“風の道草” ・ かぜのみちくさ View Japan-景趣- 3

☆・Made in Japan を、せめて、半分は買おう!!
☆・国内経済の安定は国内生産消費サイクルから!!

“風の道草” 「かぜのみちくさ」 View Japan-景趣- 3

※- フランスTV も注目日本の『 特捜検察 』とマスメディア
日本語の字幕が出ます
文字が小さいので、初めから「全面画面」で視てください
「正力松太郎」(読賣新聞)は、CIAのスパイだった!!

日本語字幕に関して、日本の大手新聞テレビ局が報道しない理由を的確に述べています。
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Let’s go ! Heated discussion ⇒ 「阿修羅・掲示板
:
<-- TPP・密室交渉の知られざる罠 -->

「TPP・密室交渉の知られざる罠」

TPPのリーク・テキストを入手した市民団体「パブリック・シチズン」


ジョン・レノン John Lennon:世界は狂人によって支配されている

          ジョン・レノンが話している意味とは ⇒ ここから


『 911 was an inside job - 2001 』 : On September 11, 2001, A Nuclear Explosion in the Basement of the WTC


内部告発!元アメリカ 国家安全保障局員 Jim Stone 氏

3.11大震災:アメリカ と イスラエルの裏権力が核兵器を使った!


目覚めた・アメリカ兵!NATO(実質アメリカ軍)こそが、テロリスト


※- 世界の平和を願って・敬宮 愛子 2017年03月22日

2017年03月22日 | オアシス 

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※- 世界の平和を願って・敬宮 愛子 2017年03月22日

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『世界の平和を願って』・敬宮 愛子 としのみや あいこ内親王

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。

雲一つない澄み渡った空がそこにあった。

家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。

なんて平和なのだろう。

青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。

このように私の意識が大きく変わったのは、中3の5月に修学旅行で広島を訪れてからである。

原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。

まるで、71年前の8月6日、その日その場に自分がいるように思えた。

ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。

写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。

平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。

これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。

平常心で見ることはできなかった。

そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。

命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。

私には想像もつかなかった。

最初に71年前の8月6日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。

これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

その2週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。

オバマ大統領は、自らの手で折った2羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。

私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。

私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。

これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。

この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。

原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。

間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。

「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

平和を願わない人はいない。

だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。

しかし、世界の平和の実現は容易ではない。

今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。

では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

何気なく見た青い空。

しかし、空が青いのは当たり前ではない。

毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。

なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。

日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。

「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。

きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。

そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている

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小学三年生の時・作文

としんみや あいこ

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天皇陛下 83歳の誕生日・記者会見全文 2016年12月23日

2016年12月23日 | オアシス 

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※- 天皇陛下 83歳の誕生日・記者会見全文
 2016年12月23日

20161223-天皇・誕生日

12月23日、天皇陛下は、23日、83歳の誕生日を迎えられました。 これを前に皇居・宮殿で記者会見に臨み、ことし1年を振り返って感じたことを述べられました。

全文
(宮内記者会代表質問)

ことしは五輪・パラリンピックが開催され、天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災、熊本地震の被災地などを訪問される一方、三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり、8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。

この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

(天皇陛下)
ことし1年を振り返ると、まず挙げられるのが、1月末、国交正常化60周年に当たり、皇后と共にフィリピンを訪問したことです。

アキノ大統領の心のこもった接遇を受け、また、訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。

私が昭和天皇の名代として、初めてフィリピンを訪問してから、54年近くの歳月が経っていました。

この前回の訪問の折には、まだ、対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが、空港に到着した私どもを、タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが、懐かしく思い出されました。

今回の滞在中に、近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち、また、やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して、日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら、この54年の間に、両国関係が大きく進展してきたことを、うれしく感じました。

両国の今日の友好関係は、先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に、長い年月を経て築かれてきました。

このたびの訪問において、こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね、冥福を祈る機会を得たことは、有り難いことでした。

また、戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも、私どもにとり非常に感慨深いことでした。

今後とも両国の友好関係がさらに深まることを祈っています。

東日本大震災が発生してから5年を超えました

3月には、福島県、宮城県の被災地、そして9月には岩手県の被災地を訪問し、復興へ向けた努力の歩みとともに、未だ困難な状況が残されている実情を見ました。

その中で岩手県大槌町では、19年前に滞在した宿に泊まりましたが、当時、はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が、地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り、自然の力の大きさ、怖さをしみじみと思いました。

