“風の道草” ・ かぜのみちくさ View Japan-景趣- 3

☆・Made in Japan を、せめて、半分は買おう!!
☆・国内経済の安定は国内生産消費サイクルから!!

さらば、煽動政治 (1)

2007年02月10日 | 政治 ・経済 

**

※- さらば、煽動と強者の政治扇動  ( 小沢一郎 HPより )
 
ちょっと、記事が長いで~す
 
文藝春秋   12月号 安倍さんの発言は曖昧。“官邸主導”も見せかけだ

まず、体調はいかがですか。大事な時期の検査入院で、さまざまな憶測を呼びました

小沢 大丈夫です。少し疲労を感じたので、これからの戦いに備えてリフレッシュしておこうと思い、全部検査してもらいました。特に重大なものは何もなかった。安心して動き出したところです。

新総理、安倍晋三さんの印象は。

小沢 僕と安倍さんとは年齢差が十二歳、ちょうど一回り違いますし、安倍さんは僕が自民党を離党して細川政権をつくったときの選挙で初当選しています。
 
安倍さんのお父さん、晋太郎さんにはとても可愛がってもらったけれど、晋三さんと政治の場で接したことはあまりなかった。すれ違いといえばすれ違いですね。

安倍さんは自民党総裁選のとき、小沢さんのイメージについて「旧田中派全盛時代の人という印象。古い永田町の代表選手」「自民党幹事長として一九九一年の東京都知事選に磯村尚徳氏を出して負けた人だ」とコメントしています。

小沢 まあ何ということはない。安倍さんより年上だし、安倍さんより長いこと政治家をやっている。古いといえば古いね(笑)。でも、古いか新しいかは、ここ(頭を叩いて)の中の問題ですよ。

 所信表明演説や予算委員会での答弁を聞いたり、党首討論をやってみて、安倍さんが総理大臣としてどうかといえば、正直まだわからない。
 
何しろ彼の政権は始まったばかりですからね。ただ、総理になる前は、中身の善し悪しは別にして、元気よくいろいろなことを言っていましたが、なった途端に奥歯にモノの挟まった言い方になってきた。
 
主張したいことがあるのなら、もっときちんと言わなければならない。
 
やっぱり総理になると、役人に周りをぐるりと固められてしまうから、どうしてもことなかれ主義になって、適当にその場その場をしのげればいい、と思うようになるのかな。でもそれも、内外の状況次第でしょう。
 
外はやはり北朝鮮の問題、中・韓との関係、内は膨れ上がる公的債務、年金など社会保障制度の問題や少子化、格差問題。彼は大変な時期に総理大臣になったなあ、と思いますよ。

曖昧な新総理の理念

中韓との関係についていえば、総理に就任して直後、小泉政権時に滞っていた首脳会談を実現させ、関係改善への一歩を踏み出していますが。

小沢 よいことですよ。よいことですけれど、彼が本に書いたり、自身で総裁選の場で主張されていた歴史認識、憲法改正の話などは、日中、日韓首脳会談でも、また党首討論の席でもはっきりと言っていない。そこが問題だと思います。

 象徴的なのが、靖国参拝の件です。「行く行かないについては言わない」と言っていますが、総理ですから常に行動は公に報じられる。行けばわかります。
 
この「言わない」ということを、どんな意味で発言したのか。また中国もその発言についてはさしたる反応もなく受け止めているようですが、本当にそうなのか。裏になにかあるのか。そこがなんとも曖昧でわからない。
 
参拝の是非はともかく、総理大臣であれば物事の理非曲直ははっきりさせるべきでしょう。
 
靖国の問題はもちろん、少なくとも自らの歴史観、政治哲学、理念をはっきり示さないと、国民はその政治家を信じていいのかどうか、判断ができませんよ。

 A級戦犯の戦争責任問題もそうです。晋三さんがおじいさまの岸信介さんに憧れと尊敬の念を持っていることは本にも書かれていて、その心情は私にも十分理解できますが、予算委員会では「(岸が)東條内閣の閣僚として開戦詔書に署名したことは誤りだった」と言っている。
 
