中村哲医師、亡くなる。
こういう方が亡くなるのは本当に残念。同じ用水路や灌漑設備を作る援助を国がするのとNPOなどの民間がするのとでは、かかる費用が全然違うのだと、以前、中村哲氏がメディアに語っていたのを聞いたことがある。さらに援助の難しさは、一方の地域でやれば、援助されない地域やその地域部族から非難の声が上がる。それと援助に群がる様々な人とのやりとりや仕事の分配の公平性にも難しさが伴う。援助する側の一方的な思いや正義感はなかなか理解されないと話されていた。
現地の人から理解され尊敬もされきた。彼はいわゆる援助のプロだったと言える。けれど、それでも安全の担保などなかった。部族支配の強い、アフガニスタンはそういう土地なんだろうと思う。
彼が亡くなったジャララバードはパキスタン国境から比較的近いところにある。1998年の7月にこの町に滞在したことがある。パキスタン側から来ると、アフガニスタンで最初に出会う町らしい町だ。彼が率いる「ペシャワール会」の現地本部がこの町にあった。1998年当時はタリバンの統治時代で、当時、多くのNPOや援助関係者はアフガニスタンを出てパキスタンに事務所を移していた。赤十字だけは活動していたけれど。
援助の難しさには、自分の身を守る難しさもある。ただ、彼はどこかで覚悟をしていた部分もあるように思う。
ぺシャワール会の存続は、どうなるのだろう?
合掌…。
こういう方が亡くなるのは本当に残念。同じ用水路や灌漑設備を作る援助を国がするのとNPOなどの民間がするのとでは、かかる費用が全然違うのだと、以前、中村哲氏がメディアに語っていたのを聞いたことがある。さらに援助の難しさは、一方の地域でやれば、援助されない地域やその地域部族から非難の声が上がる。それと援助に群がる様々な人とのやりとりや仕事の分配の公平性にも難しさが伴う。援助する側の一方的な思いや正義感はなかなか理解されないと話されていた。
現地の人から理解され尊敬もされきた。彼はいわゆる援助のプロだったと言える。けれど、それでも安全の担保などなかった。部族支配の強い、アフガニスタンはそういう土地なんだろうと思う。
彼が亡くなったジャララバードはパキスタン国境から比較的近いところにある。1998年の7月にこの町に滞在したことがある。パキスタン側から来ると、アフガニスタンで最初に出会う町らしい町だ。彼が率いる「ペシャワール会」の現地本部がこの町にあった。1998年当時はタリバンの統治時代で、当時、多くのNPOや援助関係者はアフガニスタンを出てパキスタンに事務所を移していた。赤十字だけは活動していたけれど。
援助の難しさには、自分の身を守る難しさもある。ただ、彼はどこかで覚悟をしていた部分もあるように思う。
ぺシャワール会の存続は、どうなるのだろう?
合掌…。