みちのくの山野草

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「大地このまゝ常光土」

2020-02-13 14:00:00 | 法華経と賢治
《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》

 さて、先に私は
 賢治は「国土」を重視していたらしい。
というこは何とかわかった。では、肝心の賢治の国土観はどうだったのかというと、大谷氏は「大地このまゝ常光土」という項において、次のように述べ、推測していた。
 では、賢治の国土観はどうだったのだろうか。…投稿者略…賢治は他の日蓮主義者が関心をもった「国家と宗教」の関係でなく、個人―国土―世界の問題に注意を払っていたのである。ただし、こうした国土への関心は、智学の国土観を導きの糸としたものと推測できる。
              〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)311p~〉
 ということは、「個人―国土―世界の問題に注意を払っていた」ことが賢治の国土観であると大谷氏は言っているのだ、と私は理解した。また大谷氏は、「書簡一〇二a」の一部を引いて、
どうか一所参らして下さい。わが一人の友よ。…投稿者略…やがてこの大地このまゝ常光土と化するとき何のかなしみがありませうか。(書簡一〇二a)
 ここには、賢治の娑婆即寂光観が表明されている。
             〈同312p〉
と述べていた。したがって私は、ここで「娑婆即寂光観」については述べてあるのだということはわかったし、おそらく大谷氏は、
    やがてこの大地このまゝ常光土と化する
    娑婆即寂光観
    賢治の国土観    
の三つはほぼ近似的に等しいと言いたいのだと、私は勝手に理解した。そして、どうもズバリ「国土観」については書かれていないのではなかろうかと思ってしまった。

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