みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

日蓮主義的法華経観へ

2020-02-12 14:00:00 | 法華経と賢治
《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》

 次は、「天台的法華信仰観から日蓮主義的法華経観へ」という項からである。そこでは、
 大正七年二月、賢治は父親の政次郎にあてた手紙のなかで…投稿者略…みずからの法華信仰を宣言している。
 同年三月十四日前後に執筆されたと推測される保阪あての手紙のなかでは、「今は摂受を行ずるときではなく折伏を行ずるときだそうです」(書簡四九)と述べている。この「折伏」の言及は、あきらかに智学の影響である。…投稿者略…三月二十日の保阪あての手紙の記している。この「先生」とは日蓮を意味する。この時点で、智学の日蓮主義にもとづく日蓮主義的法華信仰が表出されていることを確認できる。
 すなわち、自分の心の一念によって、現実の国土に永遠・絶対の本国土を感得する天台的法華経観から、折伏という積極的な布教活動による現実変革を通じて、この現世に本国土の建設をめざすのが、国柱会流の法華信仰の特徴だった。賢治の信仰は、前者から後者へと移行した。
              〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)309p~〉
というように、大谷氏は論じていた。
 ちなみに、この書簡四九を一部を抜粋してみると、
誠に私共は逃れて静に自巳(ママ)内界の摩訶不思議な作用、又同じく内界の月や林や星や水やを楽しむ事ができたらこんな好い事はありません。これはけれども唯今は行ふべき道ではありません。今は摂受を行ずるときではなく拆伏を行ずるときだそうです。けれども慈悲心のない拆伏は単に功利心に過ぎません。功利よきさまはどこまでも私をも私の愛する保阪君をもふみにぢりふみにぢり追ひかけてくるのか。私は功利の形を明瞭にやがて見る。功利は魔です。あゝ私は今年は正月から泣いてばかりいます。父や母やあなたや。
            <『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』(筑摩書房)57p>
というように書かれており、たしかに言及していいる。しかし、あくまでも「……だそうです」ということだから、賢治は断定まではしていない。すると、この時点では「摂受」ではなくて何が何でも「折伏」だという段階までには至っていなかったのではなかろうかと、私は推測してしまう。一方で、賢治はファナティックなまでの国柱会流の法華信仰者にやがてなったのだから、その移行の時期がいつ頃かというと、この書簡四九を保阪にしたためていた頃であったということの蓋然性は低くなかろう。
 なお、私の理解がいかに曖昧であるかということがここで露呈してしまった。それは、
   日蓮主義的法華経信仰

   国柱会流の法華信仰
との違いがほとんどわかっていないからである。

 続きへ
前へ 
 “〝『日蓮主義とはなんだったのか』より〟の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 釜淵の滝(2/10、氷の造形) | トップ | 緒ヶ瀬滝(2/8、滝) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

法華経と賢治」カテゴリの最新記事