何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

強く生きたいと願う君へ

2012-03-04 20:38:06 | Book Reviews
「強く生きたいと願う君へ」 坂本光司・著、WAVE出版、2012年3月2日

p.3 そして、一つの原則を見出しました。それは、企業の長期的な業績は、経営者やリーダーの「人間性」や「生き方」をそのまま反映するということです。最大のポイントは、「自律心」と「利他の心」です。

p.4 しかし、たとえ経営状況が悪くなっても、「景気が悪い」「政策が悪い」「大企業が悪い」「社員が悪い」と他者を責めるのではなく、「自分はどうすべきか?」と考え、誰よりも努力し苦労する。自分が生き残るために利益の確保を最優先にするのではなく、あくまでも関係者の幸せを第一に考える。だからこそ、画期的なアイデアも生まれ、周りの人々も力を貸そうと思う――。

p.6 時代は変わろうとしている。「経済第一主義」「利益第一主義」「金銭第一主義」といった価値観の誤りに多くの人が気づき始めた。そう勇気づけられました。

p.25 常々言っていることですが、会社経営において、まず第一に大切にしなければならないのは株主でもなければ、お客さまでもありません。何よりもまず、ともに働く社員を大切にしなければならないのです。
 なぜなら、自分が働いている会社や職場に不平・不満・不信を抱いている社員が、お客さまに心のこもったサービスをすることなどありえないからです。

p.27 あらゆる仕事は人間のためにあります。あらゆる仕事の先には、何かに困っている人や、助けを求めている人が必ずいます。
 どうすれば、その人たちの役に立てるだろうか? どうすれば、その人たちを少しでも幸せにすることができるだろうか?
 このことをひたすら追求するのです。そして、コツコツと努力を続けるのです。そうすれば、いつか私たちは「なくてはならない存在」になることができます。

p.43 書籍代に四苦八苦している若い人が目の前にいたのです。その人たちのために、間違った教授会の方針を黙認するのは単なる保身にすぎません。だから、私はあえて異論を唱えました。

p.44 彼は組織人としての振る舞いを求められるサラリーマンです。比較的独立性の高い研究者とは違い、組織の決定に背けば“殺されて”しまいます。それよりも、今は耐えるときです。そして、正しいことを行うためにも、その会社で「力」をつけて地位を高めるべきなのです。
 その「力」とは社内政治力のことではありません。それは「知的パワー」です。「その人をもってほかには代えがたい」という知識や能力を磨き上げるのです。「力」のない人がいくら発言したところで、負け犬の遠吠えにすぎません。しかし、代替のきかない「人財」となり組織に対する影響力を高めていけば、必ず正しい行いを貫くことができるようになります。それこそ、「自律する」ということなのです。

p.61 こうして、「あれもこれも一応知っているけれども、深く知っているのは専門分野のみ」という形をつくっていきます。私は、これを「T型の情報インプット」と呼んでいます。Tの上部の横棒が「あれもこれも一応知っている」部分に当たり、縦棒が深堀りする専門知識に該当します。横棒を広げながら、縦棒を深く掘り下げていくことをイメージすればいいでしょう。

p.63 一点に収斂することのない、単なる“モノシリ”では人の役にたつことはできません。「人の役に立ちたい」という根っこをしっかりもつことが大切です。

p.63 そして、人の能力はみんな同じだと思うようになりました。言ってみれば、誰でも同じ一升瓶をもっているようなものです。一流の人だから一升瓶を二つ持っているわけではありません。ただ、その中に入っているものが違うのです。

p.73 課長であれば部長、部長であれば役員や社長の立場で考えてみるのです。常に、一段上、二段上の視点で自分の仕事をとらえるなかで、全体を見晴らす力が養われていくはずです。

p.75 強く生きたければ視点を高く持つことです。広い世界、あるいは全体が見えるからこそ、「目の前の仕事」で何をすべきかが明確になるのです。そして、進むべき進路が見えてくるのです。

p.80 このように(「一生懸命」を言い訳に自分を正当化する)過ちを犯さないためには、「現象」にとらわれず「本質」を追求する姿勢が欠かせません。極言すれば、「本質問題」さえ正しく把握できれば、問題の大半は解決したも同然なのです。

p.81 私たちは、ついつい「主観」「短観」「ローカル観」で物事を見てしまいがちですが、意識して「客観」「歴史観」「世界観」で見るようにするのです。

p.85 だから、私たちも「現象」と「本質」を見誤ってはなりません。なんらかの問題に直面したときには、その「本質問題」を徹底的に追求する。それこそ、強く生きるために欠かせない姿勢なのです。