この5年間、皆が協力して復興の努力を積み重ね、多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に、今なお多くの人が困難をしのんでおり、この人々が、1日も早く日常を取り戻せるよう、国民皆が寄り添い、協力していくことが必要と感じます。

4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で、多くの被害が出ましたが、16日未明に本震が発生し、さらに大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き、人々の不安はいかばかりであったかと思います。

5月に現地を訪れましたが、被害の大きさに胸を痛めるとともに、皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に、心を打たれました。

ことしはさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い、その中で高齢者グループホームの人たちを含め、多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

このような災害に当たり、近年、個人やさまざまな団体と共に、各地の県や市町村などの自治体が、被災地への支援の手を差し伸べ、さらにそれを契機として、全国でさまざまな地域間の交流が行われるようになってきていることを、うれしく思っています。

8月には、天皇としてのみずからの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。

多くの人々が耳を傾け、おのおのの立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています

8月から9月にかけてリオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。

時差があったこともあり、毎朝テレビで、日本人選手の活躍する姿が見られたことは、楽しいことでした。

オリンピックと同様に、パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

10月中旬に、タイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり、その翌年に、昭和天皇の名代として、皇后と共にタイを訪問し、国王王妃両陛下に温かく迎えていただき、チェンマイなど、タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め、親しく交流を重ねてきた日々のことが、懐かしく思い出されます。

10月下旬には、三笠宮崇仁親王が薨去になりました。ことしの一般参賀の時には、手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり、そのお話をうかがえたことは意義深いことでした。

11月中旬には私的旅行として長野県阿智村に行、満蒙開拓平和記念館を訪れました。

記念館では、旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き、満蒙開拓に携わった人々の、厳しい経験への理解を深めることができました。

また、その際訪れた飯田市では、昭和22年の大火で、市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。

その復興に当たり、延焼を防ぐよう区画整理をし、広い防火帯道路を造り、その道路には復興のシンボルとして、当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。

昭和20年代という戦後間もないその時期に、災害復興を機に、前よりさらによいものを作るという、近年で言う「ビルド・バック・ベター」がすでに実行されていたことを知りました。

12月には、長年にわたるオートファジーの研究で、大隅博士がノーベル賞を受賞されました。

冬のスウェーデンで、忙しい1週間を過ごされた博士が、今は十分な休養をとられ、再びみずからが望まれているような、静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

年の瀬が近づき、この1年を振り返るとともに、来年が人々にとってよい年となるよう願っています

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天皇陛下81歳の誕生日・会見全文 2014年12月23日

2014年12月23日 | オアシス 

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※- 天皇陛下81歳の誕生日・会見全文 2014年12月23日

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12月23日、NHK website ー:天皇陛下は23日、81歳の誕生日を迎えられました。

天皇陛下は、誕生日を前に、皇居・宮殿で記者会見に臨まれました。

(質問)
この1年を振り返り、社会情勢やご公務、ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。

来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。

また、来年は戦後70年という節目の年を迎え、両陛下のパラオご訪問が検討されています。

改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。

(天皇陛下)。
この1年を振り返り、印象深い出来事としては、最近スウェーデンで行われたノーベル物理学賞の授賞式で赤崎、天野、中村3博士が受賞されたことです。

赤崎、天野両博士が青色発光ダイオードを作り、さらに同じ頃、独自にもその研究を果たしていた中村博士によりその実用化が進められました。

照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会のさまざまな分野で利用されていくことと思います。

成果を上げられた3博士の業績を誇りとし、深く敬意を表します。

痛ましい災害もありました。

8月には大雨が広島市を襲い、土砂災害によって74人が亡くなりました。

先日被災地を訪問しましたが、暗闇の中で木がなぎ倒され、大きな石が土砂とともに落下してくる状況は想像するだに恐ろしく、人々の恐怖はいかばかりであったかと思います。

また9月には、御嶽山の噴火により、死者、行方不明者が63人となりました。

紅葉を楽しもうと登った人々であったことを思い、心が痛みます。

長野県北部でも11月に震度6弱の地震が発生しましたが、幸いにも地域の人々の日頃の訓練と消防職員の協力によって死者を出すことはありませんでした。

建物の被害は大きく、冬に向かっての生活の苦労が深く察せられますが、死者がなかったことはうれしいことでした。

新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが、常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。

日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。

この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。

私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。

高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き、高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません。

