何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

奇跡の教室

2012-03-06 16:35:23 | Book Reviews
エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀 伊藤氏貴・著、小学館、2010年12月4日

p.25 気づくセンスこそが国語力なんだよ、何歳になっても、受け取る感性があれば人生は楽しいんだよって――

p.71 季節のグラデーションを察知する感受性こそが『気づき』の力につながり、興味を起こして学んでいく姿勢の基礎になっていったのだ。

p.78-9 押してみたり引いてみたり、下から見たり、離れて見たりと、「壁」をなんとかして「階段」にすることで乗り越えようとするのだ。この「壁を階段にする力」こそが、エチ先生が『銀の匙』の子どもたちに授けた果実なのだろう。

p.80 “奇跡”とは短時間の生成物ではない、というのが筆者の考え方である。いくつかの偶然が運命の糸で手繰りよせられ、一定期間それらが醸成され、いつか蓮の花のように、「ポン!」と、一気に開花するものだと考えている。

p.157-9 「ある意味では社会で合理性が求められることが多くて、なるべく無駄を省いて、なるべく近道で、という感覚が強いかもしれませんね。遠回りかもしれないけど、長い人生の上で見ればどこかで、20年、30年先に生きてくるかもしれないものも大事に、そういうふうに考える余裕というのが雰囲気的に小さくなっている気はします。ただ、今は就職ひとつとっても大変厳しい時代で、それに対して僕らの時代、高度経済成長を続けていた時代は、何をやっていてもなんとか食べられるだろうという粗さというか伸びやかさというか、それがあったから、個人の問題だけじゃなくて、社会構造そのものの違いもあると思うんですけどね。でも、だからこそ、焦らず、少しでも無駄をすることを楽しむようにと、学生に言いたいですね。研究の道に進んでも、会社員になっても、最後はそういう人間が強いんですから」

p.161-2 「次の展開に一歩踏み出す直観的なドライブが働くのではないでしょうか。そこで惹かれるものが生まれると一歩前に出たくなるし、その過程で自分の経験とも重ね合わせをしていく。そうやって楽しみながら知識を身につけていくことは、人生の豊かさにつながると思います」

p.164-5 『銀の匙』もそうなんですが、時代の変わり目の作品ですね、江戸から明治になったけど、まだかつての言葉や風習が残っていて、それに対する一種の憧憬のようなものがあり、一方で、次の時代に向けてどう生きていくかという思いもある。で、ちょうど僕らの今の時代っているのは、すごく速く変化しているだけに、もう一度、自分たちが生きてきたプロセスというか歴史から知恵を得たいですよね。そういう点で、多分同じような経験をしたのは明治の頃で、自分たちが作ってきたものを、どこまで振り捨てて、どこまで残しながら次の時代に向かって生きていくのか、そういう緊張感のあった時代だと思います。

p.190 『君たちが熱中することに無駄なことなんてない』、そんなことを教えていただいたんじゃないでしょうか。

p.210 「一緒に『銀の匙』を読んだ生徒がねえ、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている。それが何より嬉しい。それを知ることができて、ほんとうによかったですわ。『結果』が出て、よかった――」 大学受験の成果など、エチ先生が求めた「結果」ではなかった。

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