高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

生まれ育った所

2007年07月16日 08時50分21秒 | ブログ

台風一過、からっと晴れた朝歩き日和だ。今日はホテルから北西に進んで行くことにした。まず、北に進むと名古屋城がある。お城を右手に眺めながら、城西町、浄心町、と進んで行く、この地域は学生時代、松坂屋のお中元を自転車いっぱい積んで配達のアルバイトをしていた地域だ。暑さで、配達途中に鼻血を出したり、汗びっしょりになってフラフラの時、お客さんから冷たいお水を一杯貰ったことなどを思い出す。今回の名古屋での街歩きは何故か?学生時代のアルバイトの事がよく出てくる。30年も40年経っても思い出すことは、楽しかったことより、汗を流して労働したことのほうが鮮明に覚えている。学校で勉強したことは一つも覚えていないのに!人間を教育するのは「労働」ではないだろうか?今、長男が通っている高校でも「労務」という授業があり、その学校の理念にも「労働」を伴った人格形成を大切にしている。

20070716055915 暫く進んでいくと、自分の育った学区に入っていった。「児玉公園」。私が育った家から300メートルほどの所にあった公園である。私が始めて自転車に乗った所だ。小学校1年生の頃、近所の炭屋の息子が子供用自転車に乗っていた。羨ましくて羨ましくて、しかし、まだ、誰もが自転車など買って貰える時代ではなかった。家にあった、おじいしゃんの自転車を借りて、「三角乗り」サドルまで足が届かないのでフレームの間から足を出して、ちょんちょんと漕ぎながら初めて自転車に乗った時の感動は今でも忘れない。風を切って、空を飛んでいるかのような感覚であった。もっと、広い広い所と思っていたが、45年経って来て見たらこんなに狭い所だったのだ。

2007071606075420070716060917先日のクラス会の連中で通った中学校。40年も経つと学校の外観も周りの風景もまったく変わってしまった。1年生の時に通った校舎だけが辛うじて残っていた。

なんと小学校と幼稚園は昔あった場所に行ってみたのだが跡形もなく違う建物が建っていた。いったい何処に行ったのだろう?10年一昔と言うが、もう40年経っているのだ。変わって当たり前か。

20070716062007先日、クラス会で会った西尾の店「えんぎや」の前を通って、ちょっと行くと風俗のビルがあった。「ここが西尾の店にSMのコスチュームを頼んだのか?」と勝手に決め込んで歩いてきた。   昔あった、商店街は跡形もなく消え去って、都市高速が空中を走り、新しい町に変貌しつつある。少し寂しいような、ほろズッパイ思い出である。

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中学のクラス会

2007年07月15日 06時31分36秒 | 友人

7_024 台風にも、メゲズに元気の良いのが集まった。中学の時の同級生であるが、今でも年に3回くらい集まって飲んでいる連中だ。写真を取っている私と、電車の時間の関係で先に帰った二人を入れると10人だ。

卒業して40年近く経つのに、会ったとたんに時間をワープ。中学時代に戻れるのもこの種の集まりの特徴だ。今回参加しているヤツは全員、学生時代から、あまり変わっていない。同窓会などをすると、たまに「こんな先生居ったかな?」と思わせるほど変貌しているヤツがいるが、この連中は進歩がない!と言うか?ほとんど変わっていない。

7_016幹事の「畑田」が、マメに世話をしてくれる。大抵、お酒を飲めないヤツが幹事をしているのが不思議である。懐かしい名古屋弁が飛び交う、名古屋弁では友達の事を「ツレ」と言う。久しぶりに聞いた言葉だ。一緒にいる、連なっている、7_017ということから「連れ」と言うのだろう。外では台風がもう直ぐ来るという中、話は尽きない。

一番最後に、幹事の畑田がお金を集める時「女の子は3000円、男の子は3500円」と言っていたが、もう、みんな50を越えたオッサン、オバサンな7_018のに気分の上では中学生になりきっていたのが印象的であった。

7_019こいつも中学の時は痩せて小さかったが、卒業後大きくなって、2メートル近くもあるのではと思えるほど大きくなりやがった。家業の衣料品店を継いでいるのだが、縫製をしている同級生に「SM の衣装は作れないんか?」と聞いていた。私のブログの話をしたら「明日の朝見るから、ちゃんとアップしろよ!」と言っていたが、本当に見ているのだろうか?

