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高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

若狭の塗箸

2009年05月16日 08時57分18秒 | 職人仲間

今回、私の後ろのブースは若狭の塗箸屋さんである。金・銀・ラデンなど煌びやかに装飾された塗箸である。使い勝手は断然、「竹箸」の方が良いのだが、見た目に美しく可愛らしいのも、魅力の一つである。

515_011 長髪を後ろに束ねた姿は独特の味わいがある。

2年前のNHKでの朝の連続ドラマで、「ちりとてちん」が放映されたが、その時の主人公の実家が若狭の塗箸職人の家であった。テレビの影響は凄まじい物が在り、「ちりとてちん」が放映されている間に、日本中に若狭の塗箸のブームが起こった。

それまで、倉庫に山の様に積まれたお箸の在庫がいっぺんに空になったそうだ。それ以降、今でもブームは続いており、製造が追いつかなくて在庫が溜まることは無いそうだ。本当にテレビの影響は大した物である。

515_012 江戸時代に下級武士の内職として始まった若狭の塗箸。明治の初期に一旦、潰えたそうだが、また復活し今に至っている。このお箸が若狭塗りの代表の柄だそうだ。砂浜に浮かぶ貝殻をイメージしているそうだ。

日本の人口が一億三千万人。毎年、若狭の箸組合で作るお箸の量が一億五千万膳。毎年、毎年、この作られたお箸はいったい何処に行くのだろう?

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出会い

2009年04月04日 07時47分59秒 | 職人仲間

今回の銀座三越での催事の中で、特筆すべき出会いがあった。三越のバイヤーの紹介で、手作り鞄の職人さんと出会うことが出来た。先日、バイヤーと一緒に私の売り場にやって来た。

44_024 スマップの草薙くんに似た感じで、誠実そうな表情の小松さん、同じく、手作り靴の職人さんの高野さんと二人でお店を出している。まだ、若いのに銀座でお店を構えているなんて凄い!

昨日、三越の閉店後、お二人のお店にお邪魔した。大通りから少し外れたビルの2階に彼らのお城があった。作品を手に取って見ると、どの作品からもピーンと張り詰めた緊張感が伝わってくる。選び抜いた材料で、丹念に丹念に作り上げていく。職種は違うけれど、彼らの生き方、考え方が作品に表れている。

44_019

どれも本物だけが、かもし出す存在感がある。これほどの作品なので、お値段も相当なものである。しかし、鞄も靴も半年先まで注文が詰まっているそうだ。

鞄職人の小松さんに私どもの「竹の編地」を使って試作していただくことになった。これはもう、「商売ベースで考えるものでなく、お互い何が出来るか?面白い物を作ってみたい!」そんな気持ちでコラボすることになった。折角頂いた、素敵な職人との出会いです、長いお付き合いをしていきたいと思います。

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みんなに助けられて

2009年03月13日 07時20分10秒 | 職人仲間

昨日、東京の手作り革靴の杉浦君から電話が入った。正月に日本橋三越に持っていった「竹と革を合わせた財布」など、革を使った新しい作品群を見て、革を扱う職人としていろいろアドバイスしてくれた。アドバイスだけでなく、具体的な提案までしてくれた。

私は日本の竹の性質は世界的に見ても、最上級に位置すると思っている。この革と合わせた製品群は、何時か必ず世界の市場へ広がって行くと信じている。それには、もっと革のことを知り、作品として磨き上げていかなくてはならない。

来週から横浜高島屋へ出張で出かける前に、一日早く東京入りして、杉浦君に革屋さんや、革職人さんの所へ連れて行って頂く事になった。一日、時間を使って付き合って下さる。本当にありがたい事だ。

杉浦君は、大学を卒業後、地元の信用金庫に就職。信用金庫時代に様々な中小企業の経営を見てきている。物事を客観的に分析し、今何を優先的に遣るべきか?冷静に判断できる。その事は杉浦君にとって、大きな財産となっている。現在は家業の靴屋さんを、お父さん・お兄さんと一緒にやり、新しい販路作りや製品開発をしている。

http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20080705

真面目で明るい性格から、いろんな人に可愛いがられている。いつも、日本橋三越で勉強会を開く、メインメンバーである。

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日本橋三越 10

2009年01月12日 04時38分45秒 | 職人仲間

長かった2週間の日本橋三越での「巧の技展」も、いよいよ本日で終わりである。結果的には全体でも、「出だし好調、中盤の中だるみ、後半の追い上げ!」とこんな感じで、前年と殆んど変わらない売り上げが出来上がったそうだ。この、経済状況を考えると稀有な事と言わざるを得ない。「さすが三越本店!」「さすが金子組!」