家族のことについては、秋篠宮家の佳子が国際基督教大学で勉強することになりました。

先輩の眞子から大学のことを十分に聞いたうえで決めたことですから、きっとよい大学生活を送ることになると期待しています。

私には叔父に当たる三笠宮が元気に白寿を迎えられたことは私どもの大きな喜びでした。

それと共に6月の桂宮薨去という悲しい出来事もあり、三笠宮、三笠宮妃のお寂しさを深くお察ししています。

先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました

その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います

そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています。

(質問)。
宮内庁が24年余りをかけて編さんし、この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想とともに、昭和天皇についての思い出や、天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。

(天皇陛下)。
昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編さんしたもので、完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。

携わった関係者の努力に深く感謝しています。

これから折にふれ、手にとり、御事蹟に触れていくことになると思います。

このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を、改めておしのびするよすがになろうと思っています。

昭和天皇との思い出についてはさまざまなことがありますが、夏の那須の附属邸に滞在していて、御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇、香淳皇后をお訪ねしたり、植物をご覧になるため、その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。

実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に「皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地に向かわれ、同所にてお揃いで湿地のサギソウ等を御覧になる」と記されています。

このとき私は那須を離れ、地方で行われる行事に出ていたのですが、昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう、香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。

少し後になりますが、皇后と私とで、廻谷であったかと思いますが、お供したときには、皇后に水辺の白い花で、野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。

この2度の大切な思い出のため、皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで、それからだいぶ後になって私どもが女の子に恵まれ、清子と名付けたその同じ日に、私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。

昭和天皇が「大変よい」とお喜びくださったことが、うれしく思い出されます。

昭和天皇から学んだことは多いと思います。

結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇、香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから、そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。

人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています

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『 Seven Deadly Sins 』 Mohandas Karamchand Gandhi

2014年06月02日 | オアシス 

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※- 『 Seven Deadly Sins 』 Mohandas Karamchand Gandhi

≪ Seven Deadly Sins ( 7つの大罪 )

① Wealth without work

   ( 労働 なき
② Pleasure without conscience
   良心 なき 快楽
③ Science without humanity
   ( 人間性 なき 科学
④ Knowledge without character
   ( 人格 なき 学識

⑤ Politics without principle
   ( 原則 なき 政治

⑥ Commerce without morality
   ( 道徳 なき 商業
⑦ Worship without sacrifice

   献身 なき 崇拝

マハトマ・ガンディー

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人生は速度を上げるだけが能ではない。

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信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる

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重要なのは行為そのものであって結果ではない。
行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく生きているうちにわかるとも限らない。
だが、正しいと信じることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。

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最高の道徳とは他人への奉仕。
人類への愛のために、働くことである。

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心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい。

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すべての善行は、ついには『実を結ばざるをえない」と、わたしは固く信じている。

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あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう

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天皇陛下・新年にあたっての「おことば」 2012年01月

2012年01月01日 | オアシス 

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※- 天皇陛下・新年にあたっての「おことば」
 2012年01月01日

2012年01月01日(元旦)、天皇陛下・御一家は、健やかに新春を迎えられました。

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天皇陛下は新年にあたって文書で報道機関に感想を寄せられました。

天皇陛下は昨年を振り返り「誠に心の重い年でした」と綴られています。

その事を踏まえて、次のように書面にて述べられました。

今年は、復興に向けて様々な計画を立て、将来への指針を選択していく年であるとともに、がれきの処理を始めとする多くの困難な業務に取り組まなければならない年になると予想されます。

人々の英知が結集されるよう、また業務に携わる人々の作業が安全に行われるよう、願ってやみませんと記されました。

そして、「日本は大震災の影響等により現在厳しい状況にありますが、皆が被災者に心を寄せつつ、力を合わせ、明日の社会を築くために忍耐強く力を尽くしていくことを期待していますと述べられました。

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天皇皇后両陛下は、震災から1年になる3月11日、国が主催して東京で開かれる犠牲者の追悼式に出席し、天皇陛下がおことばを述べられます。

