ひと言・( 外国人労働者受け入れ )
将来、多くの外国人労働者を受け入れなければ、日本はやって行けないと云う、果たして、そうだろうか?
何を持って労働者が足りないと言うのか?
そこには国策なるビジョンが無い、この様な考えが、いかにも理に適った事と思っている人達が多くいる、それもよく名前の知られた人達である。
彼らの頭脳には、知恵が無いのか、と、言いたい。
国政の失敗で少子化問題を招いた事は、しいては、国民の責任である。
それを補う為に、外国から労働者を入れる考えは、能が無い、知恵が無い、その様に思う。
そもそも、人口を見たら中国は13億人もいる訳ですから、到底日本の戦える相手ではないと、果たして、そう言えるのか。
人口が少なくなったら、其れなりの政策転換があって然るべきではないか。
人口が少なくても、豊かに生活している国が世界にはある、人口のみが、経済の発展、文化の発展で あるが如く考えるのは、貧しい考えでしかないと思う。
知恵を出しなさい、知恵を。経済成長して来た日本の姿は、何だったのか?
本当に、日本国民は充実した豊かな生活をしていますか?
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皆さんも、NHK-TV番組で視たと思いますが、イギリスも労働者不足を南アフリカに求め、多くの問題を起こしている。
イギリスは、多くの看護婦や医者を南アフリカに求めた結果、南アフリカでは医者と看護婦不足に成っている。
なぜ、イギリスが南アフリカに労働力を求めたかと言うと、イギリス連邦に属していたので、イギリスの統治が永かった事、宗教や言葉(英語)が共通である点が一番の理由と成っている。
資本主義経済、そのままの行いである、札束で誘惑してイギリスに連れて来るのである。
何と身勝手な、それが資本主義の成れの果て現象と言えるでしょう。
この事は、イギリスだけでなく、多くのヨーロッパ諸国、石油産油国など、国が豊かな地域で起きている。
日本も、国政の失敗の帳尻を、諸外国に求めようとしている。
確かに、フィリピンなどの国は、外貨獲得の為に、その多くを外国での就労で稼いでいる。
だからと言って、日本が自国の都合だけで、外国に労働者を求めていいものかと自分は問いたい。
フィリピンの人達だって、国内で働く場が出来れば 国内に残るようになる。
日本が外国人労働者を入れるなら、日本人と同じ環境と賃金を保証すべきです、また、一時帰国制度も必要に成るでしょう。
そう行った、諸々の配慮が出来ないままで、受け入れるべきでないと思います。
国民も受け入れを認めるなら、それ成りの リスクや トラブルを覚悟すべきです。
単に、資本家達の言いなり法案が、通る事が無い様に注意を払いたいものです。
国政の失敗は、民主主義の政治体制においては、国民が負う責務ですが、安易な考えで、諸外国に国策の失敗の付けを回したら 知恵もないし、恥じでもある。
その様な事に成る前に、政党はビジョンを国民に示すべきです、そのビジョンが外国人労働者を受け入れる案であっても、後は、国民の選択に委ねればいい。
現在、日本で多くの外国人が働いている。
特に、東南アジアや中国の人達は日本人が嫌いである。
彼らの本音を聞いてください、彼らは仕方なく日本で働いている、自国に仕事があれば、彼らは日本など来ない、彼らの殆んどが そう言っている。
その主な理由は、日本人は差別を持って彼らを見ると言う、彼らの多くはそう言っている。
その事を日本人が、自覚しないまま彼らを受け入れても、その先、そう上手くはいかないでしょう、その事は、働く彼らも同じように感じているでしょう。
外国人労働者の受け入れが、口で言うほど簡単な問題では無い事を国民は考えるべきでしょう。
余りにも短絡的な考えが、資本家の集まりから流れてくる、そこには必ず、経済の専門家を取り込んだ動きがある事を 注意したいものです。
経済評論家なる彼らが、バブル経済が弾けた時、誰か責任を感じ謝罪しましたか?
あの当時、大学教授で経済を教えていた人、マスコミに引っ張り凧の経済評論家、みんな知らん顔をしている。
だから、責任を取らない彼らの言う事など、聞くに値しない、そもそも経済理論など、過去の物事でしかない、それとて、お金の動きなど分かる筈が無い。
彼らは飯のタネである経済理論を、さも、自信有り気に講釈するが、幾多の結果から、単なる過去の遺物としか思えない、経済は生き物だから。
彼らが言っている事は過去の事物でしかない。
改革なる言葉の魔術に掛かってはいけません、耳障りの良い言葉には注意を払いましょう、その裏側では見えない集団が画策しているからです。(05年2月12日)
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2005年 7月20日 -景趣-