私のところも、「中盤の中だるみの時はどうなるのだろう?」と気が気でなかったが、商品の性格上「こんな物か?」と納得するような数字になってきた。ありがとうございます。

110_006 昨日は、ミラノの展示会でお世話になった、ジェトロ(海外貿易振興協会)の那須さんがお母さんとお見えになり、今回発売したばかりの「本革と竹の名刺入れ」をお買い上げ頂いた。彼女は3年間、大分ジェトロに赴任していたのだが、その3年間を丸々、我々「海外事業展開グループ」の支援に当たってくれた、無くては為らない人であった。「私たちと出会うために大分に赴任していたのでは無いか?」と思うほどである。

最近、オッサンばかりの紹介が多かったので、今日のブログは綺麗どころばかりの掲載にしよう。

110_005香川県から来ている「トンボ玉」の二宮さん。お母さんと一緒に出店されている。母娘とも、このブログの読者だそうだ。彼女のことは、靴屋の杉浦君から聞いていた、「真面目で、可愛くて、とてもとても良い娘です!」とベタ褒めである。「今度、機会があったら、我々の勉強会に参加したら」と話してあったそうな。

確かに、会って話してみると、杉浦君が言ったとおり、「真面目で、可愛くて、良い娘」であった。私が特に印象的だったのは 、背筋が凛と伸びて歩いている姿である。

是非、次回は「勉強会」でご一緒しましょう!

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日本橋三越 6

2009年01月06日 07時39分28秒 | 職人仲間

三越での2週間の催事も折り返し地点、数件の業者が入れ替わりをした。我らが福ちゃんもお父さんとバトンタッチである。そんなこともあり、日本橋三越に来た時だけ集まる飲み会をした。メンバーは、しな織の石田さん、籃胎漆器の井上さん、銅器の島倉さん、革靴の杉浦君、それに私のいつものメンバー。そこに、新しく参加した伊万里焼の福ちゃんと錫器の岩切君、紅一点の三越社員の高橋さん。杉浦君はこの飲み会のことを「勉強会」と呼んでいる。

私にとっても、この飲み会はこの半年を振り返って、またこれからの目標を確認する時間でもある。真面目なメンバーばかりなので、こんなメンバーで盛り上がるのかい?と思う方もいるだろうが、馬鹿騒ぎをしないだけで、各人の発表のときはみんな真剣に聞いている。それぞれに抱えた問題があり、向かうべき方向などを聞いていると、自分の立場と置き換えたり、比べたりして、随分刺激になる。発表している本人も、言葉にすることで自分の気持ちの整理をしたり、目標の確認をしている所もある。人が発表している間は、決してちゃちゃを入れる人は居ない。新参加の「福ちゃん」は「5人以上の前で話をすると上がってしまって緊張するんです。」といいながら、普段より少し上ずった声で発表していた。

8時半から始まったのだが、あっという間に時計を見ると11時近くになっている。中身の濃い時間であった。

お店を出て、みんなで記念撮影 パチリ。

15_007

この写真は恒例化して行きたいね!

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佐志生工芸村 来福堂 2

2008年12月23日 10時55分16秒 | 職人仲間

1221_0311今回「来福堂」に遊びに来たのは、「仲間内の音楽会を楽しんで貰いたい!」という事で企画されたパーティーである。毛利さん意外は、セミプロ級の人達だが、ご本人は決して旨くは無い、というより、音痴である。でも、この半年、素人ながら一生懸命練習し、持てる力を精一杯表そうと思っていることは充分伝わってくる。

経営者として、こんな立派な功績を作りつつ、音楽まで旨かったら、出来すぎですよ!

そういえば、私の所でも、以前「優しい男のピアノコンサート」と銘打って、素人ばかりの父ちゃん8人が、弾いたことの無いピアノを毎日毎日練習して発表会をした事もありました。何とその時私が弾いたのはプレスリーの「好きにならずにいられない 」であった。1221_0221また、機会を作って再挑戦しようかな?

