穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

152:第九のハイデガー技術論についてのメモ 二

2020-11-12 08:20:51 | 破片

 解説によると「技術への問い」講演は第二次大戦後H(ハイデガー)の復権第一号らしい。長い間ナチス党員であったハイデガーはドイツ崩壊後パージにあっていた。パージは何と言ったかな、公職追放だったかな。日本でも戦時中、国家主義の唱道者たちは公職追放で教職などにしばらくつけなかった。ハイデガーも大学から追放されていたが、公職追放が解けてから大学に復帰した。

 この講演は大成功で終了後大拍手だったらしい。これでH氏は復権復帰を果たしたという。これが分からない。文章でおこしてみると、かなり厄介なしろものである。それが素人が多かったであろう講演会で大成功したというのは、どういうことか。

 表現者、学者も芸術家と同じで一種の言葉による表現者であるが、これにはいろいろなタイプがある。書かれた文章に巧みな、大向こうをうならせるタイプ、小説家なんか、そうだ。それとしゃべくりに魔法的な伝播力のあるタイプ、つまり不特定多数相手の巧みなもの。大学の教師なら講義で学生に人気のあるタイプ。座談が極めて得意なもの。もちろん二つ、三つのタイプを兼ね備えた人物もある。

 吉田茂は国会の演説などはお粗末であって、あまり演説が得意ではなかった東条英機よりひどかったというが、座談は極めて魅力的であったという。これでマッカーサーなどを丸め込んだ。外交官には座談が得意な人がおおいらしい。仕事柄だね。さてハイデガーはどのタイプでしょうか。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 151:ハイデガーは陽狂か... | トップ | 153:三(承前):ハイデ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

破片」カテゴリの最新記事