また来年、みんなと会いたいね。ありがとう。

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市松人形

2007年07月15日 06時16分46秒 | 職人仲間

さすがに、名古屋松坂屋と言えども、大型台風到来を目前に控え、お客様も買い物気分ではないのだろう。少ないお客様の分、私の隣の売り場のあるお人形の小島さんとゆっくり話すことが出来た。

7_010 市松人形とは可愛い女の子の人形の代名詞のようになっているが、実は江戸時代の歌舞伎役者の「なんとか市松」と言う女形の人の模写人形だったそうだ。江戸時代や昔の市松人形の裾をめくってみると、小さなチンチンがちゃんと付いており、顔も眼光鋭くもっときつい顔をしていたそうだ。それが時代と共に忘れられ知らないうちに「女形」の女性の部分だけが受け継がれ、優しくなり、可愛い女の子の人形に変わっていったそうだ。現代の市松人形は裾をめくってもチンチンは付いていない。

7_015小さくても高価な物、大きくても安価な物などいろいろあるが、竹のバッグと同じで手をかけて作った作品はどうしても高くなってしまうが人形が好きな人には堪らないものがあるのだろう。

顔も型で作った物と、木を削りだして作った物では表情が違う。着ている物も生地によっても違うし、良い物はちゃんと着せ替えできるように小さいながら着物の様式をちゃんと作られている。髪の毛も化学繊維のものと人毛では当然違うのが、当たり前である。

7_014今日、私がとても気を引かれたのはこの人形だ。手彫りで削りだされた顔、着物には久留米絣を使い、人形士小島さんが顔を書き入れた物だ。何とも言えない味わいがある。

7_012_1

人形士「小島さん」、この人ほど、売り場に朝から晩まで座り続けている人は珍しい。営業時間に一度食事に行くだけで、後はずーと座っている。トイレにも行かない。尿瓶でも持ち込んでいるのだろうか?

人形作りはふつう分業化されているのだが、この人は顔作りに10年、着付けに8年、髪作りは家業として小さいときから親父の仕事を見てきたそうだ。一人ですべてこなすことが出来る数少ない職人だ。どの分野でも、分業されたまま、高齢化した今では、誰かが一人いなくなっただけでも製作できなくなってしまう。

貴重な伝統技術の伝承者である。また、来年もお人形さんのように座り続ける小島さんを見たい物だ。

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台風

2007年07月14日 06時45分54秒 | 出張

今回の松坂屋での催事はあいにくの天気に祟られている。初日から毎日、降ったり止んだりの雨の日が続く。気象庁によると、

7月としては過去10年で最大の台風で、今後九州地方に上陸する可能性は6~7割という。大型で非常に強い台風4号は、14日午後には大雨で甚大な被害を受けた九州地方に達した後、北東に進路を変え、四国、近畿、東海、関東に再上陸を繰り返しながら太平洋沿岸に沿って進む可能性が高まった。北上に伴って梅雨前線が活発化し、西日本から東日本の広い範囲で大雨となる恐れがある。

台風4号の進路図=14日午前0時現在今日の午後には、留守を守っている、我が家方面に向かっている。直撃しそうだ。「頼むぞシンラ、お母さんを守ってあげてくれ!」

マイッタ!当てにしていた名古屋松坂屋の催事がこの状態ではどうなるか?判らない。しかし、お天気には文句の言いようがないので仕方がないか。こんな天候の中でも御来店頂き、お買い上げ頂いているお客様に感謝、感謝です。

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名古屋ドーム

2007年07月14日 06時33分59秒 | 出張

今日も、朝からどんよりとした曇り空、しかし、凝りもせず朝歩きに出発。こんな曇り空の時は雨が心配だ。歩くコースはなるべく地下鉄沿線に沿って歩くことにした。何時、雨が降り出しても、そこから地下鉄で帰ってこれるように!もう一つ、いつも心配するのがトイレの問題だ。結構2時間近く歩くとなると途中でモヨオス事がある。そんな時も地下鉄の駅を目当てに次の駅があるところまで我慢すれば良い。など、いろいろ考えながら歩いている。

20070713070726 昨日は南に歩いていったので、今日は北東に進んだ、テレビ塔横のセントラルパークを横切り、進んで行く。大曽根を過ぎてやって来たところは名古屋ドームである。2月に東京ドーム、4月に大阪ドームとそして、7月名古屋ドームまで歩いてきた。3大ドーム制覇だ。別にどうって事はないのだが?

