他方ではブッディはプラクリティの諸可能性から展開するあらゆるものと同様に三つのグナを分有する。
ルネ・ゲノン「ヴェーダーンタによる人間とその生成」第七章「ブッディあるいは上位の知性」
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区別的認識(ヴィジュニャーナ)の関係の下に見られる場合にそれが三性のものとして概念されるのはそのためである。そして普遍的存在の次元においてはそれは神的トリムールティと同一視される。「マハトは三つの神々として区別的に概念される。(知性認識可能な光の三つの側面という意味において。
というのはまさしくこれがサンスクリットのDevaという語の意味だからである。そしてDieuという語は語源的にその正確な等価物である。)(47)三つのグナの影響によって、三つの神々への一つの顕現(ムールティ)として。
安倍政権成立以来、東証の外国人株主保有率が3年連続で上昇し31.7%になった。株式会社では3分の1の反対があると重要事項の決定はできなくなる。それゆえ経産省基準の3分の1以上が「外資系企業」だが、東証全体が「外資系市場」になる日も近い。goo.gl/kMr4RT
私はこういう誠実な人に心惹かれる。誠実な人とは、自分に対して正直であり続けた結果、普遍的な価値を持つ地平に到達した人なのかもしれない。
「なればいいのよ」エマ・ワトソンがTwitterでフォロワーに誠実に回答した8つの質問 by-s.me/article/120029…
映画祭に行って1日4本も映画を見ていると、何故人は此れ程までに物語を欲しているのだろう?と考えざるを得ない。女優の人たちが素晴らしい名言を吐くことがあるけれど、これは多くの人生を仮想体験として演じて来た経験から考えた、彼女なりの人生訓なのかもしれない。
人が物語を欲してしまうのは、想定され得る多くの人生を仮想体験したいからだと思う。それは男性の場合、その多くはある種の戦略性の失敗に根ざした、「あの時こうすれば良かった」という後悔や反省から生まれている気がするけれど、女性の場合、もっとストレートな感情や希望、意思の様な気がする。
それはもしかしたら男性の場合、ある意味自由が利くからこそ、想定され得る可能性とは、戦略性の失敗や反省から導かれるものなのかもしれない。しかし女性の場合、自由の制限があるが故に、想定され得る多くの仮想体験は、叶わなかった希望を叶えたいという、もっとストレートな感情なのかもしれない。
自己実現という目標が、社会の目指す目標と、そこにおける自らの役割と繋がった時、自己は社会における居場所を見つけ、そして世の中は上手く回り始めるのかもしれない。その始まりは、自分の意思を天と一致させることではないか。
私は戦略性という言葉が、どうしても好きになれない。その中には、全体における自分のパイを広げるという意味が多分に含まれていて、パイ自体を広げて社会に還元し、その結果拡大したパイのパーセンテージを自己に還元することで、自己の利益を最大化しようという視点が欠けている様に感じてしまう。
戦略性と誠実さは、一致し得るだろうか?もしくは戦略的な人は誠実になり得ないとしても、誠実な人が戦略性を駆使するということはあり得るか?これは近代と非近代、概念的なものと情の関係とも似ていると思う。戦略的かつ概念的な情などあり得ないし、非近代的な概念や戦略もあり得ないだろう。
評論家・山田五郎さんが新国立競技場について「東京都税の500億円を使うのなら、都がもつ調布の『味の素スタジアム』を改修して使えばいい。サブトラックもあるし、黒字運営できている。72,000人収容だから80,000人改修も大変じゃないし、安くあがる。都心からのアクセスも悪くない」