高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

「和民」でがっかり!

2007年07月06日 01時44分16秒 | もんく

めったに怒る事の無い私が久しぶりに頭に来た!

日本橋三越での催事も3日終了、たくさんのお客様にも恵まれ、申し分の無い成果が上がっている。気持ちよく、仕事の後の冷たいビールを飲んで実に気持ちが良い。気持ちが良かったので、もう一軒と思ったのが間違いだった。近くにあった居酒屋「和民」に入った。何品かの抓みと麦焼酎のロックを注文した。ウェイター、ウェイトレスはすべて外国人である。安い人件費で抑えるため、または彼ら留学生の職場つくりとして!今は飲食店の定番になっている外国人労働者。好感の持てるウェイトレスで日本語も旨かった。問題は焼酎のロックが来てからだ。差し出された焼酎の器には、氷だけで焼酎が入って居なかった。いや、本当は入っているのだが氷しか見えないほど少なかったのだ。

私はこの留学生が間違えて氷だけを持ってきたのか?と思い。

「焼酎は?」と聞いた。

すると「これが焼酎です。」と言う。

「えー、うそだろー。入って無いやん!」「ちょっと、責任者に聞いて来い!」

戻ってきた、留学生はやはり「これだけです」と言う。

何故か頭に来た。「虎の尾を踏む」というか?たかが4百円の焼酎一杯のことだから、「猫の尾を踏む」くらいのことだろうが、しかし、無性に騙されたろうな気がして腹が立つ。これが、いつも偉そうにテレビに出て、「夢の実現」とか「実現には時間を切れ」とか偉そうに言っている渡邉美樹か?私は今度株を買うときは「和民」の株を買おうか?と思っていた。(毎週楽しみにしている。儲かりマンデーにもこの社長は何度も出演していい事を言っていた。)株主さまに応援団になってもらうとか?聞いていてなるほどと思うことをいつも言っている。介護に進出したのも、きちっとした理念があって、社会奉仕だけでなく実業としてやっていくという様な事を言っていた。

その分、「和民」に対しては好意を持っていたし、思いがあった。

ところが、現実のお店に行ってみたら、

「1000人のお客様からまあまあのありがとうをもらうより、100人のお客様からとびきりのありがとうをもらう方がWATAMIらしく、それよりも1000人のお客様からとびきりのありがとうををもらう方がWATAMIらしいと信じます。」と偉そうな事を言っているが、口先だけだ。がっかりである。

大人げなかったが、「責任者を呼べ!」「この、焼酎を見て何にも思わないか?」「これが和民のロックか?」と聞いてみた。若い店長が緊張してやって来た。申し訳なさそうに、「これが和民のロックです。60cc入れています。」「60cc?!1合の三分の一だ」少ないはずだ。私もだんだん頭にきていたので、「軽量カップで目の前で測ってみろ!」と言っていた。20070705214807 

これがその時の氷を取り除いた時の焼酎の量だ。ほんとに器の底にほんのちょっと、入っているのか入れ忘れたのか?判らない量であった。計ってみたら、60ccとちょっと、その店長が「60ccと氷が解けた分もう少しです」と言う。

結局、いい気分も一気に覚めてしまい、他に出てきた料理には手をつけず、店を出ることにした。「決して、いちゃもんをつけてただ食いしたいわけではない。全部の料金を払うけど、たった一杯の焼酎が実にいやな思いをさせている」と言い残して代金を払って表に出た。私達自信がサービスに携わる者だけに、余計にこんな人を(どうせ酔っ払いだから文句を言わないのだろう)と高を括ったような姿勢には腹が立つ。私の友人に二人の藍染め屋がいるが、もし、彼らがこの場にいたら、今頃、市中引き回しの上貼り付け獄門だ。

最後に、この店長は一つも悪くない、緊張して、精一杯一生懸命対応していた。彼は教えられたとおりマニュアル通り、焼酎ロックを作らせ、クレームに対して真摯に対応した。「私はまだ、着任早々で前の店長の名紙しかありませんが」 と自分の名前を手書きして名紙を渡してくれた。「今回の焼酎の量の件は本部の方にお客様の声としてちゃんと報告いたします。」と言い、1階まで見送りに出てくれた。彼の対応は好感が持てるもので逆に爽やかであった。

和民の上層部、渡邉美樹はもう一度自分でお金を払って焼酎のロックを自店と他のお店で頼んで見ていかに和民が貧弱か気が付くべきである。

と言いつつ、自分でもたった4百円の焼酎一杯で文句を言っている自分に自己嫌悪!