音楽を聴きながら、あちらこちらで話が弾む。

しこたまワインを飲んで、良い気分!

1221_0361我らが竹細工の重鎮「油布」さん と、この別嬪さんは毛利さんの奥さんの「ムッちゃん」だ。ホームパーティーをすると、一番大変なのは、奥さんである。旦那は、お客さんを迎えて気分良く盛り上がるが、準備から、料理や片付け、その他こまごました事すべての事が奥さんに圧し掛かってくる。しかし、ムッちゃんはそれを楽しみながら、愛情を込めて旦那を家族を見ている。やはり、良い女房が旦那を育てるんだね!

1221_0411最後にノウテンキなオヤジが 3人で記念撮影。パチリ!

9時過ぎまで、飲んで騒いで楽しませて貰いました。また、来年も参加できると良いですね。

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佐志生工芸村 来福堂 1

2008年12月22日 11時41分05秒 | 職人仲間

大分県臼杵市の佐志生工芸村 「来福堂」に行ってきた。先日のミラノメンバーの一人、毛利達男氏が経営する会社である。今年の5月に新社屋を建てて、オープンしたばかりだ。オープニングレセプションには、私は出張中で参加できなかったため、初めての訪問である。

1221_0021別府市から 車で1時間、大分市内を抜けて、坂ノ市、佐賀関、そして臼杵市内に入る。県道を走っていると佐志生の家並みが見える所に、突如、プラネタリュウムの様な建物が目に入ってくる。驚くほど大きな建物である。

1221_0051 古民家から移築した格子戸の玄関。「にじり戸」を意識しているのか?小さな入り口を跨ぐようにして入っていく。外から見るとコンクリートの打ちっぱなしの、現代建築だが、中に入ると古民家を思わせる落ち着いた雰囲気になる。

広々とした空間を贅沢に使った作業場だ。この日は音楽会の為、スポットや照明がまぶしく、「何処かのクラブだ。」と言っても可笑しくない雰囲気になっている。

建坪70坪、10台ほどのパソコンがあちらこちらに置かれ、デザインから製作、発送と全体が一つの大きな部屋で簡潔するように出来ている。20台の若いスタッフばかりで、活気がある素晴らしい作業場だ。

1221_0241 印象的だったのは、あちらこちらにぶら下がっている洗濯挟みだ。商品の原画が乾くまで、ぶら下げる為なのだろうが?それが、全体の中のアクセントとして、とても目を引いた。

展示室や作業場、発送場など何処を見ても「凄い!」唸るばかりである。              つづく

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陶磁器業界のイチロー

2008年09月26日 08時08分47秒 | 職人仲間

今回は浦和伊勢丹で目の前に伊万里焼の福右衛門窯の福ちゃんが居る。いつものブーフーウー仲間としてではなく、同じ出展業者として見ていると実にいろんな事を勉強させられる。大変厳しい、陶磁器業界にあって、着実にヒットを打ち続けている男なのだ。
925_001 毎年、毎年、作品に新しいシリーズが増えている。
彼の所でも、以前はオールド伊万里に代表される、錦絵具(赤や緑、金などを使った煌びやかな)がメインだった様だ。しかし、どうしても高額な作品群になってしまう。その中で、彼は蕎麦チョコシリーズに始まり、丼ぶりシリーズ、茶碗、小皿、中皿、マグカップ……と、3000円から10000円くらいの、お手ごろ価格の手描きシリーズをどんどんと展開してきた。
925_002 一度にたくさんお買い上げ頂くのでなく、今年はお皿を一枚……、来年はお椀を一個……、再来年はマグカップを……と、確実に先に繋がる売り方をしていく、お客様に無駄な負担をさせないで、知らず知らずの内に福ちゃんワールドの中に引き込んでいく。確実にお客様の輪を広げている。
925_026 そして何より、あの明るいキャラクター。いつもドナルドダックの口のように両サイドの口角を上げて笑顔を絶やさない。お客様の言う事を100%受け入れていくの?かの様な 首振り、決して横には振らない。張子の虎の様に縦にいつまでも振り続ける。懇切丁寧な粘り強い接客、小さい子供に説明するように、噛んで含んで、雛を手の中であやす様に説明している。
お昼の食事休憩も取らず、一日中ずーと接客する辛抱強さ。どれを取っても、マリナースのイチローに匹敵する彼である。見えない所で人知れず努力をしているの
だと感じさせられる。
私達工芸に携わるものは、どの作品を取っても生活必需品は無い。ある意味、余分な嗜好品を気持ち良く買って頂くにはどうすれば良いのか?福ちゃんの商売を見て勉強させられました。  マイッタ!

