中で、携わらないのは『高尾』だけとなりましたが、忙しいのは有り難いこと! いっぱい勉強させて頂きます。

さて、残りの空き時間は新居の方で過ごし、四時過ぎには劇場へ戻りました。五時半過ぎには師匠もお戻りに。六時に会は開演、第一番目の『保名』を、三津緒師匠が素踊りで踊られている間に、化粧、衣裳付けをすませました。
休憩中の舞台転換の時は、私は再度仕掛けの確認。いったん装置ごとバラしたわけですから、油断はなりません。お陰様で、本番でも無事に卒塔婆は流れてくれました!

写真だとちょっとわかりにくいのですが、卒塔婆が乗った台の、前っつらについている糸(ジャリ糸)が、いったん池の縁のところで折り返され、土手の裏にのびております(台の右横に這っているのが折り返しの方です。仮にAとしましょう)。そして一方で、台の左側についた糸は、池の縁の下手側のところで折り返され、斜めに土手の裏へと続いております(B)。
本番では卒塔婆は土橋の下奥、客席から見えないところまで下がっているわけですが、まずAの糸を引くと、卒塔婆が前方に出てくる。続いて与右衛門が刀のこじりで引き寄せる芝居に合わせてBの糸を引くと、卒塔婆は下手へ移動するということです。
卒塔婆の上には鎌が刺さった髑髏が乗っているわけですが、移動中に卒塔婆から転がってしまっては大変ですので、鎌の柄に小さな穴をあけ、台に作られた突起に嵌めてぐらつきを防ぎます。卒塔婆自体も同様に固定します。卒塔婆はあとでへし折りますので、折れやすいように軽く切れ目を入れてあります。

午後八時少し前に終演。師匠は半頃にはお帰りになり、我々は撤収を済ませて帰りました。

…さて、三年半住んだ部屋とも、今夜でお別れです。初めて本格的な一人暮らしをした部屋。思い出もいっぱいですが、モノもいっぱい増えました。衣類や本などは三分の一は処分しましたが、それでもまだまだ。まあ、新居に移ってからも整理は続けましょう。
明日は一日荷物と格闘です!

どうにかこうにか

2006年03月21日 | 芝居
稚魚の会の茶話会本番! 『粗忽の釘』、なんとか無事にやりおおせることができました。
だいぶ緊張してしまったのと、主人公の大工並みに気が立っていたので、早口になってしまい、お客様には聞き取りにくいところがあったのが残念ですが、ど忘れもなく(カンだところは多々ありましたが)一通り喋ることができてホッといたしました。お客様も温かく見守って下さり、ちゃんと笑いも頂けました。本当に、皆様のお力で勤められたようなものでございます! 有り難うございました。
最終的には五十余名の出席者、我々役者陣も二十八名の参加で、とても賑やかに会を執り行うことができました。次回は若手に出し物をしてもらって、私はのんびり拝見といきたいものですが、さあネがでしゃばりなものですから、いつまでも舞台に立っているかもしれませんね。
お客様のお帰りの後は、後片付けと掃除、会計などを済ませ、我々での打ち上げでした。任務完了の安堵感からか、だいぶお酒を頂いてしまい、フラフラしております。ですので今日はこの辺で。

ご来場頂いた皆様、本日は遅くまで、本当に有り難うございました!