竹工房オンセ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋三越 4

2007年07月06日 00時25分24秒 | 職人仲間

_022_2 山形県、「しな織り」の石田さん。しな織りというと沖縄県の芭蕉布、静岡県の葛布と共に日本三大古代織りと言われている。しなの木の樹皮をはぎ、乾燥させ、煮て、洗い、糸にして、機織する。此れも本当に手のかかる工芸品である。彼はそのしな織りの職人さんではなく、しな織りを使って、帽子やバッグ、反物、タペストリーなどなどをデザインしするプロデューサーなのだ。手間隙がかかりすぎ、埋もれてしまっていたこの「しな織り」を現代の生活の中に蘇らせたいと孤軍奮闘している。

石田さんとは年も近いことと、うちの竹バッグのお客様と非常に顧客層が似通っていることから、よく情報交換している。考え方も、

「工芸品がいかに貴重なものであっても、その価値を認めて代価を支払ってくれる人がいなければその技術は後世に伝わっていかない。価値を認めてもらうには付加価値の高いものを作り、作る人が誇りに思える環境を整える必要があるように思う。そして、いくら優れた製品であっても流通に乗らなければ価値を生まないことも肝に銘じており、作るだけでなく販路を開拓することも重要である。」

_023_2 こんな考え方は非常に共通している。今年は新しいメンバーも増えて、女性の職人さんを連れてきていた。素朴な、魅力的な女性である。まだ、ほとんど話したことが無いのでどんな人か判らないが、間違いない人だろう。

_026_2久留米の「濫胎漆器」の井上さん。見て下さいこの人のよさそうな顔。「なんば、言いよっとですかー?」と博多弁がどんどん出てくる。「濫胎漆器」というのは、読んで字の如く、濫とは、篭の事です。篭をお腹の中に孕んだ漆器です。竹で作った篭に漆を塗り固めていく作品が濫胎漆器です。

井上さんとは同じ九州ということもあり、年に何回か?御一緒することがある。この人は何処の出張先にでも、折りたたみの高級なフランス製の自転車を送って、朝早く走り回っている。お酒は一滴も飲まないのに付き合いが良いから、飲みごとには必ず一緒に参加してくれる。飲んで無い人よりよく喋るが!博多弁が聞いてて面白い。武田哲也の「母にささげるバラード」の世界だ。

竹工房オンセ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋三越 3

2007年07月05日 06時37分08秒 | 職人仲間

_028_6 出店業者58社と言うと、催し物の規模としては最大級である。その為、ここでしか会えない方も沢山いる。ブラシ屋の「榎本」さん、この人と会うのも1年ぶりである。以前、「大学生になった息子に、大学在学中、毎日、毎日、絵手紙を出し続ける男」として紹介したことがある。継続は力なり で、その絵手紙も1400通を越えたそうだ。何気なく、平凡な駄洒落しか言わない変なオッサン_029_2に見えるのであるが、人は見かけによらず、何処にどんな思いを持って生きて いるのか?判らないから、世の中面白い。今日は彼の手紙のイラスト部分を撮らせて頂いた。2050年になった時の「ヤンキーズ・マジイ」と「マリナーズ・ジジロー」だそうだ。今から40年後の時事評論をしながら、ヨボヨボになった二人のイラスト。こんな絵手紙を実演の合間をぬって、こそこそと書いている。彼にとっては、今回のように朝から晩までヒッキリなしにお客様が来る所では、この絵手紙が書けないのでちょっと困っていた。

竹工房オンセ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋三越 2

2007年07月05日 04時45分50秒 | 出張

20070704053214朝起きたら、どんよりと曇り空。朝のウォーキングに出るべきか?止めるべきか?一瞬、ちゅうちょしたが、せっかく初日、調子よく行っているので、縁起を担いでなるべく普段のペースを守り、出かけることにした。人形町のホテルから皇居方面に進む。途中に三越のある日本 橋を通るのだがここには日本の道路の基点となる場所がある。

「日本国道路元標」江戸時代からここが53次の基点となっていたのだろうか?明治時代に入ってここが基点と定められたのだろうか?とそんなことを考えながら通り過ぎる。ホテルから皇居まで丁度2キロ、今にも、雨が降りそうである。いつもだと皇居を1週して戻るのであるが、今日はコースを変えて南に進む、晴海通りを左に曲がり、有楽町を過ぎ、銀座に出た。昔、映画でゴジラが壊したビル「銀座マリオン」の下を通り、日本橋方面に八重洲、日本橋、兜町、築地とうろうろし20070704060606 ながら帰ってきた。何処に行っても、犬の帰省本能と一緒でピタリと出発点のホテルに戻ってくる。これは我ながら大した物だと思う。

