穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

西村賢太のしゃべり方

2011-02-09 08:33:56 | 西村賢太

二番目のキーワード、落語のまくらとは何のことかわかるまい。ここ何十年と落語を聞いていないから、最近のことは分からない。昔は落語の本筋に入る前に本題と関係ないようなことを少ししゃべる。そして知らぬ間に本筋に入っていく。この部分を「まくら」といった。

昔はテレビやラジオのように時間の制約がないから、気が向けば長々とやる。簡単に切り上げることがある。昨夜飲み過ぎたり、遊郭で遊び過ぎて疲れているときはさっさと切り上げる。

ちょうど相撲の仕切りみたいなものだ。放送中継のないころは仕切り時間の制限もなかったように。

まくらも芸のうちで、うまい落語家のを聞いていると、そこだけでいい心持がしてくる。落語家の目線は下町というよりかは、場末の生活者、そして自由な、反権力的な都市生活者のそれである。いまのテレビの司会やバラエティ番組で田舎者の視聴者相手に銭を荒稼ぎする連中とはわけが違う。

そして、噺家であるから饒舌であり、芸は達者である。西村氏の饒舌達意の文章を読むとそういうことを連想させる、ということ。

氏は江戸川区の出と言うが、決して下町とは言えない。勿論山の手でもない。場末か、あるいは新開地に入るか。

おまけ、「南関東のなまり」と再三いうが、あれは何か。おいらが鼻の詰まったような 「ン」と「グ」 との区別がつかない聞き苦しい言葉を乱暴に「北関東のなまり」と決めつけるようなものか。

南関東といっても、千葉と神奈川では同じではないのではないか。千葉の言葉は多少耳に残っているが、東京の言葉とはまったく違う。神奈川についても同じだろう。西村氏が千葉県との境で育ったというから安房言葉のことかな。

「はな」と文頭にくる。あれは何かね。「もともと」、「最初から」ということかな。ま、なんとなくわかるし、文体を構成する一つだろうからケチをつけているわけではないが、下町ことばではないようだ。

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