また、5月に宮城県で開かれる国際会議への出席も検討されていて、被災者などを励ます機会が設けられる可能性もあります。

11月には「全国豊かな海づくり大会」に出席するため、本土復帰から40年を迎えた沖縄県を訪問されます。

皇太子さまは、3月中旬に「水と災害」などをテーマにフランスのマルセイユで開かれる「世界水フォーラム」に出席し、基調講演を行われます。

秋篠宮ご夫妻は、去年、震災の影響で開催が見送られた行事に出席するため広島県を訪問するなど、各地に出かけられる予定です。

皇居では、2日、新年の一般参賀が行われます

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天皇陛下・78歳の誕生日 2011年12月23日

2011年12月23日 | オアシス 

 
※- 天皇陛下・78歳の誕生日 2011年12月23日

       20111223-heika-78

12月23日、天皇陛下は78歳の誕生日を迎えられました。



皇居では一般参賀が行われ、昼までに= 2万人余りの人がお祝いに訪れました。

天皇陛下は皇居・宮殿で、皇后さまをはじめ、御一家とそろってベランダに立ち、お祝いに駆けつけた人々に手を振って応えられました。

「春には東日本大震災が起こり、遺族や被災者のことを思うと心が痛みます。これからも私どもは被災者のことを忘れることなく、国民みなの幸せを願って過ごしていきたいと思っています」と、述べられました。

先月、入院された陛下ですが、退院から1か月がたち、皇居内での公務は以前と変わらぬ忙しさです。

宮内庁は、体調に配慮して恒例の誕生日の記者会見を見送り、陛下の感想文を発表しました。

その中で、陛下は「健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します」と感謝され、「体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています」と述べられています。

 

成人を迎えた「眞子さま」も、初めての一般参賀に出席され、秋篠宮文仁親王と紀子さまの横に並ばればした

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眞子さま へ「宝冠大綬章」 2011年10月23日

2011年10月24日 | オアシス 

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※- 眞子さま へ「宝冠大綬章」
2011年10月23日

20111024-mako 宝冠大綬章

 皇居で華やかなドレス姿を披露されました

皇居・宮殿の玄関に姿を見せた眞子さま

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10月23日、二十歳の誕生日を迎えた秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま。

天皇・皇后両陛下への挨拶を終えた後、報道陣の前で一礼し華やかなドレス姿を披露されました。

この白い絹のドレスはオーダーメイドされたもので、ダイヤモンドのティアラとネックレスも成人を迎えて新しく作られたものです。

成年皇族になり、陛下から授与されたばかりの勲章もつけられています


  「 宝冠大受賞

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眞子さま 二十歳の会見 2011年10月23日

2011年10月23日 | オアシス 

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※- 眞子さま 二十歳の会見
 2011年10月23日

ご成年を迎えるに当たっての感想をお聞かせください。成年皇族として、公務に臨まれる機会も増えますが、今後の抱負もお聞かせください。

眞子さま

 この度、成年という一つの節目の年を迎えました。成年というと大分まだ先のことのように思っておりましたけれども、過ごしてきた歳月を思いますと、あっという間であったと感じております。これからは成年として、ふさわしい行動を心がけていきたいと思っております。大学が3学期制で、学期ごとの履修でございますので、予定が立ちにくいところもございますけれども、公的なものを含め、さまざまな行事に参加していきたいと思っております。

問2)

 国際基督教大学では具体的にどのようなことを学ばれていますか。特にご関心があり、今後専攻される予定の分野もお聞かせください。スキーサークルに入られていると伺っていますが、趣味など学業以外ではどのような大学生としての生活を送られていますか。

眞子さま

 国際基督教大学は2年次の終わりまでは専攻を決めず、さまざまな分野を学ぶことを通して自らの興味を深めていくというシステムですので、現在2年生に在学しております私はできるだけ多く自分の興味のある科目を履修し、学びの機会を得ている状態でございます。

 また大学内外を問わずさまざまな人々との交流が自分の身になっていると感じております。学業以外ではスキー部に所属しておりますけれども、シーズン中には合宿などに行くこともあります。またそれに関連するかもしれませんけれど、スポーツ全般は好きで楽しんでおります。

問3)

 将来についてお伺いします。秋篠宮、同妃両殿下は学生時代に出会い、結婚されました。女性皇族として、将来のご結婚についてどのようにお考えですか。理想の男性像と合わせてお聞かせください。将来の夢や目標についてはいかがでしょうか。

眞子さま

 両親、特に父は私の年の頃には結婚を考えていたようですけれども、私はまだあまり結婚については考えたことはありません。理想の男性像に関しましては、確たるものはございません。将来の夢や目標につきましては、学生生活を通していろいろと考えつつ、徐々に考えをまとめていけたらと思っております。

問4)

 ご家族についてお伺いします。両殿下は日々公務で多忙な生活を送られていますが、眞子さまにとってどのようなご両親ですか。佳子さま、悠仁さまとは普段どのように過ごされていますか。エピソードを交えてお聞かせください。

