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※- 国民の敵 :記事・田中良紹氏 「内憂外患」に掲載
主権者である国民が選んだ新政権が初めての予算案を組み、それを審議しようとしていた矢先に、「思い込み」によって現職議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、
国民生活に直結する予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」である。
民主主義の国でこんな検察はありえない。
民主主義にとって最も重要なのは国民が自らの権利を行使する「選挙」であり、次に国民の意思を代表し、国民の権利を拡張する「国会」である。
従って国民の代表である議員は最大限に尊重されなければならない。
民主主義でない国ならいざ知らず、民主主義国で議員が逮捕される事など滅多にない。
あるとすれば国民の利益を著しく損ねる行為をした場合で、いわんや「思い込み」で逮捕する事は絶対に許されない。
そんな事をする検察は国民の手で解体される。
ところが「思い込み」による現職議員逮捕が日本で起きた。
国会開会直前に石川知裕衆議院議員が政治資金規正法違反で逮捕されたのである。
かつて秘書時代に政治資金収支報告書に虚偽の記載をした容疑だと言う。
この容疑が現職議員を逮捕する理由になると断言できる法律家がいたらお目にかかりたい。
逮捕は、 1. 逃亡の恐れがある。 2. 証拠隠滅の恐れがある。 3. 自殺の恐れがある場合にのみ認められるが、本人は過去の記載ミスを認めているので、虚偽記載の容疑での逮捕は本来ありえない。
裁判所がよく逮捕状を出したと思うが、検察の狙いは水谷建設からの裏金の受領を認めさせるところにあったと思う。
つまり政治資金規正法違反での逮捕は別件逮捕である。
それを水谷建設からの裏金疑惑につなげようとしたのなら「思い込みによる逮捕」となる。
検察が十分な証拠もなく「思い込み」だけで現職議員を逮捕する国など世界中のどこにあるのだろうか。
前回紹介した「歪んだ正義」、 「『特捜』崩壊」、 「知事抹殺」、 「リクルート事件―江副浩正の真実」などを読むと、検察の手口は毎回、
1. 思い込みによってまず事件の構図を検察が作文する。
2. 別件で逮捕し、取り調べで検察が作った事件の構図を認めるよう強要する。
3. 検察が作成した自白調書への署名を拒むと「お前の家族がひどい目にあう」とか「いつまでも拘留してみせる」とか脅し、「取り調べで抵抗するよりも裁判で本当の事を言えば良い」と思わせる。
4. 署名さえさせれば「でっちあげ」の容疑で起訴する。
5. 裁判は時間がかかるので誰も注目せず、検察が描いたシナリオだけが国民の頭に刷り込まれる。
こうしてロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、大蔵省接待汚職事件、福島県汚職事件などが次々「でっちあげ」られ、検察にとって目障りな政治家が血祭りに上げられてきた。
この検察の「でっちあげ」捜査を後ろからバックアップしたのが新聞、テレビ、旧社会党、日本共産党、公明党などである。
これらもまた日本の民主主義を破壊する「国民の敵」と言うべきである。
ところが国民は、自分の生活を考えるより政治家が叩かれてその地位を失っていく様を見る方が面白い。
リンチの時の大衆心理と一緒で「もっとやれ!」となる。
自分たちの代表を殺す事は天に唾する行為で、唾が自分に戻ってくるとはつゆほども考えない。
こういう国民を下衆(ゲス)と言う。
支配する側は国民が賢くなって貰っては困る。
下衆の方が都合が良い。新聞とテレビを使ってせっせと下衆を増やしてきた。
これが日本に官僚支配を長く続かせた理由である。
政治家を生かすも殺すもその権利は国民にある。
それが国民主権の原理である。
それを横から入ってきて「ガセ情報」を振り回し、国民の代表を殺されてはたまらない。
「ガセ情報」とは一方の言い分だけを流すことを言う。
表から裏から、右から左から、上から下から見ないと物の形は分からない。
ところが一方だけから見た情報を新聞とテレビは垂れ流してきた。これはもはや犯罪行為である。
石川知裕衆議院議員が起訴された事で自民、公明、みんなの党が議員辞職勧告決議案を国会に提出した。
これらの政党は国民の権利を無視して国会が政治家を殺すと言っているのである。
しかも数々の「でっちあげ」を続けてきた検察の判断を鵜呑みにして有罪かどうかも分からない政治家を殺そうとしている。
つくづく民主主義に無知な政治家が多くなった事を思い知らされた。
特に自民党に対しては「そこまで堕ちたか」との感慨を持つ。
政権交代以降の国会を見ていると自民党議員の質の劣化が目に付く。
国民生活に関わる質問をせずに、「政治とカネ」ばかりを追及するやり方はかつての社会党を彷彿とさせるが、しかし質問のレベルは社会党より悪い。
つまらない揚げ足取りや、嫌がらせに近い質問を繰り返す様は、この政党が政権を担う気がない事を暴露しているかのようだ。
先進民主主義国では政権を失った政党は10年先を見据えてリーダーを選び、現政権の政策を十分に咀嚼する。
その上で次の時代の政権を担うべく政策を準備する。
この繰り返しが国家を前進させ、政権交代に意味が出てくる。
ところが自民党は単なる足の引っ張りである。
そんな政党に誰が期待を寄せると思っているのだろうか。
お陰で政局は与野党の対立にならず、専ら小沢VS検察の構図となった。
良くも悪くも小沢幹事長の存在感が大きくなる反面、自民党は存在感を失って見えない。
検察の捜査に助けられて国会で質問を繰り返す様には哀れを感ずる。
検察の処分が決まった4日にコメントを出した政治家の中に、何故か前の総理と前の前の前の総理がいたことは暗示的だった。
二人とも旧内務省勢力に依拠して政権運営を行った総理である。
そしてもはや誰もが「無罪」と考えている「西松建設事件」を仕組んだ当事者である。
日本を占領したGHQは軍国主義を一掃するため、特高警察などで知られる旧内務省を解体し、大蔵省を官僚組織の中枢に据えた。
旧内務省勢力は失地回復を図るべく安倍、麻生という二人の総理に協力した。
今回の事件がそういう流れの中にあるのなら、戦前の「特高」に代わる現代の「特捜」を抱えた検察を国民は解体しなければならない。
国民は国民の代表である政治家を使って検察を解体させれば良い。
司法試験を通ったからと言って検事になれるのではなく、他の民主主義国と同様にさらに国民の選挙で選ばれなければ検事にはなれないようにすれば良い。
そうしないと国民主権は実現出来ない事を今回の事件は示している。
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website ・ Infoseek 「内憂外患」に掲載
2010年 2月 8日 記事・田中良紹氏 (ジャーナリスト)
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