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『名画の言い分』おまけ  木村泰司著

2018年06月08日 | 読書雑感
絵画を単に観るだけではつまらない、薀蓄をいっぱしに語れるようになりたい!そんな浅はかな気持ちで本書を読んでみると、それはもう知らなかったことだらけ。現代アート誕生以前の西洋絵画にはメッセージを伝えるという確たる目的があり、そこには明確な意図があったということから始まり、キリスト教伝道だけではなく王権確立のために芸術がどのように用いられてきたか、そして描く対象によって古典美術には格の違いがあったこと等々、今までは単純に「これ雰囲気がいいから好き」とか「ちょっと好みじゃないね」といった程度の見方は正しい鑑賞方法でないことがよく理解できました。それでも、西洋に暮らしておらず異なるバックボーンを持つ我々日本人にとって、身にしみこんだ歴史観含めて、欧米人と同じレベルの知識と教養を求められるのは辛いよね。歴史や描かれた当時の政治経済そして社会状況まで知った上での鑑賞方法はメインストリームとしてあることは反対しないが、これだけが芸術の正しい愉しみ方と一方的に規定されてしまっては適わない。描き方が変遷したように、鑑賞方法も変遷してもよいのではないだろうか? なぜ、日本人である我々は、彼らの土俵で戦うことを求められるのだろうか?我々のバックボーンを土台として独自の土俵に立って、自己主張をするべきではないだろうか? そんな疑問も読みながら生まれてきた。

そう言っても、著者の木村氏が教わった視点として歴史の中での位置づけという見方をしれたことは有意義だった。歴史の中での位置づけには2通りの位置づけがあって、①一人の画家として生き抜いていく間に、描き方や描く対象が次第に変わっていったはずだが、鑑賞する対象がその画家の作品群の中でどのように位置づけられるのか、という視点と、②古代から現代までの長い芸術の歴史の中で、その画家や作品がどのような役割を担い、どのような美術史上の意味合いを持っているのか、という視点の2つ。本来ならばルネサンス美術に関する記述がもっと多いではずであろうという素人の期待とは全く違って、ネーデルランド地域の絵画や画家を多く取り上げていることに驚いたことは前に記載したとおりだが、これも西洋美術史を学問として学んだがゆえに、②の歴史的視点における重要度を重く見ているのだと分かった。

代表的な画家の一人であるヤン・ファン・エイク(15世紀に活躍)が油絵具の技法を完成させたという西洋美術上の大名誉を獲得できる成果を上げていることも、この地域の重要性を上げる一因でもあったわけで、彼の後に続くネーデルランド地域の画家たちの活躍で、独特の透明感をもつ緻密な描写がネーデルランド絵画の特徴にまでなったこと、そしてその結果、絵画がこの地域の重要な輸出品にまでなっていたという事実は、経済とは決して繋げて考えることをしなかった私の美術理解に新鮮な視野をもたらしてくれた。(でも、よく考えればそうだよね。ハリウッド映画は米国の主たる産業だもん)

そうは言っても、このブログを書きながら気がついたことがある。プロテスタントはカトリックへの対抗上聖像崇拝を禁止したために、ドイツでは絵画が発展せずに音楽に芸術パワーが向いたという説明がある一方、カルヴァン派プロテスタントの国オランダでは、風景画や静物画、風俗画といったジャンルの絵画が発展したという、似たように宗派であっても影響が異なり、違った結果が見られたことに対する説明がなかったことだ。そもそも、ドイツには絵画を愉しむという土台がなかったのが根本原因なんじゃないだろうか??

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最後に、絵画見栄っ張り講座の総まとめとして、「オルセーよりもルーブルの方が合っているよ」と嘘でも言う必要があるとのことを忘れないようにしよう。なぜなら、絵画の中でも最も格が高いとされた歴史画が多く収められているのがルーブル博物館で、オルセー美術館には19世紀以降の市民階級のニーズに合わせて描かれた絵画が多い。そのため、ルーブル美術館の収蔵品の鑑賞には、この本で学んだように知識や教養、理性が必要と看做されているからだ。お茶やお花にお作法があるように、西洋美術鑑賞にもそれなりのお作法があるようだ。

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