穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

石原慎太郎の西村賢太芥川賞選評

2011-02-11 18:01:28 | 西村賢太

ひねもす雪は落ちる。時にはみぞれ、時には綿くずのように。黄昏に至るも路はいまだ黒し。積もるのはこれからならん。かくて皇紀二千六百七十一年第一日は暮れゆく。

私小説ふうに書くとこうなる。雪に降りこめられるのをおそれて昼前食料品の買い出しに行く。その時ついでに文芸春秋を買う。すでに単行本で受賞作は読んで書評はこのブログに書いたが芥川賞の選考委員がどう批評しているか、自分の書評と比較してみようと思ったわけである。

家ではちょうど文芸春秋社の単行本「小銭をかぞえる」西村著を読みさしていた。受賞作のほか、文庫本で何冊か西村氏の小説を読んだが、小銭をかぞえるは他の作品に比べてスピード感がでないな。

さて、石原慎太郎郎氏の選評。現代のピカレスクという題。そうじゃないな、少なくとも苦役列車は。しかし、「小銭をかぞえる」を読み終わると確かに小ピカレスク小説といえないこともない。

同棲する女をATMとして扱い、パチンコ屋で「出ないぞ」と台を叩く客のごとく女をおどし、ひっぱたき蹴飛ばす。

この小説は前回の芥川賞候補作らしい。石原氏はひとり推薦して「孤軍奮闘に終わった」そうである。しかし、この比較的西村氏の作の中では質の落ちる作品のなかに、才能を先取りし看破ていたなら、石原慎太郎氏はなかなかの炯眼である。

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