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《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》
さて、本多日生に師事するようになった妹尾は、その後在家の活動としてどんなことを行ったのだろうか。大谷氏は、
・統一団の裏方として多忙を極める
・大日本日蓮主義青年同盟の結成
・機関誌『若人』の創刊
という項を立てて、そのことを論じていた。・大日本日蓮主義青年同盟の結成
・機関誌『若人』の創刊
そしてそれぞれにおける妹尾の裏方としての活動はそれぞれ、
日生の著作の校正、統一閣で開かれる講演会等の準備と参加などで多忙を極める。
大正八年十一月五日在家の青年たちと大日本日蓮主義青年団を立ち上げ、日蓮主義運動を展開する。
大正九年九月青年団の機関誌『若人』創刊。自分たち若人は「地涌の菩薩たる、選ばれたる勇士」であると意味づける。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)324p~〉大正八年十一月五日在家の青年たちと大日本日蓮主義青年団を立ち上げ、日蓮主義運動を展開する。
大正九年九月青年団の機関誌『若人』創刊。自分たち若人は「地涌の菩薩たる、選ばれたる勇士」であると意味づける。
などであったという。
そして特に私が興味深かったのは、最後の項「機関誌『若人』の創刊」において、
妹尾は世界の乱れに言及し、共産主義、社会主義、過激主義、マルクスの唯物史観だけでは、断じて霊ある人生は改造出来るものではない」と訴える。当時、「改造」が流行語となっており、そうした「改造」の風潮に対して、妹尾は日蓮主義の立場から対応すべきだと説いた。
〈同327p〉と大谷氏が解説していたことである。というのは、私はつい根っからの「日蓮主義者の社会主義者・妹尾義郎」と思い込んでいたからである。言い換えれば、どうやら、妹尾は最初の段階ではこれらの「共産主義、社会主義、過激主義、マルクスの唯物史観」に対しては悲観的に見ていたのだが、後々これらに対する評価が変化していったということになりそうだ。
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