穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

3-1:ビッグ・キルあるいは言葉遊び

2018-07-29 07:01:08 | 妊娠五か月

 ビッグ・キルとはスラングで競馬の大穴を射止めることである。文字通りの意味では大量殺人である。これはカント流のカテゴリーでいうと空間的と時間的なのがある。

  時間的なのはシリアル・キラー(連続殺人犯人)という。空間的なのは同時に大量殺人を行う。最アメリカの大学、高校のキャンパスでの銃撃事件のようなものだ。日本では「通り魔事件」と命名されている事件にこの種のものが多い。 大量殺人だからビッグというよりもメニー・キルのほうが英語としては正しいのかな。

  閑話休題。さてビッグ・キルはワイドショー狙いが多いようだ。話題、事件の衝撃がビッグ・ニュースとして流布されたいという願望が垣間見える。また、逃亡を考慮していない。その場で捕まるか殺される覚悟がある。捕まった後も饒舌であることが多い。事後本を書く犯人もいる。

  それに対してシリアル・キラーは捕まらないようにたちまわる。何故って?次の犯行が出来ないじゃない、捕まったら。

  大体においてシリアル・キラーは性欲に突き動かされるものである。ビッグ・キルは概念による犯罪である。あるいはフィクションによる犯罪である。一説では「幼いころから、人の言うことを、言葉通りにしか理解できない」ような人間に多い。これは「ネット・いのち」の人間の特徴でもある。 

  つまり人の言葉を前期ウイトゲンシュタイン流にしか理解できない。言葉のあいまいな外延に気が付かない。お粗末でした。お後がよろしいようで。