20070713064744 「大曽根」という所はここにも、青春時代の思い出がある。高校生の時に付き合っていた彼女が守山区に住んでいた。私の住んでいた西区から10キロくらいのところであるが、夜、電話していて、会いたくて会いたくて堪らない。夜中に原付バイクに乗って彼女の家の近くに来るだけでも心をときめかせたものだ。しかし、貧乏な高校生は途中でガス欠。この「大曽根」から、ガス欠した原付バイクを5キロくらい手押しして帰ってきた。精も根も尽き果ててしまった思い出がある。今はその彼女もひょっとするとお孫さんがいるのかも知れない?

車で市内をうろうろすると、運転に気を取られ、あまり、深く考えることは出来ないが、こうやって歩いていると、昔のこと、また逆にこれからのことなど、いろんなことを考えることが出来るのが楽しい。

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お詫び!

2007年07月13日 09時44分30秒 | ブログ

最近、書き込みを頂いた、どらネコの高橋さん、Qちゃん、サカタさん、つみたさん、紺屋さん、書き込みありがとうございました。お返事を書き込むのですが、ホテルのサーバーのセキュリティのせいでしょうか?書き込みがアップできません。ブログを借りてお詫び申し上げます。私のブログだけでなく、友人のブログに書き込もうと思ってもアップできないので、大変不便を感じております。ミクシィのメッセージも送ることが出来ません。ほんとに皆さんごめんなさい。

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熱田神宮

2007年07月13日 05時44分32秒 | 出張

20070712054500 どんよりとした曇り空の中、今日も朝歩きにのそのそと起き出した。ホテルを南に南にと歩き始める。大須観音を過ぎて2キロほど来ると、「真言宗大谷派名古屋別院」別名「東別院」がある。この建物を見て、学生時代のアルバイトを思い起こした。高校の同級生に「美芳苑」という名古屋でも比較的大きな花屋の息子がいた。彼から、花屋のアルバイトをしてくれと言われ、「花屋なら可愛い女の子がたくさん来る!」と大喜びで引き受けたら、騙された。可愛い女の子など皆無!オッサンがトラックに葬式用の花篭を積み込み、引っ越し屋のような仕事だ。

名古屋では今でもお葬式にお生花を使う、葬式が終ると近所のおばちゃんが蟻のように集まってきて、花を抜いていく。そのおばちゃんと競争するように花を片付けなくてはならない。(一刻も早く回収して、また、次の葬式のお花に生け代えるのだ)  タダで花を貰おうというおばちゃんと、もう一回、使おうという業者との激しいバトルである。花を片付けた後は、花を生けこんであった、台をトラックに山のように積んで片付ける。いったい、何処に甘い女の子の話はいったのだろう?体力には自信があったので、この体格を見込んで雇われたのであった。そんな、甘すっぱい青春時代を思い出してしまった。そのお葬式の現場がここだ。  「おーい、山内 元気にしてるか?」

20070712062511 

東別院を過ぎて、どんどん進むと、金山を通り抜けて熱田神宮に着く、ここまで来るとホテルから6キロ弱だ。結構汗をかいている。  熱田神宮には「古事記」に出てくる、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がヤマタの大蛇を退治した時に使った、「草薙の剣」が祭ってある神社だ。

学生時代にはお正月にしか来たことがなかったので、ただただ人の頭しか見えず、人ごみの中でどんな神社であったか?記憶がない。御社の前にいた警備員に「ここが本堂ですか?」と聞いたら、「本殿です」と(こいつ、何にもしらんやっちゃなー)という顔で答えられてしまった。

