穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

1-5:タクシーを雇う

2018-07-09 10:10:29 | 妊娠五か月

 岡山空港は「ももたろう」空港という名前がついているらしい。桃太郎の鬼退治伝説というのはこの辺の昔話らしいのだ。Tはリムジンに乗り込むと市内のシティホテルにむかった。翌朝9時ごろホテルをチェックアウトするときにフロントの従業員に今日調べに行く土地へのアクセス方法を聞いてみたが、職員はそんな奥地の山岳地帯のことは何も知らなかった。地元の人間でも知らない相当の僻地か過疎地らしい。もしかしたらその職員は別の土地の人間で最近採用されて配属されてきたのかもしれないが。

  この辺からタクシーを雇うとべらぼうに取られそうだし、レンタカーなら多少は安いだろうが不案内な山道を行くのは不安だ。彼は駅の構内にあるファストフードのチェーン店に入ると朝食を注文した。席に落ち着くと岡山県の地図を取り出した。目的の一番近くまでいくバスか鉄道がないかと地図を調べた。

  その結果、倉敷から伯備線で北上するのがいいらしい。さらに支線で何駅か先が一番現場に近そうだ。店で朝食セットを食べコーヒーを飲み終わると、腹の中の料理が落ち着くまでキオスクで買った朝刊をざっと目を通した。読み終わるとTは立ち上がり切符売り場に向かった。列車は一時間ほどでN駅に着いた。比較的大きな駅である。彼はここで下車した。地図で見ると、さらに乗り換えて数駅先で降りるのが距離的には一番近いようなのだが、この辺の事情が彼にはまったく分からない。そこで降りたら無人駅で、あたりにはタクシーもいないかもしれない。近くには商店も人家もないかもしれない。そうなると、そんなところから現地にも行けず、結局岡山に戻るまで列車を何時間も待たなければならない羽目になるかもしれないのをTは危惧したのである。

  一応体裁の整った?N駅で降りて改札の職員にタクシーが呼べるか聞いた。駅員は100メートルほど先にタクシー会社があると教えてくれた。行ってみるとトタン屋根で小屋掛けをした駐車場にタクシーが二台待機していた。車のそばに立って煙草を吸っていた運転手にTは目的地を告げて往復で料金はいくらぐらいになるかたづねた。初老の貧相な運転手は胡散臭そうに彼をみると「さあね、あんまり行ったことがないからな」と言った。地元の運転手も行かないところなのかと彼はすこし不安に感じ始めた。

  その運転手は彼を離れてもう一台駐車しているタクシーの運転手のところに行きなにか相談している。二人でTを見ながら話していた。戻ってきて「二万円ぐらいじゃないかな」とぞんざいに教えた。「そんなに高いのか」と驚いて見せると、「往復でしょ、向こうに着いたらどのくらい待つんですか」と言った。

「いやちょっとだけだ。別にだれを訪ねるわけでもない。どんな土地か見て来るだけだ」と答えた。

運転手は一体何をしにいくのか、と疑わし気に彼の様子をうかがった。「誰かを訪問するんじゃないんですか」

「そうじゃない」というと彼の訪問の目的をますます疑いだしたようだ。まさか、自動車強盗と思われたわけでもあるまいが、Tは「その土地を買おうとする人がいてね、調査を頼まれたんだ。だからあまり運賃が高いと請求しにくくてね」ととっさに口から出まかせを言った。

すると運転手は「あまり待たなくてもいいなら、安くなるでしょうね」と言った。

「どうだ、一万円で言ってくれないか、メーターを倒さないで」とTは押してみた。

「冗談じゃない。そんなことはできませんよ」というと運転手はしばらく黙った後で、「すぐ戻るんなら一万五千円前後で行けるかもしれない」

 とにかく他に手段はないTはタクシーを雇うことにした。