実際、不起訴にはなったけれど、岸さんはA級戦犯容疑者として逮捕されている。
 
総理大臣になってもやっぱり、岸さんの戦争責任の問題については持論を譲らないという心理状況なのかなと思っていたら、これもまたよくわからない。

 僕の戦争責任に関する認識を言えば、岸さんなど特定の人が、ということではなく、戦争指導者たちはみんな大きな責任があると思っています。
 
戦争はクラウゼヴィッツの言うように「他の手段をもってする政治の継続」であって、人の生命を奪うのだから最終、究極の選択肢です。
 
しかし、日本の戦争を指導した人たちは、結果として百数十万の同胞を死に追いやり、戦争に負けた。彼らの「政治」は失敗したんです。責任は当然あります。
 
もちろん、その責任者たちが連合国軍によって裁かれることの当否はまた別の問題ですが、少なくとも当時の戦争指導者はその結果責任を負うべきだと思います。
 
安倍さんもそこを曖昧にせず、自分の信念に基づいてきちんと発言すべきでしょう。

 自らの政治信念や理念、哲学をはっきりと表明することは、政治家として基本中の基本です。
 
日本が成熟した民主主義国家であるならば、それができない人が総理などにはなれないはずですが・・・。
 
権力を得るためにはAと言った方が得だからAと言い、いったん権力を手中にしたら、今度は権力を維持するためにはAと正反対のBと言った方が有利だからBと言う。それが許されるなら、民主政治は成り立ちません。


小泉劇場は“障子いじり”だ

日本はいまだ成熟した民主主義国家ではない、ということですか。

小沢 残念ながらそういうことです。日本という国の政治を誰に任せるか、というときに、政治家の基本的な政治理念、哲学という次元で勝負がつくなら簡単な話で、それこそが民主主義の根幹です。
 
しかし日本の場合、理念や哲学ではリーダーは決して選ばれない。マスコミにしても、政策論争は通りいっぺんの報道で、興味があるのは政局ばかり。
 
この国の民主主義はまだまだ成熟していないんです。もちろん、日本だけでなくどの民主主義国家もそういった情緒的なポピュリズムの要素は持ち合わせていますが、日本は特に未熟だと思います。
 
その特質をうまく利用したのが、小泉政権でした。小泉政権はこの五年間、終始高い支持率を保ちました。彼は錯覚を起こさせるのがうまい。まさに「小泉劇場効果」です。

 まず、日本人は「今まで通りでうまくいく」のがベストだと考えています。特に戦後六十年は変化をものすごく嫌ってきた。
 
しかし冷戦体制が崩壊し、バブルがはじけ、不景気が世を覆い尽くしたときに、心の中では「変わらざるを得ないんじゃないか」という思いが急速に広がってきた。
 
ただ、その変わる「はじめの一歩」を踏み出す勇気がまだ一つ足りない、というのが現状だと僕は思っています。

 そこに小泉さんが出てきて、中身はなにもないのに、「自民党をぶっ壊す」と分かりやすく宣言し、体制内改革によって日本を変えることを主張しました。
 
そのあたりが、今の国民やマスコミ、特にテレビにとってはちょうどよかったんです。
 
実態は「今まで通り」だし「自民党をぶっ壊す」と言えば、少しは変わるように見えますからね。
 
小泉さんは、ときに脅したり、ときになだめ、すかし、あるいは景気のいい話をポンポンと織りまぜながら、国民心理、マスコミ心理を巧みに利用したんです。
 
これはまさにポピュリズムの典型であって、煽動の政治です。まともに考えればそのいい加減さ、中身のなさにすぐ気付くはずなのに、それが結果として支持された。実に危険なことだと思います。

 僕はここ十数年、それこそ『日本改造計画』を書いたころからずっと、今の日本は幕藩体制の末期に近い状況だと思っています。
 
日本という家は土台から腐ってきていて、小泉政権が行ってきたような、障子とふすまを張り替えて体面だけ保とうとするような施策ではどうしようもない。
 
おそらく安倍政権では、この傾向がもっと強くなるでしょう。どう考えても、倒すべきアンシャン・レジーム(旧体制)なんですよ。

日本におけるアンシャン・レジームとはなんだ、と?

