アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

評価者を評価する

2012年10月15日 21時45分11秒 | Weblog
 友人が学校事務をやっており、外部の人間が学校を視察して改めるところを指摘し、数か月後にもう一回来て、それがどのように改善されたかを評価するシステムがあるらしい。
 ところが、この「評価する人」がその任務上何かを言わなければいけないと思うのか、少々首をかしげることを言うようだ。一番笑ったのは、事務室から玄関が見えずらいが、不審者が入ってきたらどうするのか、という意見。事務長は即座に事務室と玄関の間にカーブミラーを設置したらしい。仕事をしてる時にそれを見るか? それに不審者が玄関から入ってくるか? だったら学校を10メートルの塀で囲むほうが肝心じゃないのか? 生徒の面接指導が盛んな時に、どうするこうしたで会議を開く管理職は、本末転倒。友人の怒りは語るほどに募る。

 
 学校を評価するのに、どこかの人を使うのがおかしい。学校にはそれぞれ事情があるのに、その辺を知らないで、一日ぐるっと回って、意見を言う。一体お前はお釈迦様かよ。担当者が「やってます」というアリバイつくりのために、こんなに現場に混乱を招いている。特に管理職があたふたして、学校ではなく、自分の指導力の証明のためにあたふたしてるというのは、滑稽であり、そのシステムの愚かさを示している。
 全校朝礼で、校長が「きちんと授業を受けること、居眠りしないように」と言いながら、授業観察に来たら居眠りしてたらしい。他人に厳しく、自分に甘い。文科省は、現場無視の、形だけのことばかりしている。 

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