自宅→新居→区役所→板橋→半蔵門→新居→自宅

2006年03月20日 | 芝居
本日無事に転入届を提出。新しい住民票も取得し印鑑登録も完了。ややこしい手続きはもうないでしょう。あとは肉体労働だけですね。
役所での用事が済んだ後は、板橋区立文化会館小ホールでの、「かさね」の下浚いです。本番は国立劇場の小劇場ですが、今日だけここの舞台を使ってのお稽古でした。<下浚い>は、歌舞伎のお稽古でいうところの<総ざらい>と<舞台稽古>が一緒になったようなものです。
舞台装置は飾りませんので、私が操作する、例の流れ寄る卒塔婆の仕掛けも取り付けられず、私が稽古着の格好のまま、手で動かして登場させました。ちょっと照れくさかったです。
今日舞台を拝見していて改めて思ったんですが、この「かさね」のタイトルロールである、腰元累。衣裳は鼠ぼかしに秋草、流水の縫い(刺繍)の振り袖着付をお端折りに着て、帯は<左矢の字>に締めますが、普通歌舞伎の舞台で矢の字結びの帯を付ける時は、いわゆる<作り帯>の状態、つまり、一本の帯はただ身体に巻きつけて後ろで縛り、その上にあらかじめ矢の字の形に作っておいたものを乗せてそれらしくみせる、ということをするのですが、こと累の場合は、着付けの時に、きちんと一本の帯から矢の字結びを結び上げるのですね。後半の与右衛門との立ち回りの中で、帯を解かれることになっておりますから、作り帯ではほどくことができないわけですね。
今日はたまたま坂東三津緒師匠の着付けを拝見させて頂くことができまして(着付け、そして後見は『先代萩』でお世話になりました中村歌江さんです)、衣裳さんがこの<矢の字結び>をするのを間近に見ることができました。体格にあった結びの幅になるように気をつけてらっしゃいましたが、例の結び目を解く時に、必要以上にほどけないように(よく時代劇のギャグで見る「あ~れ~」みたいなことになる)、コレが解けたら全部ほどける、という結び目には、見えないように紐で上から縛っておく、というような工夫があることを知りました。
他にも、やはり後半で、お端折を下ろしてお引きずりにするので、帯を解かずに裾を引けるように、腰紐の使い方や衣裳自体の端折り方にも、コツが沢山ありそうでしたが、これは一回見ただけではわかりませんでした。おりをみて、歌江さんに質問してみたいです。
どうも最近、八汐の着付けを勉強させてもらってから、女形のお役の衣裳にも、目が行くようになってしまって。立ち役のことも覚えることはまだまだあるのですけど…。
…そういえば、今日は約二十日ぶりに、師匠の舞台姿を拝見いたしました。

その後は国立劇場へ寄り、明日の茶話会の準備を少々。そうです、明日は『粗忽の釘』の本番です! この期に及んでまだセリフに苦労している有様で情けないです。やってみると、大工の亭主のイキが難しいんです。せっかちでおっちょこちょいなわけで、セリフもポンポンポンポン運びたいのですが、度が過ぎては聞き取りにくくなってしまうし、ゆっくり喋らなくてはいけない女房や隣の隠居までつられてテンポが速くなってしまうのです。役の切り替えとセリフのイキの切り替え。これができないとやってる本人も気が散ってしまっていけません。短く終わるようにしたのでセリフも減ってるんですから、いい加減台本を覚えきらなくては。明日昼過ぎまでは新居に閉じこもり、集中稽古です! まだまだ時間はある、ハズです…。

国立劇場から、新居に寄って再び作業をして、夕食もとってから今の自宅(書面上は住んでないはずの家)に帰りました。あちこち移動でちょっと疲れた一日でした。

私の本棚

2006年03月19日 | 芝居
今日は朝から晩まで、新居で引っ越しの準備でした(本番は二十三日)。
すでにいつでも荷物を運び入れることができる状態ですので、今日は新しく買った家具や備品を配達してもらったり、自宅から手持ちで細々としたものを持ち込みました。
本棚が新規になりまして、だいぶ大きくなりました。そこで、今まで実家に置いたままになっていた蔵書(というほどのものでもないのですが)も収めることにしましたので、実家から送ってもらいました。写真はその一部です。