小沢 特に高度成長期以降、日本の政治は富をどう配分するかだけに腐心してきました。その再配分の権限は、本来政治家のものです。
 
その時々の優先順位に基づいて予算を決め、政策を決めて実行していく、それはまさに政治家の領分ですよ。
 
しかし実際は、官僚機構がずっとその役割を果たしてきた。「平等」の大義名分のもとに、バランスをとりながら各省庁が納得のいく答えを見つけ出し、それをそのまま国の政策としてきた。
 
つまり、戦後日本の内政は役人が動かしてきたし、それは今もまったく変わっていないんです。
 
ところが、右肩上がりの経済成長がバブル崩壊以降低迷する中で、この官僚主導のシステムはあちらこちらで綻びが見られるようになった。

表面的にいえば、それは自民党政権にも共通認識としてあったのかもしれない。橋本内閣以降、小泉政権に至るまで行政改革をかかげ、旧体制からの脱却を一見図っているように見えますが

小沢 いやいや、小泉さんも安倍さんも、すべてその官僚主導の体制を前提として、壁紙張りや障子いじりに終始しているだけですよ。
 
小泉さんの場合は、そのやり方がかっこよく見えただけのことです。

安倍内閣も、小泉内閣が進めた改革を継承する、と言明している。首相補佐官制度などは、小沢さんが前々から言っていた官邸機能の強化を実現させたかのようにも見えます。

小沢 確かに僕は『日本改造計画』の中でも、わざわざ図示して首相補佐官制度の導入を提唱しましたが、今の安倍さんの仕組みは、僕の言葉と上っ面の形を真似ただけですよ。
 
結局、あの補佐官一人一人の下に全部役人がつくわけでしょ。それでは何も変わらない。政治家がもっと大挙して官邸に乗り込んで、必死で知恵を出し合い、官僚に食らいつく体制でないと、何にもできない。
 
あれでは逆に、官僚機構のさらなる肥大化を許すことになりかねない。
 
内閣の陣容を見ても、論功行賞だかお友達だか知りませんが、とにかく役人と議論して、自身の政策をなんとか実現させようと燃えている人間が一人としていないじゃないですか。

 それから、小泉さんが役人や官僚組織と対決した、というのは大いなる間違いです。
 
小泉さんほど役人の言うとおりにしてきた総理はいません。だって、小泉さんは何にもわからないんですからね。
 
だからすべて官僚に丸投げ。実際、道路公団や郵政公社はいったいどうなったのか。何も変わっていないじゃないですか。
 
先日、道路公団のトップに会いましたが、「◎◎高速道路株式会社社長」なんて肩書になっていただけ。彼は元建設省の役人上がりですよ。化粧を直しただけで中身は同じなんだ。

そうすると、小泉さんだろうと安倍さんだろうと関係はなくて、自民党政権自体が役人から政治を取り戻そうとはしていないし、できないんだ、と。

小沢そうなんです。それが歯がゆくて仕方がないんです。 

 内閣は本来、大きな大きな権力を持っている。その権力は選挙で票を投じた国民から信任、付与されたもので、すべからく国民のために活用すべきなんです。ところが日本では、その権力をなぜか、国民が選んだわけでもない官僚が握っている。
 
僕はそこを何とかしようと思って、自民党の幹事長だった時にずいぶんと頑張ったし、個人的には、かなりの部分で政治家が主導権を握れるようになってきたな、と思えたときもあった。
 
でも、自民党内はやっぱり、官僚とのもたれ合いが骨の髄まで染みついていて、それ以上はどうにもならなかった。だから外に出たんです。
 
自民党ではできないけれど、民主党が政権を握れば、僕の主張しているおそらく革命的な改革についても、筋道だった議論の中で役人を説得できる自信があるし、またそれを理解してくれている役人もいますからね。
 
僕一人のことを考えたら、自民党にそのままいたほうがずっと楽だった。でも、国民の生活、未来を預かる政治家である以上、それはできなかったんです。

** つづく
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