みちのくの山野草

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最初は智学に傾倒

2020-02-15 14:00:00 | 法華経と賢治
《『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)の表紙》

 ではここでは、「最初は智学に傾倒」という項からである。大谷氏は、次のようなことなどをそこでは述べていた。
 釈日研のもとで得度し日蓮宗の僧籍を得た妹尾だが、僧侶として活動することはなく、東城で日蓮主義の信仰を深めていくことになる。…投稿者略…
 当時の日蓮主義の流行のなかで石原や賢治と同じく、妹尾も日蓮主義関係の書物を通じて、日蓮主義教学を学んでいたことがわかる。…投稿者略…
 妹尾は姉崎と樗牛の作品を含めた日蓮主義関係の書物を通じて、日蓮主義理解を深めたが、信仰の実践もしていた。…投稿者略…
 同年(大正六年)十月、体調がかなり回復していた妹尾は智学を訪ねて「法花経についての質疑や、我が将来を妙法に如同せる方針に向かはせる為に、信仰的教化を受けねばならぬ」と、上京を決意する。すなわち、妹尾は日生に師事する前に、智学に師事しようとしていたのである。
              〈『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著、講談社)322p〉
 そこでまず私が改めて確認したことは、「当時の日蓮主義の流行」である。それは、理崎氏啓氏も『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(哲山堂)の中で、日蓮主義が当時宗教ブームの先頭に立った訳について
 日蓮主義がなぜ盛んになったのか。これはほとんどが智学と日生の功績で、日蓮の思想が力強いことが挙げられる。禅の超然主義、念仏の諦観などに比して、日蓮思想は現世主義で、軍人やアクティブな知識人には合っていたのであろう。
             〈『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)48p〉
と論じていたことを思い出したからでもある。つまり、
    当時は宗教ブームの時代であり、しかもその先頭に立っていたのが日蓮主義だった。
ということになりそうだ。

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