べんりや日記

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湯沢町瑞祥庵 金剛力士像 石川雲蝶(1)

2009-08-17 16:52:17 | 石川雲蝶を訪ねる
三条市に籍を置き、魚沼地方や三条方面で数々の彫刻を残した「石川雲蝶(うんちょう)」は江戸時代末期に活躍した名工です。

・・・ということを、つい先日、旧栄町のTさんの奥さんに教えてもらったのですが、地元でそういった彫師がいたというのを知らなかったのは、恥ずかしいところです。
どの時代かといえば、良寛さんより少し後の時代で、江戸末期から明治時代にかけて江戸より移り住み、三条にて寺社建築の彫刻を手がけたということです。

三条は金物の町・・県職を退職し、「ものづくり」を通して地元の木を活かそうという試みをはじめたTさんですが、最近は「雲蝶」のガイドに・・と三条市の観光課から声がかかっているようで、忙しい方であります。
「越後のミケランジェロ」というキャッチフレーズで観光資源としての雲蝶の作品をアピールしていこうという県の動きに乗る形となっていますが、当の本人は彫刻の美しさよりも、どのような木をどんな道具を使って何を表現しようとしたかというところを強調したいとのこと・・


そんな動きがある中、私の上さんの実家(湯沢町)のお寺(瑞祥庵)に、その雲蝶の仁王像が奉納されていたのには、何とも不思議な縁だと思い、お盆の帰省中に立ち寄ってみました。私の「雲蝶」はこれが始めてとなります。(ひょっとしたら、観てるのかもしれませんが・・意識して観るのはこれが最初です)



正面にある看板


湯沢町指定文化財

  彫刻  仁王尊 二体

              大字土樽(おおあざ・つちたる) 瑞祥庵


曹洞宗瑞祥庵樓門(たかどのもん?)の西側に安置されている仁王尊二体は、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった三条市の石川雲蝶の作品である。雲蝶は文化11年(1814年)江戸雜司ヶ谷に生まれ、姓を石川、名を正照、雲蝶と号した。越後に来てから三条市四ノ町酒井弥助に見込まれて用紙になった。一般では三条の安兵衛と呼ばれていた。
雲蝶の作品は、越後各地はもとより魚沼郡内に多くの作品を残している。
小出町大浦の西福寺開山堂、堀之内町根小屋の永林寺欄間、塩沢町鈴木屋の薄荷圓看板、湯沢町中里の瑞祥庵仁王尊一対などは、魚沼に残した雲蝶の代表作であろう。瑞祥庵の仁王尊じゃ、いつ頃刻まれたのか明らかではないが、樓門が再建されたのが弘化4年でそれから数ヵ年であると伝えられているから安政以降ではないかと推定される。

  阿(あ) 金剛力士像 像高173.5㎝
  呼(うん)金剛力士像 像高183.0㎝

 台座は邪鬼で、裏に「三篠彫工・石川匠雲蝶」と刻みがある。




(2)へつづく・・
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