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松坂屋 初日

2007年07月12日 08時32分47秒 | 食べ物

小雨の振る中、名古屋松坂屋本店での「職人展」が始まった。あいにくのお天気で午前中はお客様も少なく、松坂屋初日の活気はない。午後になり、少しずつ、お客様もお見えになり、私の大好きなお客様もたくさんお見えになって頂いた。一日を終了してみると、ゆっくりした一日の割りには充分な結果になっていた。ありがとうございます。

20070711214127 閉店後、伊万里焼の福山さんとしな織りの石田さんとで、松坂屋から少し離れたところにある中華料理屋にやって来た。夜が来る香りと書いて「エイ・ライ・シャン」と読む。古くからある汚い店だ。汚い割りに、地元のサラリーマンでいつもいっぱいである。地域に密着したお店といえる。

実は30年前、私はこの店でアルバイトをしていたのだ。別館の2階でウェイターと餃子焼をしていた。懐かしい店である。餃子で有名な店で、数年前、職人展の仲間を連れて行ったら、あっという間に評判になってしまった。嬉しいような、悲しいような、自分だけの楽しみが取られてしまったような感じがする。

Photo_68 石田さんのことは先週の日本橋三越の時に紹介しているので、今回は省略。「福ちゃん」こと、福山さん。伊万里の福右エ門窯の二代目当主、バカ殿っぽいが、何しろ、回りを明るくしてくれる。佐賀弁が何処に行っても抜けない。以前一緒にドイツで展示会をしたとき、二人でドイツ国内をうろうろした、その時もドイツ人に向かって佐賀弁で話しかけていたくらいの人だ。今日も彼の明るさにつられて、ちょっと陰気な石田さんも笑いっぱなしであった。人間の軽さとは反対に作り出す作品は情感を込めてすばらしい作品を書き上げる。どちらがホントか?判らないが、この巾の広さが彼を象徴している。誰でも、受け入れる心の広さ、特に女性へのストライクゾーンは広い。

今日から、17日まで名古屋松坂屋で本物の手書きの焼き物を見てみたい方は 是非とも御来店下さい。彼の、ニッコリした笑顔の虜になること間違いなし!お待ちしています。

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江南

2007年07月11日 05時42分40秒 | 食べ物

_007_7 飾り付けの当日、午前中空時間が出来たので、少し、名古屋駅前まで買い物に出かけてきた。栄町でも買い物をするところはたくさんあるのだが、先月名古屋に寄った時、駅前の東急ハンズで「タカ&トシ」のTシャツを見つけていた。実は、長男クルムが高校に入ったばかりの頃、いきがって髪の毛を伸ばして分け始めたのだが、本人はかっこいいつもりなのだが、どう見ても漫才師のタカ&トシの片方にそっくりなのだ。散々、私と妻から笑われたクルムを思い出した。これをもう直ぐ夏休みで帰ってくるクルムに買って行ってやろう!

_005_9 買い物をした後、名古屋のランドマークになっている。ツインタワーに上った。昼食を13階の「江南」というラーメン屋で食べたのだが、この、「江南」というお店はこのツインビルに入る前は、柳橋の交差点側にあった、カウンターだけの小さなお店だった。7~8人で一杯になり、いつもカウンターの後ろには順番待ちの人が並んでいる。厨房も本当に狭く、調理人がお互い体を交わしながらすれ違っていた。小さい店なのに調理人が5.6人居り、いつも活気があった。料理はラーメンだけでなく中華料理なら大抵のものが食べられる中華のお店であった。狭いお店に、愛知県中から、車でお客がやってくる。当時は駐車違反もそんなにうるさくなかったので、店の周りには違法駐車の車がいつも一杯であった。お客は通勤帰りのサラリーマンが中心でみんなビールを片手に酢豚や唐揚げなどを注文し、最後に締めでラーメンを食べていた。私も名古屋地区で働いていたときは時たま一人で食べに来ていた。