皆様、お読みになった本は、全部とっておかれますか? それとも古いものや読み返さないものは処分してしまいますか? 私は長い間、全部捨てずにとっておいたんですけど、どんどんどんどん場所をとるので、ある時期から、お気に入りの作者のものや、趣味や調べものに必要なもの以外は売ってしまうことにいたしました。でもなんだかもったいない気もしております。今まで読んできた本が、漏らさず本棚にズラーッと並んでいる光景にも、あこがれていたもので…。一冊一冊に思い入れもありますし、急に必要になるかもしれないし、と考えると、まさに断腸の思いですが、最終的には整理整頓第一、余裕ある生活スペースを確保するため、まとめても数百円分の小銭に化けてしまうのでした。
今日改めて自分の本棚を眺めましたら、なんとも偏りの多い読み方をしてるな~、と思いました。まあ取捨選択した結果ですから、そういう傾向になってしまうのでしょうけど、特定の作家のもの(漫画も同様)、趣味の民俗学、怪奇現象・妖怪・伝説など半オカルトものばっかり。もちろん歌舞伎関係も! もう少し視野を広げないとな…。 やっと最近、昭和史研究を入り口に、明治から現在までの歴史にも興味が湧いてきたところですが、ノンフィクションやルポルタージュ、評伝なんかも、沢山読んでみたいです。
ちなみに私は、よほどのことがないかぎり、小説は文庫でしか買いません。

さてその本棚は組み立て式で、二つ買ったので作るのが大変でした。他にも照明のとりつけや食器の整理など、思いのほか時間がかかりまして、一日仕事となった次第。明日は転入届をだして、それから「かさね」の下浚いに伺います。

写真はくだんの本棚の一部ですが、タイトルは判読できますか?

与右衛門あれこれ

2006年03月18日 | 芝居
昨日に引き続きまして、『色彩間苅豆』より、与右衛門のあれこれを。
与右衛門の衣裳は、現在では<黒羽二重、五つ紋付>の着付けに、<納戸色の襟の浅葱の襦袢>、<白献上の帯>、<浅葱の下がり(ふんどし)>というのがスタンダードです。師匠もこの扮装ですが、演者の好みや演出によりましては、着付けが紺色地になったり、白地に格子模様の浴衣、あるいは生成り色の絣の衣裳になることもございます。どちらにしましても、背中の中心、両胸、両袖の後ろ側の五カ所に、紋が入りますが、この紋は決まりというものがなく、演者自身の本紋、あるいは替紋をあしらいます。師匠が前回なすったときは、替紋の<祇園銀杏>でした。
カツラは<むしり>と呼ばれるもので、月代(さかやき。頭頂部)の毛が伸びた様になっており、これは浪人役でよくみられる形です。踊りの後半で、刷毛先(ちょんまげの先端部)を乱し、怨霊に翻弄されて髪型が崩れた様を表します。

さて小道具はと申しますと、<黒柄、黒塗り鞘の小刀>の一本差し、雨を除けている思い入れで<糸立て>と呼ばれるござ状のものをまとって登場します。こちらは後半、怨霊となったかさねとの立ち回りでも使われます。それから<黒塗りの印籠>。浪人してもあくまで武士でございますからね。
そして<晒の手拭>。こちらはちょっと変わった使い方で、先ほど紹介しました小刀の柄に、あらかじめクルクルと巻き付けておくのです。これは、刀の柄が雨に濡れて痛むのを防いでいるということなんですが、舞台上でこれをほどくと、与右衛門自身が着物についた雫を払うのに使ったり、あるいはかさねが持って振り事に使ったりいたします。そんなわけでこの手拭は寸法に気をつけなくてはなりません。与右衛門役者にも、かさね役者にも使いよいサイズにしておかなくてはならないわけですが、師匠のところには、すでに亡くなられてしまいましたが、六世中村歌右衛門の大旦那のお弟子さんでいらした、加賀屋歌蔵さんという方が、かつて大旦那と今の師匠が『かさね』を共演なすった時に使った手拭を、保管しておいて下さいましたので、これを見本として、いつでも毎回同じ寸法の手拭を誂えることができておりまして、本当に有り難いことだと思っております。これに見習って私も、師匠が舞台で使った手拭は、そっくり保管しております。

