何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

他喜力

2011-12-30 13:21:01 | Book Reviews
他人を喜ばすと、幸運が押し寄せる! 他喜力」 西田文郎・著、徳間書店、2011年11月30日

p.4-5 うまくいかない人は、自分を喜ばすことしか考えていないのです。夢を叶えて成功している人というのは、自分を喜ばすだけでなく、他人を喜ばす方法を常に研究し、それを常に実践しているから、豊かで幸せな人生を手に入れられたのです。

p.18 チームの結束力や能力というのは、マネジメントする人間の力量で低くも高くもなります。ひと言でいえば、相手のモチベーションをどれだけ上げられるかという差なのですが、その大もとになるものは何かというと、それこそが相手をどれだけ喜ばせることができるかという力「他喜力」にほかなりません。

p.25 仕事をするとき、あるいは、社員教育をする際は、基本的な部分をおさえるだけではなく、見られているという意識を持つようにすること、指導することが大切です。

p.29-30 商売というのは、お客さんと恋愛しているのと一緒です。繁盛店がなぜ繁盛しているのかと言えば、お客さんに惚れて惚れて惚れまくり、あの手この手で振り向かせよう、好きになってもらおうと努力をした結果、それに応えてお客さんが振り向き、好きになり、何度もやってくるようになるからです。

p.42 物が人を喜ばすのではありません。ストーリーが感動を生むわけです。

p.66-7 自分のしたことがあまり好きではない人はどうしたらいいのかと言えば、まずは、「自分のしたことは、常にベストだ」と思うクセをつけることが重要です。
 結局は、どんなときでも最後は自分できめた道を信じていくしかないのです。だとしたら、「神より偉い」と思って生きていくにかぎるのです。

p.72-3 ですから、他喜力が旺盛な人というのは、積極的犠牲を受け入れることができる精神的に大人である人間なのです。たとえば、レベルの低い部下にイライラしている人というのは、「なぜ、あいつはわかってくれないんだろう、こんなこともできないんだろう」という思いがあるからイラついてしまうわけですが、それこそが「受ける愛」を欲している証拠であり、つまりは、「甘え」なのです。

p.88 他喜力の高い人が持つ『3つの「くばり」』
 1、めくばり⇒相手の好きなことを観察する
 2、気くばり⇒相手の好みや喜ぶツボをおさえて発揮する
 3、心くばり⇒思いを共有する。教育する

p.103 他喜力というのは、根底に相手を喜ばそうという思いがあります。しかし、この場合は、寂しい自分を癒したいという要求になっているのです。表面的には大きな犠牲を払っているように見えるのですが、そのじつ、その自己犠牲は自分を喜ばせたいと欲する思いから起きる行動だということです。
 繰り返しますが、他喜力はかならず自分に返ってきます。もし、尽くしても尽くしてもまったく報われていないという、何だかひと昔前の演歌の歌詞のような毎日を過ごしているという人がいたら、それは間違った自己犠牲であり、結局は自分を癒したいという目的にとらわれて生きているのかもしれません。

p.104 実際に世の中には、とくにトラウマをもっているわけでもないのに、「よかれと思って相手のためにやってあげても、あげっぱなしで全然返ってこない」と感じている人は少なくありません。なぜそう感じてしまうのかというと、これは、わかりやすい表現で言えば、心が奴隷になっているからです。
 また、過度に自分の承認欲求を満たしたいと欲することからくる行為は、おうおうにして心が奴隷になってしまうものです。同じように相手を喜ばそうとしてする行為でも、心が奴隷になっている人がする行為には相手を喜ばせる力がありませんから、見返りはなくて当然なのです。

p.112 よく大御所や一流といわれる人たちは、どんなにお金を積まれても「その仕事はお引き受けできません」と断ることがありますが、そのような人たちは、単にお金持ちだからだとか、わがままで「NO」と言っているのではありません。他喜力を生み出す力である「喜感力」の重大さに気づいているからです。
 自分を喜ばせるということは、一見、甘やかし行為のようでマイナスになってしまいそうなイメージがあるものですが、本当はとても大切なことなのです。

p.124 他喜力とは「人を喜ばせる力」ではあるのですが、じつは、その本質に何があるかといえば、自らの承認欲求を満たそうとする目的があります。人に認めてもらいたいからこそ、人を喜ばせようとする行為につながっていくわけです。

p.141 ツイていない人というのは、実力があっても、それを人から認められていないという特徴があります。なので、有力レベルになったら今度は、人に認めてもらうための努力をしなければならないのです。そのためにはやはり、相手の役に立つことを示していかなければなりません。そして、相手を喜ばせることができたのなら、間違いなく認めてもらえ、ツキのある人間になります。

p.149 ゆるぎない成功をおさめる人、超一流、大御所などと呼ばれる人というのは、ここからが違います。成功したことに甘えるのではなく、成功させていただいた「責任」を果たそうとするのです。

p.157 人間というのはおもしろいもので、そこを乗り越えやりきってしまうと、次のレベルを目指してまた歩きだそうとするのです。しかし、それをやりきらないものだから、そこそこに成功に甘んじて生きていこうとして、そのじつ、いつまでも重圧に耐えられずに苦しみ続けることになるのです。

p.163 大成功者と呼ばれる人は、成功したことに甘えているのではなく、成功させていただいた責任を果たそうとします。その責任に対する謙虚な気持ちが、人を幸運の人間に変えていくのですが、そのことにより、自分のためという自我の欲求はなくなっていきます。そして、自分は生きているのではなく、生かされているという事実を悟るのです。

p.175 優秀な人間というのは、間接暗示のかけ方がうまい人間です。間接暗示のうまい上司のもとにいると、自分で考える習慣がついていくので、知らない間に実力が備わります。
 組織でよく起こりがちなのは、間接暗示のうまい上司から、信長タイプの直接暗示の上司にかわった途端に、指示されたことしかできない、それに従うしかない「イエスマン集団」に陥ってしまうことです。ダメ出し組織になってしまい、あれはダメ、これはダメ、と言われ続けていると、人は考える力をどんどんなくしていってしまいます。

p.177 人は、ノルマを課せられて働くkとには疲弊や反発を覚えるものですが、理念のもとに働くことにはヤル気をもって取り組むことができるものなのです。この違いがどこからくるのかといえば、直接暗示で動いているのか、間接暗示で動いているのかという点です。

p.209-10 一方、わざわざ手間のかかることをして人を喜ばせたり、何かを差し上げることは損だと認識する人は、「他喜力」を経費として考え、どんどんそのムダをカットしていこうとするものです。どうしてもカットできない部分だけは残し、サービスならサービスを提供していくわけですが、その部分は義務で行っていたりするので、さほど心がこもっていません。やはりそうなると、相手も損か得かで判断しようとするので、なかなか思惑どおりにはならないことが多いものです。


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