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披露宴 2

2008年09月23日 06時58分58秒 | 職人仲間

Cimg8160

声楽家である新婦の歌が披露されたり、友人のスピーチ、どれもが心のこもった物ばかりである。どれもが型破りで、これまでの二人の人生模様が伺えるスピーチである。その中で圧巻だったのは、最後の多田さんのスピーチであった。実に堂々と歴史に残る名演説であった。

「私も今年45歳になり、もう15年もすると60歳。そろそろ引き際を……、」飾ることなく、淡々とこれまでの生き様、二人が出会ってからの経緯、その中で「私は小さいときは母親の子守唄に始まり、学生時代はエルトン・ジョン、そして最後に愛深の歌に、いつも音楽に包まれた人生です。音楽の神様が私と愛深を結びつけてくれたのです。」と言ったときなどは本当にかっこ良かったですよ!

最後に「お父さん、本当に待たせたね!ありがとう」と目に涙を浮かべながら…。つい、こちらまでホロッとしてしまいました。

Cimg8166 最後の衣装は、多田さんは紋付袴で、何処かの組長みたいですが、新婦の着ている着物は多田さん手作りの総絞りの藍染の着物でした。何から何まで思いのこもったすばらしい披露宴でした。

おめでとう!

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披露宴 1

2008年09月22日 06時15分33秒 | 職人仲間

Cimg8140 「ブーフーウー、最大の懸案」であった多田さんの結婚式。

これから、披露宴に向かうブーとフー。珍しくネクタイをした二人の写真。福ちゃんはいつも頭を張子の虎の様に首を上下に振っているので、写真でもぼやけている。

ついに、ついに、出会ったのだ。「もう彼も今年は45歳、このまま行けば結婚は無理じゃ無いだろうか?」と、回りの誰もが感じ始めて居たこの頃であった。それが、今年の4月、起死回生のホームランを打ったのだ。多田さんより一回りも若く、スラッーとした別嬪さんを射止めたのだ。あっと言う間の出来事であった。初めて出会った日から1週間で、お互いが「結婚しよう!」と決意したそうだ。

大体が、いつも極端な多田さんだ。以前、「私が健康の為、朝歩きをしている」と話したら、翌日「高江さん、唯歩くより、何か目標を決めた方が良いですよ! 一緒にホノルルマラソンに出ませんか!」と誘われ、結局、何故か「屠場に引かれる牛」の様にマラソンに参加していた。その翌年にも「、ブーフーウーで何処か山歩きをした後忘年会をしよう?」と私が提案すると、「富士山に登りましょう。日本人なら富士山でしょ!」と言う。そうなんです。いつも極端な事を言うのだ。やはり、結婚も出会って1週間でプロポーズ!三ヶ月で結婚と離れ業を遣って退けた!

結婚式は終始、新郎新婦の思いの伝わる楽しい披露宴であった。いたるところにこれまでの二人の交友関係を偲ばせるイベントが用意されていて、久しぶりに心温まる良い披露宴に参加した。「やはり、年を取ってからの結婚式は中身が濃いですなー。」途中で、多田さんの友人のバーテンダー達が150杯のカクテルタワーが作り、そのカクテルの名前を多田さんが命名、その名は「ずっと一緒さ」だって。見てやって下さい、この幸せに満ちた顔を!

竹工房オンセCimg8163

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新潟 島倉堂

2008年09月15日 09時15分00秒 | 職人仲間

14日、クルムの「よさこい踊り」の会場回りの合間に少し時間があった。新潟には、いつも日本橋三越の職人展で一緒になる、新潟銅器の島倉さんの工房があるのを思い出し尋ねてみた。突然の訪問であるが、気持ちよく迎えて頂き感謝である。彼の人柄が、遠慮なく尋ねさせてくれるのだろう。

新潟市から車で30分ほど行った所に工房がある。新潟と言えば米どころ。行けども行けども回りには田んぼが続く。道も高速道路と平行して、大きな広いフリーウェイが走っている。これはきっと田中角栄の頃の遺産であろう。

