穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

美の考察で芸術が占める割合は小さい

2016-03-31 19:55:13 | カント

今朝の記事すこし補足した方がよさそうだ。カントが美という時は自然の美をいうことのほうが多いようだ。これは自然の美についての判断を論じているんだよ、と言っていない(念をおしていない)ようだが、芸術について論じている所は30頁しかない。

もっとも、あいかわらず「判断力批判」の5パーセントくらいしか読んでいないから目次や見出しで判断した数字だが。 

崇高についても、此れは自然の景色あるいは現象だとはっきりと言っていないようだが、これは自然が人間に与える印象であることは間違いないようだ。 

それに対して第二部の目的論的判断は例にとられたのがすべて有機体、生命体であるところから自然のなかでも有機物(人間を含む)が考察の対象である。「カントの三分法」でも述べたが、およそまとまりのない、美、崇高、合目的論を反省的判断力で通約するのは乱暴ではある。

 

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