穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ロング・グッドバイに酷似するダンスダンスダンス

2016-01-21 19:10:37 | 村上春樹

といっても部分的なんだが、上巻の21章以降はチャンドラーのロング・グッドバイに酷似する。前回シャイニングに似ていると書いた。古い建物(いずれもホテルだ)自体の怨念が怪談話のタネになっていると言う点では全く同じである。

今度はLGB(ロンググッドバイ)との酷似。このDDDは数年前に遊んだ遊女キキにどうしても会わなければならないというボクの焦燥感(上巻終わりまで理由は示されず、おそらく最後まで示されないのだろう)が物語の推進エンジンとなっている。これをふまえないと以下の説明にならないので。

中学時代の同級生が映画スターになっていて、その映画にキキが五反田と共演している。それで五反田君(スター)に連絡して再会、コールガールで接待される。なぜなら五反田が呼んだのはキキの同僚なのである。そこで連絡のつかないキキのコンタクトが聞けるかも知れないと五反田が気をきかしてくれた。ところがその女たしかメイだったか、もキキの連絡先を知らない。そこでボクは自分の名刺を女に渡して、分かったら連絡してくれと頼む。

何日かして刑事が来て署で取り調べをボクが受ける。その女が絞殺されたのである。そして残された財布にボクの名刺があった。ボクは名刺を渡したいきさつを正直に話すと友人五反田に迷惑がかかる。彼女がコールガールだという素性が分かり、友人の映画スターがスキャンダルに晒されるから本当のことをいわない。それで3日あまり署に留め置かれてしぼられる。

このくだり、LGBで友人のテリーをメキシコに送り出したマーロウが刑事に暴行を受けても話さなかった所と酷似する。テリーは妻殺しの容疑をかけられていたからである。ここだけなら酷似してもよくある話ですむ。

ある弁護士が裏から手を回して釈放してくれる。これもLGBのプレスコット弁護士の役割と酷似。この弁護士を手配したのはボクとあるかかわりのある少女ユキの父親で有名な作家(社会的地位のある)である。このへんもLGBのアイデアだ。 

さて酷似はもっと続く。釈放された後彼女に連れられて父親に会う。父親はすこし問題のある(性格に異常のある)その少女を監督してくれという。警察に容疑者として尋問されたことを承知でマーロウをわざわざ指名して酒浸りでスランプの有名作家ウェイドの監視をしてくれというLGBに酷似する。それ以降どうなるか下巻を読んでいないから分からない。 

一点だけの酷似なら偶然である。しかし三つも本質的というか構造的に同じパターンが続くということは意識的であると無意識であるとに関わらず強い影響を受けている。

それが悪いというのではない。才人村上春樹らしくよく処理されている。もっともいくつか詰めの甘い所はあるが、それは構造的酷似の問題ではなく、派生的な部分の問題である。

欧米の評論家によると、DDDはドストの白痴に似ているそうだが、いまのところその点には出くわさない。下巻ででてくるのだろう。