一時旧暦9月大26日
鳥取地震の震源の中心は倉吉市周辺で甚大な被害が出ているとの報道に心を痛めている、特に倉吉市は我・生誕の地でことのほか心が痛がむ。
21日の本震の後今日10月26日までも可成り大規模な余震を含め数百回の地震が起きており不安と不便な毎日をお送りのことですが速やかな終息を祈っています。
1934年10月25日私が生まれた当時父親は郡是製糸倉吉工場に勤めて務めていた。
[以下父の回顧録]
『その年9月21日関西地方を襲った室戸台風は関西を中心に広域に亘る大惨害をもたらし、倉吉町(当時)も町周辺を流れる小鴨川の氾濫と山津波で一夜にして全町泥土と化し、所によっては家の中に泥土の山を築く大惨事となる。
夜半盥の水をぶちあけるような激しい雨音に眼を醒まし様子を見ようと玄関に来て吃驚仰天、戸を開けるまでもなく玄関の履物がプカフプカと浮いているではないか。急ぎ皆を起こし荷物や家財を二階に上げ、畳は台をこしらえてその上に積み重ね、恐ろしく、長い夜を耐えて夜明けを待つ。
勿論、隣家にも行けない、水はもう少しと云うところで床上まで上がらず、雨が小降りになると共に徐々に水位は低くなった。夜が明けてからのことである。
市内は終日泥水に悩まされていた。二、三日して汚水は引いたが各戸とも概ね泥水と泥土が残っている。山津波を受けた付近の家は床上まで泥土に埋まる。テル(母)は次男(私)の産まれる前月である、泥水と泥土の運び出しに狭い床下にもぐりこみ激しい作業に数日を費やした、その重労働は今も忘れない』
嘗てはこんな被害もあったが、風光明媚な素晴らしい地で、回顧録ではこんな記事も見当たる。
『倉吉付近は温泉が多い。ラジウム含有量東洋一との宣伝を掲げる三朝温泉は約四キロ米に亘る。・・・温泉は三朝の他関金、松崎、東郷、浅津(あそづ)等三、五キロ米の地域に 澤山(たくさん)ある。中でも東郷温泉は鉄道沿線で便利がよく浅津温泉は東郷湖の大きい湖の中に家を造った湖上温泉、入浴し乍四方が眺められ其の長閑(のどか)さは何とも云えぬ風情である。この楼閣を望湖楼と呼んでいた』
父はここ倉吉工場は4年で転勤になった、天才三島由紀夫は生まれた時の産湯は赤かったと言っているとか、凡凡才の自分はここに4歳までいたことになるが全く当時の記憶はない、1日も早い復旧・復興を願ってやまない。
生誕の地、倉吉を2009年01月20日訪た時の写真を再掲する。
↑↓〝倉 吉 グ ン ゼ〟
生まれたのは、この近くである
門や事務所の建物は昔のままとタクシー運転手に聞いていたので、そのことを若い女性事務員2人に尋ねるも詳しくは知らない。
1934年9月の室戸台風の影響で近くの川が氾濫し大洪水が起こったことを話すと全く知らず吃驚していた。灯台下暗し。
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