_002_11 厨房の中も広くなり、働いている人間も若いおにいちゃんになっている。当時はもっとひねた感じの職人という感じのオッサンばかりだったのに、昔を、知っている私としては小奇麗になり、若いウェートレスが注文を取って、メニューもラーメンと餃子くらいしかなくなってしまった。しかし、この店は行列の出来る店だそうだ。

経営的に見れば、中華料理で何でも作れる職人だと高く尽くし、材料の無駄もある。新しい店にするに当たって、昔の経営はスッパリ切って、駅前の立地にあわせた、お客様も一杯飲むというより、食事だけをする回転の速いお店に切り替えたのだ。それはそれで、経営者としては冷静な判断の元に成功している。  しかし、しかし、私は昔のどんな料理も美味しかった中華料理の「江南」でいて欲しかった。

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朝から大騒ぎ

2007年07月10日 17時42分39秒 | 出張

_003_13 私は出張の時、ホテルに1週間分の着替えや小間物を宅急便で送っている。朝風呂に入って着替えを出そうとトランクケースを開ける。‥‥開ける‥‥はずが、開かない。新しいスーツケースを買ったばかりでダイヤルナンバーの鍵をセットしていないはずだ。最初は000で合っている筈なのに、おかしい、どうして開かないのだろう。

_001_16 仕方がなく、001、002、003‥‥と一つずつ合わせていくしかない!100まで来たときちょっと疲れて気分転換、家に電話をして、妻に事の顛末を話すと「ゴメン、番号をセットして、言うのを忘れてた、ゴメン」と、なんと言うことだ。早く言え!朝から一騒ぎでした。

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浜松

2007年07月10日 04時21分14秒 | 出張

日本橋の催事を昨日で終わり、今日は明後日から始まる名古屋の松坂屋に移動する途中、浜松に立ち寄った。今年の5月に初めて知り合った方だが、浜松市内にギャラリーを開く予定で、何を扱うか模索されているそうだ。5月に静岡の松坂屋で私どもの作品を見かけ、早速、その週のうちに別府まで調査にやって来られた。残念ながら、日曜日で私の工房が休みだったが、その後に私が個展をしていた北九州のギャラリーと私が実演をしていた相模_005_7 原伊勢丹まで来られた。フットワークの軽さには驚かされる。一見、見た目にはそんなに軽くは見えないが。

東京から浜松まで新幹線で移動、時間が決まっていなかったので、浜松駅に着いたら「河岸」さんに連絡することになっていた。しかし、驚いたことに浜松に着いたら改札口に河岸さんが待っていてくれた。びっくりである。「えー、どうしてこの便だと分かったのですか?」聞いてみると、大体これくらいの新幹線ではないかと、何本も改札で待っていてくれたようだ。「最初にいきなりパンチを食らったよう_004_8だ。」もう、この心使いに参った。

本業は「エイテック」という車の部品を加工する会社の社長さんだ。中古のコンプレッサーやセルモーターを分解、再生産して、販売している。会社の倉庫にはありとあらゆるメーカーのコンプレッサーが山のように積まれている。作業場では熟練工がサンドブラスターで古い部品を磨き上げ、再塗装していた。会社の2回には研修室もあり、毎月_001_15講師を呼んで人間性を向上させる研修をされているそうだ。 _003_11 

本業の会社を見学させていただいた後、「うなぎ」を御馳走になり、秋オープン予定の現場に出かけた。浜松市役所の直ぐ近くで、オフィス街の中のビルの1階である。たくさん人が行き来する場所ではないので、如何に拘りを持ったセレクトショップにするか?が鍵になる。私も竹の部分で協力させて頂く事になったのだが、「よほど、腰をすえて本気で掛からないと、そう簡単にはお店は成り立たないですよ!」とアドバイス。2時間ほどお店を担当することになる、社長の妹さん達と話し合った。時間をかけて、「本当にこれなら自信を持って進めれる」というセレクトショップにして欲しい。

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日本橋三越 7

2007年07月09日 05時55分25秒 | 職人仲間

_012_4 無事、三越の職人展も終わり昨日はぐっすり眠れました。

 三越の「職人展」は7月の夏と、年末年始の冬との2回の開催である。担当者から、冬の職人展にも、参加要請があった。しかし、仕事を優先すれば二つ返事で了承すれば良いのだが、やはり、仕事以上に家族との関わりを優先したい。まだ子供が学生であり、お正月には家族揃って一緒に過ごす、特に二人の子供が不便な寮生活をしているので、年に数回しか家族が揃う期間が短いのだ。