朝6時だというのに、有楽町のガード下では結構たくさんのサラリーマンがお酒を飲んでいた。

竹工房オンセ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋三越

2007年07月04日 04時16分22秒 | 食べ物

_011 先日の暑い夜の後遺症で、夜中に扇風機に当たっていたため、喉はガラガラ、痰は喉に絡んでくるは最悪である。しかし、今日から三越の職人展初日、弱音は吐いておられない。朝一番から沢山のお客様。やはり、天下の三越である。私の所にも、常連さんや「広告で見た」と言うお客様がひっきりなしにやって来られた。ありがたいことである。私が昼御飯休憩が取れたのも16時を過ぎてからであった。暇で時間がなかなか過ぎないという時もあるが、こんな朝から休む暇も無い、という時もある。しかし、やはり忙しい方が良いよね。ガラガラ声がハスキーな感じで魅力的になったのかも知れない、おかげで売り上げも万々歳の結果である。一日を終ってみると、他の催事の1週間分くらいの出来であった。

閉店後、帰ろうとすると、いつものブログ仲間の大川さんと出くわした。一緒に食事に行くことになり、豚のしゃぶしゃぶ屋さんに!秋田の津軽下駄の藤田さん、久留米絣の山村さん、藍染めの大川さんと私、実に珍しい面子である。特に久留米絣の山村さんとは、今まで何回も催事で一緒になるのに杯をかさねるのは始めてである。山村さんは私より少し年20070703201408 下であるが、こういう催事では大先輩である。しかし、私などにも、丁寧に礼儀を持って接してくれる。初めて会ったときから、好感の持てる好青年?(お互い好中年の年になってしまったが!)と思っている。この人を悪く言う人はまず居ない。訪ねた事に誠実に答えてくれる、信頼の置ける人だと思う。人間性は顔に出るというが、正しく、どっしりとした人として信用できる誠実な顔をしている。

ちょっと、お店が暗くて携帯のカメラではこの誠実な顔はわからないが、目の前のしゃぶしゃぶの肉だけは良くわかる。今度は改めて、もう一度男前の写真を公開しましょう。

気分良く、みんなで大川さんのお話を聞き、(みんなで話すのでなく、大川さんが9お話しして、我々3人が1うなづく。)楽しいひと時になりました。

きっと、私と同じで大川さんもホテルに戻ってから、また、パソコンに向かって今日のブログを書いていることでしょう。私のブログも昔はこんなに毎日、頻繁に書いては居なかったのだが、「私がブログを進めた大川さん」が毎日、これでもか?と言うほどブログを書いてくるので、ついつい、こちらも書いてしまうようになった。ライバルは必要である。私のブログのライバルは大川さんであり、師匠はイチローさんである。

竹工房オンセ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランドセル2

2007年07月03日 06時54分35秒 | 作品紹介

_3_2 先日紹介したランドセルが出来上がりました。黒い皮の蓋が付き、背負い紐も少し太めで、そこの部分にも磨り減らない無い様金具を当て、バッチリの仕上がりです。若き職人「遠藤君」に拍手です。蓋の上にも手提げの持ち手が付いて、お洒落です。

出来上がったバッグを見て、みんなであれやこれやの批評会。新しい可能性が一杯詰まった作品です。お客様の注文が新しい作品のヒントを一杯く_2_3れる物です。今、試作しているのは、名古屋のお客様からの御注文で「薬入れ」。そんなものが居るのか?と思いましたが、御年配のお客様で沢山の薬を飲まなくてはならない、種類別に薬を入れておける小箱を作ってほしいと御注文頂いた。 (この写真に遠藤君は出ていない、回りでワイワイやっている連中だ。)

直接デパートやギャラリーでお客様の要望や不満を聞くことが一番作品作りのヒントがある。12年前に最初に「竹のバッグ」の注文を貰った時は、まさかこの竹バッグがこれほど竹業界を代える作品に成長するとは夢にも思わなかった。京都の〇長斎などは「こんなもの売れるはずは無い!」と言っていたが、しかし今は、「売れるから」と中国で作らせて国産品で販売したり、ルール違反を平気でする。せっかくの日本の伝統技術を食いつぶすようなことはしなさんな!私達の仕事は儲けを追ったらダメなんで、適正規模、適正利潤を踏まえて長く続けていかなくてはならない。でも、もう少し、伝統工芸に携わる職人の収入も上がるようにしなくては!

