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(1)からの、続き
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格差社会は戦後日本が作った
小泉内閣の「負の遺産」とされる格差社会の進行については。
小沢 この問題も、小泉内閣だけでなく、戦後日本の官僚支配体制、自民党政権の長い怠慢が生みだしたものです。
戦後の日本は、「護送船団方式」という言葉もあったように、社会主義国家と見紛うばかりの規制大国でした。
しかし、さきほども触れたように、高度成長期は上から下まで、富がある程度平等に行き渡る条件が整っていたので不満は出なかった。
それが、九〇年代以降、グローバリゼーションの到来によって規制撤廃の動きが高まってきた。僕自身も規制撤廃は必要だと考えています。
しかし、さまざまな規制を撤廃することで生まれる新しい社会構造、経済構造について、役人は新しい仕組みのグランドデザインを描けない。
本来この構造を考えるのは政治家の仕事ですが、いずれにしても新しい仕組み、ビジョンを役所も政治家も考えられないまま、「世の時流がグローバリゼーションだから」ということで、かなり乱暴な形で規制緩和に突き進んだ。
特に金融分野を中心に、無原則、ノールールで市場原理を導入した結果、ホリエモンや村上某たちのような歪んだ価値観の勝ち組と、市場原理にはじき飛ばされた負け組を生んだんです。
小泉さんはたまたま、その混乱の時代に登場して、国民受けのする踊りを踊っただけなんですよ。小泉内閣が「強者の論理」を無秩序に推し進めて、格差社会の進行を加速させたことは間違いありませんがね。
では、どうすれば格差を最小限に食い止めることができるのでしょう。
小沢 格差社会の遠因がグローバリゼーションにあるからといって、それを「アングロサクソンの策謀だ」と、負け犬の遠吠えのように言っていても仕方がない。
波は世界中に押し寄せてきているのだから、むしろそれを奇貨として、日本がその波の中できちんとやっていける体制をつくればいい。
規制撤廃と自由競争は、原則として必要です。しかし、大多数の人たちが安定して、また安心して暮らせなければ国家は成り立たない。そのためのセーフティネットを一般労働者、農業、中小企業等々、ありとあらゆる分野に張りめぐらせる必要がある。
僕は日本では、その二つを両立させることができると思っています。日本人は悪い意味でいい加減、いい意味で器用(笑)。きっとうまい仕組みを考えますよ。
逆に役人の世界は、セーフティネットが整備されすぎている。年功序列と終身雇用に手厚い補助、さらに天下り先まで至れり尽くせりです。
国民の間で不公平感が募るのも当然ですよ。官も民もリーダー層にはきちんと自由競争原理を導入すべきです。
上に行きたいならリスクをとって自らの力で競争に挑め、と。そうしないで「私は課長ぐらいでいい、安心して仕事をしていきたい」というのであれば、それでも働き続けていけるシステムにすればいい。
第一、このままのシステムでは、役所でも民間でも傑出したリーダーは生まれません。
日本は欧米に比べて、平均的には知的にも技術的にも非常にレベルが高い人材が多くいるけれど、ことリーダーシップについていえば、いわゆる上澄みの層は欧米にはかないません。
なぜそういった人材が生まれないんでしょうか。
小沢 「和を以て貴しとなす」という世界では必要なかったのだと思います。出る杭は打たれる、と言うでしょう。そもそも日本は歴史的にずっと豊かだった。
織田信長の頃は急速な経済発展を遂げていて、当時のヨーロッパとは比較できないほど大きな経済規模になっていたし、生活水準も高かった。
古代のころは、ヨーロッパとの差はもっとあったようです。いつでも「みんなで分けて食べれば生きていける」環境にあったから、まあまあケンカはするな、ということだったのだと思います。
格差社会が進んでいても、それを他人事のように眺めている人が少なくない。それは現時点で誰もが一応「食えている」からです。
ニートが増えているということは、逆に「何もしない若者たちも生きていられる」ということでもある。
上の層の競争はおおいに結構ですが、今は社会構造の歪みがあらわになって、不満が渦巻いている。
