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戦没画学生が遺した絵画等が信州・上田の戦没画学生慰霊美術館「無言館」に収集され展覧されている。
今年各地でそれらの作品が巡回展示されることになり、その一環として今「京都文化博物館」で展覧会が開催されている。
平日にもかかわらず老若男女、小学生等も含め大勢の来館者で混雑していた。
展示の絵にはそれぞれの作者を巡るエピソードやコメントがあり、それらを読みながら鑑賞していて堪えきれずにすすり泣く声が彼方此方から聞こえる。戦争とは何とムゴイ愚かなことかを教えられる。
(絵だけでなく彫刻や鋳金作品、遺品の絵道具、ハガキや手紙、写真等も展示されている)
これらの展示物は戦争の非情、無惨を伝える一断面であり、その他無数の切り口により同じ姿が浮彫りになるであろう。
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「博物館」全景 (旧日銀京都支店)
入 口
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「旧日銀」の面影を残す入って直ぐの光景
百万言を費やしても無念の思いを伝えることが出来ないのでコメントの一部を紹介することにする。
* 達者か・・・早く帰ってこい・・・おまえには芸術があるぞ・・・。(父親より)
* 「せめてこの絵具を使い切ってから征きたい・・・」武は妻にそう言った。
* あと五分、あと十分この絵を描かせてくれ・・・小生は生きて帰らねばなりません。絵をかくために・・・。
* 孝信は出征の朝までアトリエで天の岩戸を題材にした大作を描きつづけていた。
* 「自分は、這いずってもきっと還ってくる」出征の日、久は最後まで絵筆を動かしながら、そう云った。
* この絵は妹さんを描いた絵です。二十五歳の若さで亡くなりましてねぇ
それを戦地で知った武さんは半狂乱のようだった・・・。
* お姉さん・・・生きて還ったらぼくをパリに行かせてくれますか・・・。
* ほんの一時の面会だったが、別れ際に「行きたくないよ」と妹の耳もとでつぶやいた。
* もし兄が生きて還ったら三兄弟で展覧会をやれたんですがねぇ。
* 片岡は、出征前日に〝自刻像〟を制作した。
* 新婚生活は一年あまりだった。
前田三千雄さんと妻絹子さんとの間で交わされた絵手紙は約七百通になる。
* 軍隊から帰ったらアトリエを建ててやると父は約束していた。
* 「七十になっても、八十になっても絵筆を離したくない」と遺品の日記には書かれていた。
* 兄の命も夢もぜんぶ、戦争がもつていっちゃつて・・・。
* 「兄さん、かならず帰ってきてくれよ。ふたりでりっぱな絵描きになるんだから。」
兄弟ふたりとも還ってこなかった。
* 出征しても、自分はかならず生きて還ってくるから心配しないでくれ。
* もう一度クラリネットを吹きたいなあ・・・」師範学校時代、音楽部長だった堀江は言った。
* 戦争のために愛する祖国の美しい自然がどんどん傷められてゆくのがとても悲しい。
* 自分には絵を描くという仕事がのこっているのだから。
* 自分が死んだらお経の代わりにこれをかけてくれと
いいのこしていったレコードが一日中原田家に響き続けた。