そんなこんなで子供が学生の内は、家族揃って正月を迎える事を大事にしたいと思っている。何を優先するのか?その時その時に迷いながら、優先順位を付けていくしかない。

77_004 最後に登場は、私の売り場の隣り、岡山の麦わら帽子を作る「石田」くん。丁寧な接客と、実演でミシンをダッ、ダッ、ダッ、ダーとかけ出すと人が集まってくる。女の人は帽子が好きだねー、奇麗な奥様も、どんなにしわしわになったお婆ちゃんでも、真剣な顔をして鏡を見ている。女の人の美に対する思いは永遠なんだね。  

この、「今日もバッチリ」とサインを出してくれたので、この写真で今回の三越職人展を締めくくろう。本当にたくさんのお客様の御来店ありがとうございました。

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日本橋三越 6

2007年07月08日 05時26分49秒 | 出張

77_012今回の三越での催しで、一番苦労したのは、「声」が出せなかった事だ。出張前日に猛烈に暑い日があり、夜中に扇風機を回したのが災いし、ガラガラ声になってしまった。すぐ直るだろうと高を括っていたのだが、毎日、お客様とお話ししなくてはならず、結局1週間、ガラガラ声のままであった。常連のお客様にちょっと「喉」の話をしたら、早速、こんな差し入れを頂いた。 ありがとうございます。

ホテルに戻り、メールの確認。一昨日の焼酎の事を書いたブログをコピーして「ワタミ」のホームページに投書していたのだが、早速「ワタミ」の担当者からこんなメールが返っていた。

先日は、数ある飲食店の中から、
弊店をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
しかしながら、せっかくご来店いただいたにも関わらず、
私どもの配慮が足りずに、楽しいお時間を台無しにしてしまい、
誠に申し訳ございませんでした。

本来ならば、お客様が心地よく、お時間をお過ごしいただけるように、
私どもが努力していかなくてはならないところ、
このような状況になってしまいましたこと、深く反省をしております。
また、焼酎の量につきましては、高江様のおっしゃる通り、現実を確認し、
今後対応させていただきたいと存じております。

誠に不躾なお願いとは存じますが、
この度の件、直接お詫びをさせていただきたく存じます。
ぜひともご連絡先をお教えいただければ幸いでございます。
何卒よろしくお願い申し上げます。 
この度は、誠に申し訳ございませんでした。
まずは、メールでのご返信となってしまいましたこと
重ねてお詫び申し上げます。

真面目に誠実にお客様と接しているつもりでも、時には、行き違いもありクレームが起きることが稀にある。私どもも、クレームが起きてしまった以上は仕方がないので、お客様に素直に謝り、「何故、そうなってしまったのか? 同じような失敗をしないよう対策を練る。」その積み重ねしかないと思っている。ある意味、クレームを言ってくれるお客様は応援団でもあるのだから。

竹工房オンセ

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日本橋三越 5

2007年07月08日 04時55分25秒 | 職人仲間

77_010 実に怪しい、あまりにも怪しい二人である。

一人は企画会社の「小山」さん、毎朝、無い知恵を絞って、朝礼で一言の薀蓄を披露する。しかし、実務の裏づけが無いので、言葉が薄っぺらだ。もう一人が、今回の三越の職人展担当の「金子」さん。職人仲間からはねずみ年生まれなのに、「かねこ」の「ねこ」を取って「ネコ」さんと呼ばれている。実に良く動いてくれる、この人在っての「職人展」であろう。デパートの担当者で私が良く引き合いに出すのが、渋谷東急の津田さんであるが、この金子さんも出店業者からすると、無条件で支持してくれるデパートの中の人だ。こまめに会場内を歩き回り、一人一人と深いつながりを持っている。仕事がやり易いように!上から押し付けるような素振りはまったく無い。デパートと業者の対等の関係を守ってくれる、数少ない催事担当者である。