小沢 そうです。非正規雇用の労働者が三人に一人の割合になりましたよね。確かに経済合理性は、営利活動を行うときにはどうしても無視できない要素です。でもそれだけだと、企業マインドはどうしても歪んだ方向に進んでしまう。
僕は最近、経営者の人たちに「あなたは、いつでもクビにできて賃金の安い非正規雇用の方がいいと思っているかもしれないが、会社への忠誠心や一体感といった日本的経営のよさは、それで完全に失われてしまうぞ」と言っています。
労働組合もそう。どうせこの流れは止められない、とあきらめ顔の組合幹部が多いので、「今こそあなたたちの出番だろう。労働者の当たり前の権利を主張する時じゃないのか」とお尻を叩いているところです。
最近、小沢さんは自らの政治理念を語るときに「共生」という言葉をよく使いますね。格差社会が深刻化するにつれて、さまざまな場面で聞かれるキーワードですが、小沢さんの言う「共生」とは一般的にいわれるそれとは少し意味が違うように思います。
小沢 さまざまな人たちがともに生きていける社会としての「共生」はもちろんですが、私は、日本人はそれにとどまらず、もっとレベルの高い「共生」を目指すべきだし、またその力を本来的に持っている、 と思っています。基本とすべき社会の形は、国民が一人一人、個人として自立している社会です。
そういった自立社会を実現した上で、その先の日本の役割を考えたときのキーワードは、おそらく「平和」「環境」でしょう。平和とは何かといえば、諸国家、諸民族の「共生」であり、環境は自然との「共生」です。
こういった発想は、キリスト教を基調とする欧米文明からも、イスラム圏からも、なかなか出てこない。彼らにとっての宗教的対立は恐らく不可避なものでしょう。
その点日本人は、さきほども指摘しましたが、ものすごくいい加減で、融通無碍。八百万の神がいて、死ねばみんな神様、仏様になる(笑)。宗教間・文明間の対立を偏見なく解決できるのは、おそらく世界の中でも日本人だけじゃないか、と思うんです。
勝算はわれにあり
高い次元での「共生」を目指したいと。
小沢 そうです。ただ、いくらいろいろ考えても、野党の立場じゃ何もできない。自ら政権をとるしかないんです。僕はよく皆さんに「現状で満足しているんだったら、自民党に一票入れてください。現状じゃだめだと思うなら、われわれに一票入れて、政権を一度やらせてください。もし僕がいま主張していることを実現できなかったら、すぐに自民党に代えればいい。それが民主主義じゃないですか」と言うんです。政権を担当したこともないのに、「あなたたちにはできない」と言われても、どうしようもありませんよ。
もちろん勝算はあると思っています。 そう思う根拠は二つあります。
一つは、小泉改革なるものが国民の支持を得たことです。内実は何もなかったけれど、「変えなければ」という国民全体の意識があったからこそ、ああいった体制内改革の看板が支持されたのだと思います。
もう一つは選挙の票です。二年前の参院選で民主党は自民党に勝っている。それから、昨秋の衆院選では「改革を止めるな」「郵政民営化」ブームの中で民主党が大敗を喫しましたが、大敗は小選挙区制度のせいです。
実質の総得票数は自民党の三二五一万票に対して、民主党は二四八〇万票で、前回の票とほとんど変わらない。票は減っていないし、自民党との差も全体票の中では一〇%ほどの開きしかない。
小泉劇場の観客の分が向こうに上積みされただけであって、あれほどの逆風の中だったにもかかわらず、大した差じゃないんです。
日本人は変わることに対して大変臆病なんだと思いませんか。
小沢 恐れもあるでしょうし、これも幕末と同じ状況だと思うけれど、幕末の人々が「徳川の太平の世が潰れるわけがない」と思っていたように、今の日本人も「自民党政権が崩れるわけがない」と思い込んでいる。
でも僕はね、この国は明治維新をやった国だ、そういう回天の事業を成し遂げる勇気をもった国だということもまた知っている。そこに期待をつないでいるんです。
幕末、黒船がやってきて、幕藩体制が外からゆさぶられ、欧米列強の植民地になってしまうおそれもあったのに、その危機にあたって、あれだけの人材が出て維新を成し遂げたのだから、日本人の本来的な能力は、決して保守的でも閉鎖的でもないし、消極的でも臆病でもない。