p.90 現場を知らないアドバイスは、会社の道を誤らせる危険性すらあるのです。

p.97 そうした(耳に痛い、耳をふさぎたくなるような)「声」を押しつぶして、自らの思いどおりにしようとします。それが「強さ」だと勘違いしているのです。
 しかし、それは「偽物の強者」です。本当に強い人は、どんなに自分にとって不都合な「声」だとしても、真摯に耳を傾けます。そして、その「声」が正しいものであれば、それを受け入れる勇気をもっています。

p.99-100 これからは、選ばれるのは下請企業ではなく大企業です。選ばれる大企業と捨てられる大企業が出てくるのです。なぜ、こんなことになってしまったのか?
 それは、大企業が「声なき声」に耳を傾けてこなかったからです。「人間の声」に耳を傾けず、会計上の数字ばかりを見つめ、立場の強さに胡坐をかいていたからこんなことになってしまったのです。結局のところ、そのような企業は「偽物の強者」だったということです。

p.107 私たちは、ついつい自分の都合や利益ばかりに目が行ってしまうものです。そして、相手の立場を思いやることなく、一方的な要求を口にしてしまいがちです。相手を言い負かそうと躍起になることもあります。しかし、それで自分の言い分を通したとしても、それがためにかえって自らを貶めてすまうことになるのです。
 それよりも、相手の「声なき声」にじっと耳を傾けることです。相手の立場を考え、相手も幸せになるためにはどうすればいいかを考えるのえす。それが、私たちに強く生きる力を与えてくれるのです。

p.111 「どんなに赤字でも、とにかく、目の前にいる困っている人を助けたいのです」これは、もうビジネスではありません。慈善事業です。しかし、私は企業活動の根本にはこの精神がなければならないと確信しています。

p.131 お互いに相手を尊重し合うことがなければ、いくら隣に机を並べていても、決して本当の意味でのチームが生まれることはありません。

p.137 もしも、あなたが九割の貢献をし、隣の人が一割の貢献しかできなかったとしても、それぞれに懸命に努力した結果ならば、それでいいではありませんか。隣の人の支えがなければ、あなたが九割の貢献をすることはできなかったはずなのですから。

p.143 私たちがやらない、やれない、よいこと・正しいことをしている人を見つけたら、私たちがやることは、その人を支援してあげることだ、と。そして、もしその人が“火の粉”を払ってあげるべきなのです。

p.144 「強者」と「弱者」は、状況によって入れ替わる相対的なものにすぎません。

p.149 そして、状況が変わって苦境に陥ると、「環境が悪い」「市場が悪い」「政策が悪い」と他者を責めるばかりで、自らに矛先を向けることはありません。「偽物の強者」は「偽物の弱者」になるのです。そのような人に、誰かが本気で力を貸そうとすることはありません。そして、彼らは滅びていくのです。
 間違えてはいけません。「弱者」になったから滅びるのではありません。「偽物」だから滅びるのです。

p.149 本当に強く生きるとは、「強者」になることではなく、「本物」になることなのです。

p.152 「利益を出すため、会社のシェアを高めるため、会社を大きくするために働いてきました。しかし、それはキリがない。終わりがないんです。“いったい何のために生きているんだろう?”そんな思いを、もう抑えることができなくなったのです」

p.159 訂正のきかない過去に思いを馳せるより、明日を夢見て、今日を精一杯生きるべきだ、と。

p.179 従業員を不幸にするような会社ならないほうがいい――。

p.181 このような(数々の苦しい)経験をされた方が、事故を起こした従業員に対して「それはあなたの操作ミスですから・・・・・」という考え方をするでしょうか。「誰かの犠牲のうえに成り立つような経営」をしようと思うでしょうか。従業員に危ない仕事をさせて平気でいられるでしょうか。そんなわけはありません。

p.187 「痛み」は誰もが避けたいものです。しかし、「痛み」を経験するからこそ、人の「痛み」を思いやる心、すなわち「利他の心」をもつことができるのです。そして、「利他の心」こそが私たちに「力」を与えてくれるのです。その意味で、「痛み」とは恵みなのかもしれません。

p.201 もちろん、「経済」も「利益」も「お金」も大切です。しかし、それらは私たちの生きる目的にはなりえません。私たちがいちばん大切にしているのは、そんなものではないからです。だから、心に蓋をしてはいけません。
 では、心の蓋はどうすれば取り除けるのでしょうか。簡単です。感動の涙を流すのです。そのとき、私たちは、自分が本当に大切にしているものが何なのかをはっきり理解することができます。

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