さて、与右衛門の<持ち道具>は以上でございますが、これになくてはならない肝心のアイテムが加わります。それが、<鎌の刺さった髑髏と卒塔婆>でございます。清元節の浄瑠璃の、「不思議や 流れに漂う髑髏 助が魂魄錆び付く鎌…」という歌詞に合わせて、舞台上手の川を堰く水門が自ずと開くと、奥から卒塔婆に乗った髑髏、しかも片目に鎌が突き刺さったものが流れてくる。それを与右衛門がたぐりよせると、その卒塔婆には以前彼が殺した男の名が! ハッとして卒塔婆を折ると傍らのかさねが悶絶、ここから二人の捕り手(二十二日の舞台では兄弟子二人が勤めます)がからんで、お馴染みの「夜や更けて」の立ち回りとなる…。芝居を一気に転換させる重要な小道具なのです。
卒塔婆と髑髏が流れてくるのは、仕掛けを使います。あらかじめ、川の色と同じ水色の台(裏には車輪がついております)に、髑髏が乗った卒塔婆をセット。台には二本の黒糸(これを<ジャリ糸>と申します)がとりつけられております。浄瑠璃のキッカケで、舞台裏に控えた黒衣がまず一本目のジャリ糸を引きますと、舞台奥から前っ面へと台が移動します。これを与右衛門がたぐる仕草をしたところで、今度は二本目のジャリ糸を引くと、台は上手から下手へ、つまり川の真ん中から与右衛門の足下へと移動するというわけなんです。
文章で説明するのは大変難しいんですが、糸の取り付け方で、二方向への移動が可能になるということです。
今度の舞台でも私がこの係なのですが、浄瑠璃や、与右衛門の芝居に合わせて、しかもおどろおどろしく見えるように操作するのが難しいところ。しかも万が一糸がこんがらがったり切れたりしたら一巻の終わりなわけで、操作する側の気遣いは並大抵のものではございません。もしものときには、黒衣で出て行って、手で動かすしかないのですけど、これは恥ずかしいと思いますよォ。

それから、もう一つ気をつけておかないことは、幕が開く前に<糸立て>に霧を吹いておくこと。<糸立て>はござと同じく、い草を編んで作られているわけですが、こういうものは乾燥に弱いんです。放っておくと端がパラパラ折れてしまって、痛むこと甚だしいので、事前に水分を含ませておくことでそれ防ぎ、さらには適度な湿り気を持たせることで扱いやすくもなる、というわけです。他に<編み笠>や<蓑(これは藁製ですが)>なども、事前に縁や全体を湿らせておくことが多いですよ。

写真を載せたいところですが、それは二十二日に、本番のものをお見せいたしましょう。私が働くのは、二十日の<下浚い(いわゆる総ざらい)>と、あとは本番だけということですので、うっかりミスなど絶対おこさぬように気をつけてまいります。

蛇足ではございますが、この踊りの幕開きの、与右衛門、かさねの登場の仕方は色々とパターンがございます。一、本花道からかさねが駆け出て、それを追うように与右衛門も本花道から出る。二、かさねが本花道から、同時に与右衛門が舞台上手の土手から出てくる。三、かさねが本花道、与右衛門は仮花道から同時に出る。というものです。振り付けによってかわるわけですが、この他かさねが紫の袱紗を頭巾にしてかぶって出てくる時もあったり、着付けの裾をお引きずりにするか、お端折りにするかの違いがあったり、この舞踊、演者によっていろいろな相違点があり、お客様には是非とも見比べて頂きたいものです!