竹工房オンセ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたの幸せを感じるとき?

2007年07月02日 20時52分33秒 | ブログ

実に暑い日になった。夜中に目が覚めて、眠れなくなり。パソコン仕事、1時から3時半まで帳簿を打ち込んだり、請求書を書いたり、何でこんな時間にこんなことをしているのだろうと考えながら‥‥。おかげで、今日は明日から始まる日本橋三越の飾り付けの日なのだが眠くて眠くて仕方が無い。今日は早く寝よう。

ところで「あなたの幸せを感じる時は?」と聞かれたらなんと答えます。さんま御殿の中の質問みたいだが?私は今日みたいな暑い日に汗かきなので一日に3回くらいシャワーを浴びたり風呂に入ったりする。その都度、パンツとシャツを替えるのだが、_002_10いつも、奇麗にたたまれたパンツとシャツ、タオルがいつもある。そんな時に一番幸せを感じるのだ。ささやかな事だが、日常の何の変哲も無い事の中に、妻の思いが感じられる。お互い健康で元気でいたいものだ。

我家の猫のシャラのこの幸せそうな寝顔。お前が幸せを感じる時は?

さー、明日からの日本橋三越での催事でも沢山のお客様が来て下さいます様に!

竹工房オンセ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての漆塗り

2007年07月01日 06時52分49秒 | 竹細工作業工程

6_013_2 今年の新人さんが3ヶ月近くかかって、やっとバッグの仕上げである漆塗りの段階まで進んできた。簡単には作る事ができない。ヒゴ取りで怒られ、編みで間違え、起こしで旨く行かず、縁付けで歪んで、悪いのはどんどんやり直しさせられやっと、今日の漆塗りまで漕ぎ着けてきた。

最後の漆塗りで作品の表情が決まってしまう。人間で言えば「お化粧」 6_014作りの様なものだ。綺麗にお化粧して、美しく仕上げいい所にお嫁に行って下さいね。とそんな気持ちで漆を塗っていく。しかし、「土台が悪いものはどれだけお化粧しても悪いものは悪い。」辛いなー。

私の所では2回漆を塗っている。1回だけだと、どうしても下地に吸い込まれてしまい、時間と共に艶がなくなっていく。やはり、1回目で下地を固めてから、もう一度2回目の漆を塗る。その時に「いぼた」と言う蝋の6_015_1パウダーを刷り込んでいる。編み目に白い「いぼた」が入り込むことで、編み目を浮き立たせている。しっとりとした艶が出て、古典的な表情作りをしている。

6月のこの時期は、漆の乾きも早く、塗っているうちにどんどん乾いていく。丁寧な仕事は要求されるが、もたもたしていると、漆の乾きに追いつかず失敗することになる。(私の工房でもクーラーがあるのはこの漆部屋だけである。)漆は乾燥していると乾かなくて、湿度と温度があると乾くのだ。この6月の頃は一番乾きやすい時期であるが、逆に一番気をつけないと いけない時期でもある。

あと、漆は慣れないと「かぶれる」という問題がある。人それぞれの体質によるので何ともいえないが、うちの工房でも2人ほど、どうしても慣れなくて漆塗りが出来ない人も居る。後は、最初は被れるかも知れないが、自然と免疫がついて来て強くなってくる。

私も20年以上前、竹の訓練校に言っている時分、初めての漆塗りで被れた。手袋をして、長袖、腕抜き、首にはタイルを巻いて完全防備でしたのであるが、負けた。顔は火照って、体の中から痒い。肘に内側とか脇の下などデリケートな所が痒い。空気で吸い込んだ漆が体の中のリンパや血液を通って広がるのだろう。その時、一番心配したのは、チンチンが倍くらいに腫れ上がりびっくりした。「私は30歳でもう使い物にならないのだろうか?」と真剣に心配した。しかし、その腫れも1週間ほどで直り、今では素手で漆を触ったりしている。

新人に漆部屋を追い出された小野さんが工房の隅で小さくなって漆を塗っていた。きっとこの写真を載せると怒られるだろうから、彼女からクレームが付くまでの時間制限で小さく載せておこう。 

早速、クレームが入り、この写真は削除しました。

竹工房オンセ

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする