また、チャンドラーのロンググッドバイを拾い読みしている、村上春樹訳で。お得意の『やれやれ』がよく出てくる。一体英語でなんと言うのだろうか、とチェックして見ると、原文では色々ないいかたなんだね、phooneyとかgoshとか。
春樹さんは『やれやれ』が好きらしい。ある時あるところで(というのが重要なんだが)、かれがもっとも影響を受けたか、好き(正確な表現失念)な作家はドストエフスキー、フィッツジェラルド、チャンドラーだと言っていた(対談だとおもった)。
作風でドストを連想させる作品はない。もっとも換骨奪胎という言葉もあるが、それと気づくところはない。あるひとは彼の「ダンス、ダンス、ダンス」はドストの白痴に似ているというようだが、ダンスは未読なので分からない。
フィッツジェラルド(のグレート・ギャツビーなんだろうが)とも似ている所はないように感じる。村上の作品は読んでいない方が多いから或は中にはあるかもしれない。
さて、チャンドラーだが、村上の作品(とくに中期までの)は表面上というか文体というか、表現というか、チャンドラーを真似した所が眼につく(鼻につく)。これは読んでいてすぐに分かる所だ。句読点が(比喩的な意味ですよ)髭を剃った、シャワーに入った、簡単な料理を作った、皿を洗った、掃除をしたなどの独身男の家事作業であるところなど、そっくりだ(一例をあげると)。
また、比喩もチャンドラー風なのが多い。もっとも、チャンドラーの方が抑制が利いている。村上の中期の作品はひねりすぎていささか鼻につく長たらしい比喩が目立つ。