何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

次からはもう少しうまくやろうの繰り返し

2007-05-18 08:57:26 | 思いつくまま
 自分の力量をあげることがカンタンに出来れば誰も苦労はしない。一夜漬けに限界があるのは、誰しもが経験済みだろうし、知識をお金で買えないこともわかりきった話だと思う。

 たとえば薬局窓口における患者さんとの対応能力を高めるには、専門的知識や接遇の知識に加えて、経験が重要だ。机上の知識だけでうまくなれるわけじゃない。1例目より2例目、2例目より3例目・・・、といった具合に、うまくできないことがあっても次からはもう少し上手にやろう・なりたい、という心がけで事例を積み重ねていくことが大切かと思う。

 ところが、コツやエッセンスを説明し、教えればスグに役立つ、明日から段違いに上手くできるようになると思っている者もいる。少数例の試行は必要だから、シュミレーションかロールプレイをすればよく、レベルアップが図られるというようだ。「そんなウマい話があればいいけど、カンタンにできるようになるとは考えていないよ」と言いつつも、出来なければ教育の中身が悪い、とすぐ言うのだから、始末が悪い。そう言う意見は、既に教育を受ける立場になく、また教えることすらできないところから湧いてくる。

 教育とは、まるで出来合いの惣菜を買ってきて与えたり、ソフトウェアを見つけてきてインストールすれば解決するようなとらえかただ。短期間で効果の出るもの、一粒飲めばすぐに立ち直れるようなもの、・・・そういうのは“付け焼き刃”というのではないかと思う。

 新しい技術導入であっても、自分のものにするには一定の時間も例数も必要だし、導入すれば済むのではなく、それをさらに練ってこそ自分のものとして身につけることができたといえるのだろう。

 短期間で、ちょっと見せて教えれば出来るようになる技術なんて、他の同業者だって導入すれば即、一般的な技術になってしまうのであり、技術としての価値は低い。それではまたすぐに新しい服が欲しくなるようなものだ。

 ちょっとやそっとでは真似のできない技術、価値を生み出す技術、差別化できる技術、それらは教わっては試し、工夫しては試し、修正しては試し、・・・そんな繰り返しがあってこそ熟成されるのではないだろうか。

 教育の大切さを説いていても、その根底がこのような価値観から発生しているようだと、表面的に、建前的に、口先で言っているにすぎないことがわかってしまうというものだ。その組織の文化の程度がわかろうというものだ 
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