穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

あれは西村賢太だったかな

2022-07-19 20:40:39 | 西村賢太

  あれは、やはり西村賢太だったのかな、と思い出したのは最近彼の「どうで死ぬ身の一踊り」の冒頭を読んだ時だ。たしか彼が芥川賞を貰ったころだった。テレビやなんかで彼の顔が流れていたころだ。「どうで、、」に滝野川に家があったようなことが書いてある。小説だが、私小説だから大体場所なんかも同じだろう。その時に私は東大の正門前からバスに乗った。いまは工事中の三省堂の前の「駿河台下」という停留所で降りようとして、後ろの座席から降りてくる乗客にぶつからないようにと後ろを確認したときに彼はいた。あの特徴のある顔とゴリラのように発達した上半身の人間は滅多にいない。だから一瞬かれかなと思った。それだけの話であるが、「滝野川の家」云々のくだりを読んで思い出した。彼がよく神保町の古本屋に行くというのはあちこちで書いている。そのバスは王子発で(今は知らない)滝野川、本郷、神保町を通って丸の内に行く。彼の生活圏に合致する。
 彼の雰囲気が独特で不機嫌そうで、うっかりすると彼の小説の中のように罵声を浴びせかけられそうな気がした。ぼんやり見ていると、いきなり因縁をつけられそうな気がした。気がしたというだけの話だがね。世の中にはまれにそういう空気を漂わしている人間がいる。別にその時は因縁をつけてはこなかったが、そういう警戒心を抱かせる雰囲気を纏っていた。
 それだけの話だ。つまらない話で申し訳ない。すっかり忘れていたが、急に思い出した。多分彼ではなかったかもしれないね。合掌

訂正が必要か? 七月二十日追加

そういえば、その人物はジェラルミンのアタッシェケースを持っていなかった。西村賢太氏ではなかったかもしれない。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 久しぶりに寛太節を読む | トップ | 西村賢太の出世作と言う、 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

西村賢太」カテゴリの最新記事