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《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》
では次の項「「国土」の重視」についてだが、ここは興味深いぞ、と最初は思った。というのは、大谷氏は、
では、賢治の日蓮主義的な法華信仰の特徴はどのようなものだったのだろか。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)308p〉という疑問で始めていたからだ。しかし、続けてすぐにその結論が、
「日蓮聖人の国体観」と「予言」を中核とする石原の日蓮主義信仰に対して、賢治の場合には「国土」を重視する。
〈同〉と述べられていた。これでは、私には鳩に豆鉄砲だ。
しかも、これに引き続く解説も読解力の乏しい私にはほぼ理解不能。不能だったのだが、こんなことがそこには述べられていた。まずは、よく知られているように、
賢治は十八歳のときだった。島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』の如来寿量品第十六(特に自我偈の箇所)に感動する。
〈同〉と述べているので私はホッとしたのだが、次がいけない。私には全く手が届かない内容だ。そこでそこは読み流し、次の
この自我偈の一節は、現実の娑婆世界(国土)の本質を永遠の理想世界(本国土=常寂光土)と捉える娑婆即寂光という天台教学上の教説の根拠となる箇所である。賢治の法華信仰の基底には、現実世界と理想世界の関係、衆生の生きる国土、天人の常在する本国土に対する認識論・存在論があった。天台的法華信仰の特徴は、自分の心の一念によって、現実の国土に永遠・絶対の本国土を感得できる点にある。
〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)309p〉に注目してみたのだが。やはり、ちんぷんかんぷんだ。
そこには、「賢治の法華信仰の基底」や「天台的法華信仰の特徴」については言及されていても、当初の発問「賢治の日蓮主義的な法華信仰の特徴はどのようなもの?」に対して、そのものズバリの答は私には見出せなかった。せいぜい解ったかもしれないことは、
賢治は「国土」を重視していたらしい。
というところまでだった。
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