民主党がもっとわかりやすく、国民が納得でき、安心できる、将来の見える基本政策を打ち出すことができれば、僕は選挙で間違いなく勝てるし、政権交代も実現できる、と思っています。
とにかく、幕藩体制を潰さなければ、何も始まらない。公武合体では近代日本は生まれなかった。尊皇攘夷から尊皇倒幕に転じて初めて文明開化の世が来た。いまの日本も同じなんですよ。
十月には二つの選挙区で補選がありました。結果は残念なものでしたが。
小沢 今回は新総理誕生と北朝鮮の核実験という、自民党への追い風が吹いていて、負けはしましたが、悲観はしていません。今後に希望を持てるいい戦いをしたと思う。我々の努力しだいです。
例えば四月の千葉七区補選では、大方の予想を覆して勝利を収めました。ウチの議員は議論好きが多いから、会議が多いし長い。
そこで僕が「会議はやめて現地に行こう」と言ったんです。一票でも、足を使って取りにいこうじゃないか、と。
みんな最初は「なんで?」と思ったようです。でも、結果が出たのだから、「みんなの力を結集すればできるじゃないか」という雰囲気が出てきた。
ただ失礼ながら、私の民主党議員の印象は高学歴で優秀、しかし現場で泥臭く生活者と四つに組んで世の中を変えていこう、という迫力に乏しいように思います。
小沢 そうなんです。その点自民党は、もう土下座しようが何しようが必ず選挙に勝ってくる、地元の人に寄り添うようにして粘っこく一票を拾う、という執念があるでしょう。それを学べというんです。
ところが、昨年秋の衆院選で落ちて、すぐに他のどこかに就職した人が二、三人いた。それだけ優秀、ということかもしれないけど、もし本当に政治家をやりたいのなら、一期や二期は泥にまみれる執念があっていいと思う。
さて、来年七月の参院選は、小沢さんにとっても、安倍さんにとっても勝負のときとなります。二十九の一人区のうち、いくつとることが目標ですか。
小沢 参院選は、一人区が二十九あるうち、前回獲得できたのは十三。今回は二十選挙区以上で勝負できる態勢を作って、最低限過半数の十五議席はとらなきゃならない。
そうすれば、十九ある二人区で一人ずつはとれますから、合わせて三十四議席。
さらに比例区で最低十五、六議席とることができれば、もうそれで五十を超える。改選前が三十一ですから、ウチが二十議席増えて自民党が二十議席減れば、それで与野党逆転です。
もちろん、安倍自民党は今のところ支持率も高く、決してあなどれない。やはり政権党は現実に権力を持っているし、「お上信仰」が依然として強い中で役所の全面サポートを受けるから強い。
彼らはいい加減な言葉を掲げても選挙ができます。けれども、こちらはやはり、本当の中身のあるスローガンを掲げなければならないから、遥かに大変です。
でもね、絶対にいけると思っているんです。特に一人区は郡部を抱えた県でしょ。その郡部で今までずっと自民党を支えてきた人たちこそ、いま一番格差に苦しみ、将来を不安に思っているんですね。
主として農林漁業などの一次産業。零細な地場産業の担い手です。彼らが格差社会の負の部分の直撃を受けていて、今の農政や産業政策に大きな不満を抱いています。
また、医師会をはじめとする各種団体など、自民党の支持基盤も相当ゆらいでいます。
僕は今、農協などの団体回りに力を入れています。ウチの議員の多くが「どうせあそこは自民党支持だから、行っても無駄だ」と足を運ばないので、あえて老体にむち打って出向いているんです。
確かに各種団体のトップは自民党を向いているけれど、一般の団体員はそうではない。個人、団体を問わず、どんどんアプローチしていけばいいんですよ。
四月に党代表に就任されたときに、ビスコンティの映画『山猫』のバート・ランカスターの言葉を引用されましたね。民主党も自身も含めて「変わらずに生き残るためには、みずから変わらなければならない」と。
小沢 そうです。生き残らなければならないのは民主党や僕自身だけじゃない。日本が生き残るためには、自ら変わる勇気を持たなければならない。「変わる」ことはつまり、我々が政権を握ること、政権交代を実現させることなんです
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