燕市の中心から少し行った所に「島倉堂」の工場が見えてきた。いつも笑顔の島倉君が迎えてくれた。工場に案内してもらい、少しお話を。ちょうど今、年末の日本橋三越に持っていく作品を制作している所であった。平ペッタイ一枚の銅版を叩き出して急須やカップ、茶筒、etc……。

後から、お見えになったお父さんが島倉君と一緒に工場を案内してくれる。038 裸一貫でこの島倉堂を立ち上げた創業者である。いろんな道具を説明してくれるのにも、すべてに思い入れがあるのだろう、お話しがどんどん熱を帯びていく。私が驚いかされたのは、大きな旋盤が3台も並んでいた。この機械は鉄を削る機械で、銅器を作るのには使用しない。銅を叩く時の治具(型の様な物)を作る機械なのだ。島倉さんの所では、金槌から、木槌、受け型などすべての道具を作るそうだ。無数の冶具が所狭しと並んでいる。壁に掛かった姿は圧巻である。工場の半分くらいは道具を作る機械や作業場である。それほど、一つ一つが特殊など道具で、もう鍛冶屋さん達も作らなくなってしまった物ばかりなのだ。

お話をしていると、同じ創業者としての共通点が見えてくる。創業当時の事をお聞きすると、業種は違えど、随分「一緒だ!」とうなずく所がありました。

044

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041忙しい中、島倉君が絞りの技術を見せてくれた。これは叩き出すので無く、鉄のへら?棒の様なもので回転させた板に圧力を加え整形していく技術である。見ている間に、平らな板が急須の蓋へと変わっていく。すばらしい技術ですな。

日本橋でもいつもまじめな島倉君は朝から晩まで、会場でも銅を叩き続けている。決して気負った所は微塵もなく、淡々と仕事をこなして行くのである。

突然の訪問で、手土産も持たずにお邪魔したのにも関わらず、本当に気持ちよく迎えて下さりありがとうございました。いつも、工房見学を受け付けるばかりだったので、今回の様な他の工場の見学は大変参考になり勉強になりました。お父さんいろんなお話ありがとうございました。 

竹工房オンセ

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松戸伊勢丹 4

2008年08月25日 08時12分17秒 | 職人仲間

雨ばかりが続いた松戸伊勢丹、愚図ついた天気と同様に工芸チームもみんなイマイチの売り上げである。翌日はもう最終日片付けでそれぞれがバラバラになってしまうため、「ブーフーウー&ドット」チームと48年組の田川、岩切の合計6人で元気付けに焼肉屋へ、

825_002

ホットペッパーで調べた結果、新松戸の「炭火焼ホルモンダイニング・とら」にやって来た。お肉はホルモン、カルビとまずまずである、生肉がなかなかで、レバ刺し、コブクロ刺しまで揃っていた。「飲み放題付きコース」を頼んでいたので、最初は生ビールで乾杯。しかし、少し回転が悪い性か?旨みが無い!2杯目から瓶ビールに変更すると店員がちょっと戸惑っていた。「嫌な客だなー 」と思っていた事だろう。

「嫌な客だなー」で思い出したが、みんなでワイワイ遣っているうちに、「今日のレジは最悪だなー」と一言。それが切っ掛けで、今回の九州展の工芸に付いたレジ係への文句が出ること出ること。これほど、業者全員からクレームが付くレジ係も珍しい。憮然とした態度でキツイ口調。こちらが「お願いします」と言っても返事もしないばかりが、横を向いている。レジトレーを戻す時でも顔も見やしない。最低ーなヤツだった。あの我慢強い福ちゃんも、私もムカムカしていた。休憩時間に違うレジ係が来た時思わず「お姉さんが来たら、レジが急に明るくなったねー」と言ったら、回りの業者全員が大きくうなずいていた。

825_001 好い加減飲んで食べて帰る時、みんなで大笑い。何か?と言うと、いつもブーフーウーに混じって年下だが生意気な口をきく田中ちゃんに鹿児島の岩切君が愛情を込めて教育し始めた。鹿児島は上下関係には厳しく、特に目上の者に生意気な口をきいていると先輩からギューという目に合わされる。そんな体育会系の岩切君から見ると、田中ちゃんの我々に対する話し方が我慢できなかったのだろう。(決してマジで怒っているのでは無いが)みんなも、少し困った顔をしている田中ちゃんを見て、大笑い。いやー、痛快でした。

この痛快さを持って、最終日は沢山売れますように!