眞子さま

 両親とは気軽な話、重要な話の双方話し合える関係であると思っております。また自分にさまざまな機会を与えてくれていることをありがたく思っております。父に関しましては、かつてはよく怒る父親でございましたけれども、最近はすっかり丸くなっております。

 母に関しましては、一緒に美術館などに行って楽しむことがあります。妹は年が近いこともあって年齢を重ねる度に仲良くなり、今では妹でありながら友人のような関係です。時には夜遅くまで2人で話していることもございます。弟は逆に年は離れておりますけれども、一緒に走り回って鬼ごっこのようなことをしたり、また最近はいろいろなものに興味があるようで、図鑑に登場する植物や動物などについて話してくれることがございます。

問5)

 3月11日の東日本大震災後、被災者が使うタオルの袋詰め作業を紀子さま、佳子さまと一緒に手伝われました。両殿下も甚大な被害を受けた宮城、岩手、福島の被災地を訪れ、被災者を励まされました。未曽有の災害となった今回の震災をどのように受け止められていますか。震災を通じて感じたことや、今後なさりたいことを、震災当日の体験談を交えてお聞かせください。

眞子さま

 震災当日は家におりました。揺れがひどくなってまいりましたので、最初は机の下に避難いたしました。そのあと、多少、揺れが収まってきたので、家族と庭に出て様子をみました。しばらくしてからテレビを見て、今回の震災の被害の規模の大きさに驚きました。

 私は両陛下はじめ、ほかの皇族方のようにお見舞いという形の被災地訪問はいたしませんでしたけれども、夏にボランティアの一人として被災地でお手伝いする機会がございました。東京で関係者の方にお話を伺ったり、またメディアの報道を通して震災の状況について理解しているように思っておりましたけれども、実際に行ってみないと分からないことがあると実感いたしました。

 また、先日は「文化による復興支援シンポジウム」に行く機会がございました。地域に根ざす文化を継承、保存していくことが震災の復興に寄与するということが理解できました。私自身も今後、何らかの形で携わっていきたいと思っております。

関連質問)

 皇族という立場にお生まれになって、大体おいくつぐらいから、一般とは違うというふうに、ご自身の立場を意識なさいましたか。皇族に生まれてご不自由に感じたことがありますか。逆に良かったなというように思ったことをお聞きしたいのですが、よろしくお願いします。

眞子さま

 そうですね、大体小学生のあたりではないかと思っております。皇族として不自由に感じたことはあるかというご質問でしたか。そうですね、時には不自由に感じることもないことはございませんけれども、その代わりさまざまな機会を与えていただいている事が、できていると思っております。

関連質問)

 先ほどお父さまのことで、昔と違って最近は丸くなってきた、とおっしゃっていましたが、どのような時にそのようなことをお感じになりますか。何かエピソードがあれば教えてください。

眞子さま

 難しいですね、なかなか……。全般的に、昔はよく怒る、本当にそれしか言いようがないのですけれども、厳しいこともありましたし、厳しいことに関しては、厳しくしつけてくれたことに感謝しているんですけれども、導火線が少々短いところがあったと申しますか……。でも、最近はめったなことでは、すぐには怒らなくなったので。そういうことだと思っております。

関連質問)

 例えばどんなことで怒られたのですか。ちょっとしたこと、というのは。

眞子さま

 どんなことで……。エピソードがありすぎて、ちょっと絞れませんので、失礼いたします。

関連質問)

 先ほど被災地のボランティアのお話が少し出ましたけれども、多分お一人ではなく仲間の皆さんと行かれた、というようなことをお伺いしていますけれども、地域としてはどの辺に行かれて、被災地を見た時にどう思われたか、どのような活動をされたのか、教えていただければ。

眞子さま

 はい。地域としては岩手県の山田町、大槌町、それから宮城県の石巻市の方で、子供に関連する活動をしておりました。どのように感じたか、というのは先ほどの質問にお答えさせていただいたように、東京でいろいろな方にお話を伺ったり、またメディアを通して知るということと、また、実際に行くことでしか感じられないことがあると、そういうふうに思いました。

関連質問)

 その実際に感じられたことというのは。

眞子さま

 そうですね。被災した方にお話を伺ったこともございますし、あとまた、言葉にするのが難しいですけれども、実際自分の目で見てみないと、どういう状況か、というのは感じ取れないのじゃないかと私は思いました。

関連質問)

