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『名画の言い分』第8章 木村泰司著

2018年06月08日 | 読書雑感
いよいよ最終章となる第8章では、印象派が取り上げられる。

印象派が誕生した時代は、フランス革命からナポレオン帝政、そして普仏戦争時、パリコミューンといった激動の1世紀を経て、市民社会の成熟期を迎えていた時代。特に、パリコミューンに参加した印象派画家もおり、体制に対する批判的精神が旺盛であった彼らは、従来のアカデミズムに反旗を翻した。具体的には、画にとって重要なのは主題なのではなく表現方法であるとすることによって古典美術と決別し、その結果モダンアートの扉がこじ開けられた訳で、それゆえに印象派が特別な存在となっている。

「天使は見たことがないから描かない」と言ったクールベこそが、モダンアートの扉をこじ開けた画家であり、芸術アカデミーに反抗して初めて個展を開いたチャレンジャーであり、その精神を引き継いだエドゥアール・マネは3次元のイリュージュンを作り出すのではなく、絵は絵として画家独自の表現方法を生み出すことでお印象派への道づけをした存在。そんなマネ自身は印象派と同一視されるのを嫌ったらしい。

睡蓮の画で有名なクロ-ド・モネは、生涯印象主義の技法を追及し、刻々と移ろう光と色を描き続けた画家。かれの作品『印象、日の出』から印象派という名前が付いたんだそうだ。モネが用いた画法が色彩分割法。色素の3元素で習ったように、色を混ぜていくと黒になってしまうので、絵具を混ぜることなく筆触を細かく分割して描くことで、見る人の目の中で絵具が混じることによって効果をあげるという手法のこと。確かに、モネの作品である睡蓮の画を近くで見ても、異なる絵具が重なるように塗ってあるだけで、モノの形は見えてこないが、離れたところから画をいると、あら不思議、ちゃんと形になっていることを実際に目にした経験があるので、この手法はよく分かった。

ルノワールは人生の喜びにフォーカスすることで、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』のような人生の苦悩などには見向きもせずに都市の風俗や市民生活のワンシーンを楽しげに描いたし、エドガー・ドガは歴史画を捨ててパリの市民生活にテーマを求めた。ドガは正規の美術教育を受けていたそうで、それゆえにデッサン力に優れ、構成に優れた作品が多いだけではなく、一瞬を捉える手法にもたけていた。一瞬を切り取って永遠化する手法は、浮世絵と写真の影響を受けているらしい。『プリマ・バレリーナ』は、まさに一瞬を素早く切り取っている画だよね。

マネが1982年にレジオン・ドヌール勲章を受章すると、印象派は美術運動における前衛ではなくなるとともに、技法や美学に限界が感じられるようになったために1886年以降の画家たちは後期印象派と呼ばれるようになる、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンがこれに属するが、この後期印象派には多様性があって決して一つのスタイルにまとまっていない。確かに、ゴッホトゴーギャンは全くの別物だよね。

印象派が登場したお陰で、その後に登場した画家たちの絵画は著しく多様化し、現代美術の時代が幕開けすることになった。そういった美術史上の意義からしても、印象派というのはとても重要な存在であったことがよく理解でしました。

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