77_016_3 毎年1回、この日本橋三越でしか会えない業者もいる。そんな中、いつも1回だけ集まって杯を交わすメンバーがいる。年齢的に言うと、職人展の中には長老的な存在のグループ、その下に中堅どころが集まった50台後半のグループ、その下の「中の下」という感じの集まりである。靴屋の杉浦君、銅器の島倉君、濫胎漆器の井上さん、しな織りの石田さん、私、今回始めての参加は北海道の帽子屋さんの高橋さん、みんな、真面目な連中である。

77_017 今回も一年ぶりの杯を交わすに当たり、この一年で感じたこと、また、これからの夢などを一人づつ話していく、みんなも決して茶化すことなく、最後まで聞いている。途中で割り込んでくるのは靴屋の杉浦君だけか?

こんな、真面目に仕事や生き方を語り合える集まりも珍しい。三越の社員の「高橋」さんも参加して、楽しい時間を過ごすことが出来た。来年もまた、このメンバーで集まることが出来れば幸いである。

77_021解散間際、「金子」さんが乱入、飲み放題の人員に入っていないのに、一緒になってタダ酒を飲んでいた。

最後に一年を感謝してみんなで記念撮影!

竹工房オンセ

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家庭画報

2007年07月07日 03時45分59秒 | 職人仲間

Pim0004_2 日本橋三越の催事場に来られたお客様に「家庭画報に載っているのはどれですか?」と問われた。「エッ」一瞬何のことか?判らなかった。(私は7月3日から、出張中のため、家に届く郵便物を見るのは出張から帰ってからだ。)実は昨日あたりから、全国の家庭画報愛読者40万人に「2007家庭画報ベストセレクション」という100ページくらいの冊子が配られている。その中に私のバッグが載っている。特に今年は家庭画報用に作り込んだ、「時代篭」がひと際目を引く。

お客様がそのページを切り取って「この篭はありますか?」と。やはり、メディアの反響は大きい。特に家庭画報のような歴史も信用もある一流紙では尚更だ。結局、この「時代篭」の現品は無いので見ていただくことは出来なかったが、お話しているうちに、どんどん気持ちが入ってこられ、最終的には最高級品の「波網代のA-4サイズのバッグ」をお買い求めいただいた。たいそう気に入って頂き、持ってみえた自分のバッグをデパートの紙袋にいれ、竹のバッグを早速提げてお帰りになると言う。良い作品に出会えた喜びと、この場での私との遣り取りを本当に喜んで頂いた。ありがとうございます。

今回、感心するのは、日本橋三越の本店長が会場内やデパートの中を実に腰を低くして(威張ったそぶりはまったく無い)よく歩いている。お客様に売り場を聞かれると、一販売員として、丁寧に説明している姿を何回も見た。踏ん反り帰って、偉そうに歩いている店長もたくさん見受けるが、三越の本店長が一般社員と同じ目線で接客しながらデパート内を巡回しているのは、私達、業者から見ても好感の持てる姿勢だ。

Photo_66この人が本店長ではない。この人は単なる徘徊者。訳の判らない駄洒落を言いながら、店内をうろついている怪しいオッサンだ。今回の「職人展」の催事を担当している企画会社オープン・ザ・フィールドの「平野」社長だ。たんたんとしていて気負ったところがないと言うか?何にも考えていないというか?   でも、人を裏切らない、威張らない、職人の気持ちが分かる、目立たないが黒子に徹した信頼の置ける社長だ。会社の名前もただ単に「平野」を駄洒落で英訳した名前だそうだ。駄洒落のレベルはたいしたことはない。

今回の三越での「職人展」も、三越の担当者の「金子」さんと、最初は片隅の小さな場所からスタートして、今では本店大催事場を目一杯使うほどの名物催事に育ててきたのだ。何にも考えてないような顔をしても、やることはやっているのだ。これからも我々のサポートを宜しくお願いしまっせ!

それと7月7日、今日は私の大親友「恵文」さんのお兄さんの誕生日だったなー。何故か?7-7と語呂が良いので覚えてしまった。お元気でやってますか?オメデトウさん。

竹工房オンセ

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