ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ピーター

2009-04-21 18:50:27 | 旅行(海外)
バリはこれまでに3度訪れている。初めては1991年だから今から
18年も前になる。2度目は8年前の2001年だ。

このうちで最も印象深い思い出があるのは、8年前に訪れた時のこと。
クタの安宿でしばらく滞在していた時に、毎日夕食に通っていた屋台
があった。宿から歩いて10分ほどのその屋台は、いわゆる集合屋台で、
いくつもの小さな屋台が集まってできていた。そのうちの1つにやさし
そうなおじさん一家がやっていた屋台があった。

ある日、夕暮れ時のいつもの時間に行くと、おじさんの屋台のテーブルに
一人の白人男性が座っていた。座るとすぐに話しかけてきたので、その日は
この男性と同じテーブルを囲むことになった。

男性はメルボルンに住むピーターというオーストラリア人で、歳は50代後半。
聞くところによると何やら会社を経営していたそうで、かなりのお金持ちで
あった。頻繁にバリを訪れているようで、来る時はいつもファーストクラスだと
話していた。また、宿泊しているホテルからもそれは伺えたが、ここの
屋台のおじさんともすでに友人ほどの親しげな関係であり、人も悪そうでは
なかったので、結局、数時間も話込んでしまった。
なぜこんなお金持ちが、このような小汚い屋台に来るようになったのかは
聞きそびれてしまったが…

中でも、今回はここで日本人の20代半ばの恋人と待ち合わせていること、
その後、その恋人とメルボルンで暮らすことなど、何だが本当に幸せそうに
話していたのがとても印象的であった。

もちろん、日本の20代半ばの女の子が、本当にこのおじさんと真剣に恋愛
しているのかちょっと疑問ではあったが、話を聞くと電話では頻繁に話して
いるようなので、仮にお金目的であったとしても、「そういうのもありか?」
くらいに思っていた。

それから、次の日もそのまた次の日も、その屋台でピーターと話した。
結局ピーターと合席した日のお勘定は、全てピーターが払ってくれた。
というか、絶対に払わせてくれなかったのである。

それから私はしばらくの間、東ティモールを訪れる為にバリを2週間ほど
離れた。もちろん帰ってきたらピーターと彼の彼女に会えるのを楽しみに…

しかしその日以来、2度とピーターに会うことはなかった。

2週間後、バリに戻った夜、いつもの屋台に行くと屋台のおじさんが、
目を真っ赤にしながら、2日前にピーターが亡くなったと教えてくれた。
ホテルの部屋で大量の薬を飲んでいたこと、翌朝ホテルの従業員が彼の
遺体を発見したこと、そして遺体はピーターの妹がメルボルンから引き取りに
くることなど…

話からはそれが果たして自殺だったのか、単なる事故だったのかは
わからなかった。屋台のおじさん自身も、それはわかないと話していた。
結局、例の恋人も屋台には来なかったようで、はっきりしたことは何ひとつ
わからなかった。

ただ、これはあくまでも推測だが、ピーターはバリに来た日本人の恋人と
会い、今後のことについてちゃんと話したのではないかと…
その話の中で、彼女はメルボルンには行けないとピーターに告げたのでは
ないかと…。そのことに悲観したピーターは、大量の薬を飲んで自ら命を絶った
のではないかと…

20代半ばの女の子の気持ちなど移ろいやすいものである。一度は期待を
持たせることを言ったとしても、時間が経てば簡単に変わってしまうことも
あるのではないか…?

全ては推測だが、その日はあまりにもショックで、そんなことをずっと
頭の中で考えていた記憶がある。

今回8年ぶりにバリに行き、久しぶりにピーターのことを思い出した
次第である。

おそらく、今後もバリに行くたびに彼のことを思い出すのかもしれない。

















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