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ブーフーウー&ドット

2008年08月22日 08時28分11秒 | 職人仲間

ブーフーウーの3人組にオマケが一人。「ドット」と呼んでます。松戸伊勢丹は比較的静かな店なので、夕方を過ぎるとお客様も疎らで殆どいない。そこで、4人が揃うのもこの回が最後という事で記念撮影。

821_009

後ろの3人が比較的年齢的に近い、一人だけドットの田中君だけが年が飛んでいる。一番老けて見えるがまだ、31歳である。私とは22歳も違うので、ある意味、親子みたいな年齢差であるが、何故か、コイツのキャラクターか?タメ口である。藍染めの多田さんは6月に結婚したばかり、来月21日に改めての披露宴である。今は幸せの絶頂期、人生がばら色なんですよ!藍染めが薔薇染めに成りはしないか?と心配である。ひょうきん者の福ちゃんは相変わらずギャクの連発である。私は私で、少し太ってきた体型を気にしている。

こんな4人で写真を取れるのも今年でおしまいかも知れないな?

竹工房オンセ

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薩摩切子

2008年08月18日 08時36分40秒 | 職人仲間

今回の新宿伊勢丹でのお向かいさんは「薩摩切子」の薩摩ビードロ工芸。独特の重みのある工芸品である。江戸切子とよく比較されるが、江戸切子より厚みがあり、ガラス精製からしている処が大きな違いである。ガラスの溶解から色被せ、成形、徐冷の行程が非常に大変である。ガラスの場合は陶芸の様に焼く時だけ、窯に火を入れるのでなく、24時間絶えず火を絶やさないように燃やし続けなくてはならない。その分、カットだけの江戸切子とは値段が違ってくるのは当たり前の話である。色被せにしても、自分の工房でコバルトや金を混ぜて色作りしていくのである。

江戸切子の方が軽快な繊細な模様を切り出すのに対して、厚いガラスを深く切り込んでいくので、ぼかしの模様が作り出せるようである。どちらが良いか?というもんだでは無く、「訳あって、このお値段でス!」と言うところを判ってもらえるか?どうかであろう。営業の坂本さんが「職人が続かないのですよ!一人前になるのに15年かかりますから」と。

120年間薩摩切子は作られていなかった。1851年に薩摩斉彬によって誕生させられたが、「薩英戦争」によってたった10年で途絶えてしまったそうだ。仕事場が無くなった職人達が大阪や江戸に渡り、現在の江戸切子などの下地を作ったようだ。

818_006 818_005  昭和60年に復元された薩摩切子。2年前には黒切子のカットにも挑戦し、見事作り出している。光を通さない黒のカットには熟練の技術と経験が必要である。

818_008 上から覗きこむと万華鏡の様な模様が写し出される。こんなグラスでシャンパンでも飲んでみたいですな。

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小峰ラタン

2008年07月06日 06時07分53秒 | 職人仲間

20080704074526 昨日の朝歩きは、もう一度 国技館の側を通って、もっと北へ北へと歩いてみた。暫く進むとアサヒビールのう〇この形のモニュメント。更に進むと業平橋、2011年には新東京タワーが建つ所である。

その側に、あれっ?何処かで見たことがある?このビルは何処かで見たことがある!そうだ!浅草が世界に誇るコングロマリット、「小峰ラタン」だ。下町の小さな企業が今は世界を征服しようとしている。全世界の後期高齢者をターゲットにベットや椅子、杖、抱き枕etc‥‥。実は新東京タワーも小峰ラタンが広告用に建設しているとの噂も流れている。大したものである。

74_004 この快心の笑顔で全国を行脚しているのが巨大企業「小峰ラタン」の総帥「ショー・オミネだ。最近は国内だけに留まらず、中国、ヨーロッパなど全世界に支店を作ろうと、いろいろ画策している様だ。

70歳を過ぎて、パソコンに挑戦、今では、右手人差し指だけでも、毎分100文字以上をキーボードで叩くという。片手でマシンガンの様にキーボードを叩く姿は驚くべきものがある。

先日の倉員さんは60歳を前に引退されたが、この「ショウ・オミネ」は益々盛ん。得意のマシンガントークは健在である。ショウ・オミネの作品が世界を征服するのも、もう直ぐである。

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