残念でした

2006年03月17日 | 芝居
今日は渋谷のシアターコクーンに、『東海道四谷怪談』の舞台稽古を拝見しようと、昼過ぎに劇場に伺いましたら、当初聞いていた予定が大幅に変わっていて、舞台稽古のかかりが、なんと午後九時ちかく(!)になるとのことで、泣く泣くあきらめて帰りました。仕掛けものの多い芝居ですし、<コクーン歌舞伎>は毎回新機軸、新しい演出をお見せする芝居ですから、いろいろ段取り合わせや確認にしっかり時間をかけていらっしゃるのでしょう。
自分が出ていないお芝居の舞台稽古でも、きちんと関係者の了承を得れば拝見させていただけるのは、初日以降の公演の場合と同様です。舞台稽古を拝見いたしますと、お芝居を作り上げる過程も見ることができ、面白くもまた勉強になります。<コクーン歌舞伎>では、過去に『三人吉三』、二回目の『夏祭浪花鑑』の舞台稽古を拝見させていただきました。
…この文章を書いている今この時も、ひょっとしたら渋谷で熱い芝居作りが行われているかもしれませんね。

『四谷怪談』といえば、いわずと知れた大南北の傑作ですが、このお芝居は「上演前にきちんとお参りをしないと、よくないことがおこる」という言い伝えがあることでも有名ですね。歌舞伎で上演する時に限らず、新劇や映画、ドラマの世界でも同様だそうで、これにまつわるコワい話は皆様よっくご存知でいらっしゃいましょう。関係者は、今も必ず、四谷の<陽運寺>と<田宮神社>にお参りに行き、公演、撮影の無事と成功を祈願するのです。今日お邪魔した名題下部屋の、各人の化粧前にも、お札(どちらで頂いたものかはわかりませんでした)が祀られておりましたよ。
もう一つ、上演前に必ずお参りに行く演目に『色彩間苅豆』、いわゆる「かさね」がございます。こちらのほうは、目黒にあります<祐天寺>(かさねの霊を鎮めた祐天上人ゆかりの寺)の<かさね塚>にお参りするのです。この塚は六世尾上梅幸さんと十五世市村羽左衛門さんが発起人となって建立されたそうですね。このお二人が、久しく埋もれていたこの曲を大正二年に掘り起こし、いちやく人気曲にされたのです。
実は、今月二十二日に、国立劇場小劇場で、坂東流の舞踊家でいらっしゃる坂東三津緒師匠の舞踊会がございまして、この会に私の師匠も出演。三津緒師匠とこの「かさね」を踊られるのです。私も、黒衣の後見で、舞台裏の用事をいたします。せっかくですので「かさね」の舞台裏をご紹介いたしたいと思いますが、明日以降、稿を改めてお伝えすることにいたしましょう。

久々に芝居日記らしい記事が書けそうです。

準備は万端!?

2006年03月16日 | 芝居
十二日の『どうにかこうにか丸一年』の記事へ、本当にたくさんの方々からのコメントを頂き、有り難うございました。二年目となる当ブログをますます元気に運営できそうな予感です!
『花を訪ねて鎌倉巡り』にも、多数コメントを頂き、皆様の鎌倉へのご関心の高いことを実感いたしまして、鎌倉出身の私としましては嬉しい限りです。これからも、時折はこのような鎌倉小旅行の模様をお伝えして参りたいと思っております。

さて……

今日は一日自宅におりました。
間もなく引っ越しですので、箱詰めやら荷物整理やらゴミの片付けやら、また電気ガス水道の手続き、不動産への連絡…。引っ越しって、どうしてこんなにすることがあるのでしょう!? 根が怠け者で面倒くさがりですので参っております。
しかし考えてみれば、芝居の世界も毎月毎月、劇場から劇場へと引っ越しを繰り返しているようなものですよね。地方巡業ともなれば毎日がそうです。撤収、荷開けには慣れているはずなのに、ことプライベートになるとこの始末。情けないことです…。

さて、二十一日に開かれる<稚魚の会 茶話会>お陰様で、事前予約だけで五十人近いお申し込みがあったとのこと、有り難く思っております。例年通り、私は落語を披露いたします。今回は『粗忽の釘』に挑戦することにいたしました。柳家小さん師匠の音源を元に稽古いたします。私の持っている音源では、小さん師匠はマクラも入れて約二十五分かけてなすっておいででしたが、素人の私にはとても保たせきれませんので、なるべく短くいたしたく、筑摩文庫の『古典落語 金馬・小圓朝集』に掲載の速記本や、やはり筑摩文庫の『落語百選 秋』(麻生芳伸 編)に収録の脚本を参考にしながら、多分に刈り込んで演じることになりそうです。粗忽者の大工をどう演ずるか、楽しみでもあり、不安でもあり。まあほんの一夜のお楽しみですから、深刻にならず、気楽に稽古いたしましょう。…でも真剣ですよ、あしからず!