 かなり、がれきとかが残っている状況の時に行かれたのですか。

眞子さま

 そうですね。

関連質問)

 子供に関する活動というのは、例えばどんなことでしょうか。

眞子さま

 そうですね。夏休みの出前講座のお手伝いという形で参加させていただきました。

関連質問)

 お勉強のお手伝いですか。

眞子さま

 そうですね。ただ単にお勉強というのではなく、夏休みの思い出になるような形の、そういう出前講座。

関連質問

 一緒に遊ばれたりですか。

眞子さま

それも、はい、ありました

 

*-*  毎日新聞 website


皇后さま、77歳の誕生日(喜寿)を迎えられました 2011年10月20日

2011年10月20日 | オアシス 

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※- 皇后さま、77歳の誕生日(喜寿)を迎えられました 2011年10月20日

10月20日-NHK website- : 皇后さまは、誕生日にあたり、記者の質問に文書で回答を寄せられました。

この中で皇后さまは、この1年を「日本の各地が大きな災害に襲われた、悲しみの多い年でした」と振り返った上で、「3.11・東日本大震災」について、「ともすれば希望を失い、無力感にとらわれがちになる自分と戦うところから始めねばなりませんでした」と、発生当初の気持ちを明かされました。

しかし、その後、多くの日本人が静かに現実を受け止め、助け合い譲り合いつつ事態に対処したことが気持ちの支えになったとした上で、「自分の持ち場で精一杯自分を役立てようとしている人、仮に被災現場と離れた所にいても、その場その場で自分の務めを心をこめて果たすことで、被災者との連帯を感じていたと思われる人々が実に多くあり、こうした目に見えぬ絆が人々を結び、社会を支えている私たちの国の実相を、誇らしく感じました」とつづられました。

そして、「犠牲者の遺族、被災者の一人一人が、どんなに深い悲しみを負い、多くを忍んで日々を過ごしているかを思い、犠牲者の冥福を祈り、又、厳しい日々を生き抜いている人々、別けても生活の激変に耐え、一生懸命に生きている子どもたちが、一日も早く日常を取り戻せるよう、平穏な日々の再来を祈っています」と述べられました。

一方、前立腺がんや、心臓の周りの冠動脈の狭さくに伴う治療を続ける天皇陛下と、けい椎症による肩や腕の痛みで、一時公務を取りやめた、ご自身の体調については、「陛下も私も、時に体におこる不具合に対処する一方で、今持っている体力があまり急速に衰えぬよう体に負荷をかけることも必要な、少ししんどい年令に来ているかと感じています」と記されました。

皇后さまは、また、被災地の人々の気丈な姿にも勇気づけられたとして、震災から9日後の3月20日の朝のニュースで放送された郵便配達員にも触れられました。

皇后さまは、津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部の集落で業務を再開した郵便配達員について、「まばらに人が出ている道で、一人一人宛名の人を確かめては、言葉をかけ、手紙を配っていました」と紹介し、「『自分が動き始めたことで、少しでも人々が安心してくれている。よい仕事についた』と笑顔で話しており、この時ふと、復興が始まっている、と感じました」とつづられました

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眞子さま、20歳に(23日誕生日) 2011年10月20日

2011年10月20日 | オアシス 

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眞子さま、20歳に(23日誕生日) 2011年10月20日

10月20日、秋篠宮ご夫妻の長女「眞子さま」は、1991年10月23日生まれで、今年20歳の誕生日を迎え、成年皇族として公務を始められることになります。

眞子さまは、平成3年10月に秋篠宮ご夫妻の長女として誕生されました。

幼稚園から高校まで学習院に通ったあと、去年、東京の国際基督教大学に入学し、海外での語学研修に参加するなど学業に励む一方で、先月下旬にはご夫妻とともに東日本大震災をテーマにしたシンポジウムに出席するなど皇族としての活動にも取り組まれてきました。

眞子さまは、20歳の誕生日を迎え、当日は皇居の宮中三殿に参拝されたあと、宮殿で天皇陛下から「宝冠大綬章」と呼ばれる勲章を授けられます。

続いて、天皇皇后両陛下や皇族方にあいさつをしたあと、宮内庁の幹部などから祝賀を受けられます。

そして、この日を境に成年皇族として公務を始められることになります。

平成になってこれまでに皇室では6人の女性皇族が成年を迎えましたが、「内親王」と呼ばれる天皇の子や孫に当たる女性皇族が成年を迎えるのは、両陛下の長女の「黒田清子」さん以来22年ぶりです

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