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蘇った尼崎城

2019-04-27 21:06:21 | 歴 史

飛ばされそうなほど北風強く、冬に逆戻り季節外れの寒さ 夏になったり冬になったり
  10日間の連休初日とあってか何処に行っても大勢の人で混雑している、休みを楽しむ人がある反面休めない人やその為に普段より忙しい人々のあること、日当で働く人々の収入減に思いを致したい

 〝尼崎 霞んだ後の 晴れた空 思い出の街 思い出の人〟[愚作]

 私の半生を育ててくれた尼崎、嘗ては人口50万の阪神間に於ける臨海工業都市として発展して活況を呈したが、その「つけ」が大気汚染などの公害をもたらした
 南部の空は何時もどんより曇り、街の中心部を流れる河は泥河と化し悪臭を放っていたが今では市民や関係者の努力や熱意で完全に生まれ変わり空は青空を取り戻し、河には魚が住めるようになった

《尼崎城について》
「江戸幕府は大坂を直轄地として西国支配の拠点とするため、元和3年(1617)、譜代大名戸田氏鉄に尼崎城を築城させ、大坂の西の守りとしました。
甲子園球場の約3.5 倍にも相当する、3重の堀、4層の天守を持つ広大な城として数年の歳月をかけて築造されました。 
 江戸時代が終わり明治時代になると、尼崎城はその役割を終え、明治6年(1873)に廃城が決まった後、城の建物は取り壊され、堀も次第に埋められていったために、全くその面影を残していません。
 平成27年11月、旧家電量販店の創業者である安保詮氏から約10億円の提供があり、創業の地である尼崎において尼崎城を建築し、市に寄附するご意向が示され、平成30年11月30日竣工、平成31年3月29日一般公開となりました」[尼崎市HPより一部抜粋引用]




 






↑高い建物はホテル ↓中央には「阪神尼崎駅」赤い建物は「阪神電鉄尼崎レンガ倉庫」


*続 く

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