写真は国立劇場からほど近い、平河天満宮の絵馬掛けです。発表会の頃はちょうど梅の盛りでした。
今日は短文で失礼します。


激論三時間!?

2006年03月15日 | 芝居
今日は午後六時より、本年度の『稚魚の会・歌舞伎会/合同公演』の、配役決定会議がございまして、私も出席いたしました。
稚魚の会と歌舞伎会は、近年でこそ、例年のように合同で公演を行っておりますが、もともとは別個の組織として、各々独自の運営で勉強会を行っておりました。いずれにしても、『同人の、同人による、同人のための』勉強会を作り上げる、という意識のもと、演目選定から配役、チケットの配分まで、国立劇場養成課やご指導頂く幹部俳優の方々のご意見を伺い、またチケット販売所や客席係(案内さん、受付さん)の方々のご協力を得ながらも、基本的には同人の意向と意思のもとに万端をとりきめ、一夏の晴れ舞台を作り上げてきたことには変わりはありません。
合同公演になってからも、その方針に変更はございませんが、お仕着せにならずに、自分たちの手で会をやってゆくということは、本当に大変なことでございます。
たとえば演目選定。その年その年で、会に参加できるメンバーは変わります。ある年は女形さんが多くなる時もあれば、逆に立役さんばかりになる時もあります。総人数も四十~六十人近くの間で変動があり、そうした毎回変わるメンバーの顔ぶれを考慮して、全員が、きちんと良い役を演ずることができるような狂言立てにするわけです。候補に挙がる演目ごとに、「これは女形の役は三つ、立役は五つ。あれは女形は出ないから、代わりに女だけの踊りを一幕出したらいいかな…?」と案文するわけですが、役の数はちょうどよくても、限られた予算で上演できる演目か、そもそも勉強会にふさわしい演目か? という条件もございます。その点も考慮した上で、お客様の目から見ても、よし、チケット買って観に行こう! と思っていただけるようなプログラムにすることは、本当に難しいことでございます。

演目が決定しましたら、今度は配役。あらかじめ参加者にアンケートをとり、その結果をもとに配役してゆくのですが、一つの役に、大勢が立候補してしまうのはザラなこと。そういうのをまとめながら、全体としてまとまりのある配役にするのは、全出演者の中から選ばれた、幹事の役目です。すなわち本日の会議は、総出演者三十八名の中から選ばれた十名の幹事が、国立劇場養成課の職員とともに検討、協議したというわけなのでございます。今回は私も会議に参加したわけですが、同人全員の希望を最大限尊重しながらも、ベテラン、中堅、若手が、一幕に偏りなく、まんべんなく配置されるよう、皆と時間をかけて誠意をもって話し合ったという自負はございます。午後九時に終了した会議の結果は近々発表できると思いますが、様々な諸条件を鑑みての最善策、皆が実り多き成果をあげられるように考慮し尽くしたものであるということは、同人の努力と修行をもってして、本番の舞台で証明するしかございません。

勉強会は、我々にとりましては、ある種のお祭り、年に一度の晴れ舞台と単純に考えることはできますが、企画、製作、運営という、下準備の一つ一つを、責任と自覚をもって勤めてゆくわけですから、浮かれてばかりもいられません! これまで三十年以上も、勉強会を続けることができたのは、ひとえに先輩方の苦労の賜物。それを今度は私たちが継承してゆかねばなりません。勉強会は、<演じる>ということはもちろんのこと、自分たちで<作り上げる>ということをも、学ばねばならないとうことを、肝に銘じて精進して参ります。

それでは、来るべき演目、配役発表をお楽しみに!