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《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》
ではここからは次の「3 仏陀を背負ひて街頭へ」に入る。そこでは、あの妹尾義郎について論じられていた。
大谷氏はこう始めていた。
ここで、もうひとりの若き日蓮主義者を紹介しよう。昭和前期に新興仏教青年同盟を結成し、仏教社会主義運動を展開する妹尾義郎(一八八九~一九六一)である。
石原莞爾と宮沢賢治が大正九年(一九二〇)に国柱会に入会し、智学に師事したのにたいして、妹尾は大正七年(一九一八)五月に本多日生に師事し、翌年一月、統一団の専任事務に着任した。
「吾が望みは日蓮主義を弘める以外にはない。此の為に一切を捧げなくてはならぬ」。大正八年十一月十四日の日記に妹尾はこう記した。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)313p〉石原莞爾と宮沢賢治が大正九年(一九二〇)に国柱会に入会し、智学に師事したのにたいして、妹尾は大正七年(一九一八)五月に本多日生に師事し、翌年一月、統一団の専任事務に着任した。
「吾が望みは日蓮主義を弘める以外にはない。此の為に一切を捧げなくてはならぬ」。大正八年十一月十四日の日記に妹尾はこう記した。
この妹尾については、以前、理崎 啓氏の著作『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(哲山堂)を通じて少しく知った。私は、賢治は社会主義者や共産主義者でなかったとしても、結構それに近い考えや行動をしていたと思っている。それに対して、一般には賢治は法華経を信仰していたからそのような主義者ではなかった、という論理が適用されているかなとも思っていた。ところが、理崎氏のこの著書によって、〝日蓮主義者にして社会主義者・妹尾義郎〟という人物を知り、この論理はいつでも通用するわけではないということを学んだのだった。
さて、大谷氏は続けて、
・新渡戸稲造の影響
・病魔と豆腐屋
・……
と項立てて順次論じているのだが、これらの内容については既に以前〝『理崎 啓氏より学ぶ』〟の中の〝第二章 『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』〟で一度同様なことを投稿しているので今回は割愛させてもらい、次回は「最初は智学に影響」という項に飛びたい。
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