Soulful Bigover

「自由」と「ロマン」を求めて、creativeなアウトドアライフをめざす。

ノスタルジー

2005年07月30日 | essay
佐和山」と聞いて、歴史好きであればピンと来る方もあるのではないだろうか。
この山、彦根の北部に位置する標高200mあまりの小さい山だが、戦国時代には石田三成の居城にもなるなど、政治的にも戦略的にもかなり重要な位置にあったようだ。
また、この麓には古い寺院など、名所旧跡も多く趣の多いところでもある。
僕は、その山麓で少年期を過ごした。
先日の事となるが、仕事の帰りにこの近くを通ったのと少し時間があったので、この思い出多い場所を久しぶりに訪れた。

この地方では、毎年夏休みの終盤に「地蔵盆」という、地元のお地蔵さんに子供達が集まってお祭をする風習がある。
うちの町では、佐和山の麓にある弁天さんの参道にある「子安地蔵」で行われていた。
この弁天さんは正式には「大洞弁財天」といい、日本三大弁財天の「長寿院」の名でも知られ、全国に多くの信者を抱える。
また建築造形の面でも有名で、文化財に指定された建造物も数多くある。
僕は歴的価値ある場所で行われる地蔵盆を、子供心に誇らく思っていた。

またその行事自体も、毎年とても楽しみにしていた。
それは、たくさんのお供物のお菓子や果物が食べ放題で、友達とゲームや探検そして夕食会の後の肝試しなど、ありとあらゆる楽しみが詰まるスペシャルDAYだったのだ。
集まった当時の悪ガキどもは遊びの限りをつくし、時には無法者となって野山を駆けずり回った。

そんな僕らだったが、長い石段を上がり立派な楼門をくぐって弁天さんの境内に入ると、なぜかこの悪たれ集団はおとなしくなった。
それは、大人たちから強制されての理由ではなかったように思う。

実は子供心にここの霊場としての一種独特の雰囲気に圧倒されて、「恐かった」と言うのが粛正の要因だったように思う。
それは、自分達人間の力及ばぬ現世でない、とらえどころのない恐怖心であったように思う。
とくに楼門に一対の仁王像があるのだが、正直なところ少年の僕はその形相があまりに恐ろしくて、まともに見れなかった記憶がある。
幼心にあの恐ろし気な仁王さんは騙せないし、少年の悪さであっても許してくれないと感じていたのだろう。

あれから四半世紀を経て、改めてこの仏像と対面した。
薄暗い楼門に安置された「毘沙門天」と「堅牢地神」(写真)は、今でも恐ろし気なオーラを出し続けていた。
さすがに恐くて見れないと言うことはなかったので、少し安心した。
しかし、じっくり見れば見る程人を圧倒する迫力と、その造形美に心を奪われた。
そして、この二神がまるで生き物のようになにかを語りかけてくる。
僕の心のひだに触れるものを感じさせ、畏怖の念を抱かせる。

帰路ここからの眺めを楽しみながら、少年だったころの自分を懐かしく思い浮かべる。
そして石段を降り切り、ようやく今の自分に戻れた時、
「悪い事して大きいバチが今あたったら、時間的にもう取りかえす事が出来ひん歳になったんやな〜」
なんて、ちよっとふざけて考えたりした。
しばらくするとその事がだんだん膨らんできて、いつしかマジな気分になり僕は心底ビビってしまっていた。

「ん〜?このビビリ方、子供の時とあんまし変わってないやンか」
思考的にまったく成長してない自分に、このとき改めて気付いた。
仁王様に完敗である。(勝てる訳ないか)

とってもノスタルジアな、いい日だった。

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3 コメント

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Unknown (livingston)
2005-07-31 12:41:13
小さい時に見た、風神雷神の背中の筋肉に憧れてトレーニングしたのを思い出しました。最近、セーケン(大垣の有名な寺の跡取り)の寺の表のこれを見て”まだまだやね”と思ってさらに精進しています。昔の人はトレーニング理論もなしにあの体を作ったんですからすごい。
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Unknown (bigover)
2005-08-01 17:06:27
livingstonさん、こんにちは。

こうした造形物が有史以前からあると言う事は、それをモチーフにした人達がいた言う事でしょう。

きっと俗世間と決別して、修行を積ンだんでしょうね。
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お邪魔します (多摩)
2005-08-01 20:31:46
今日はわたしのブログにTB有難うございました。私は昨年造船会社を定年退職。現在は英語を勉強したりしてのんびり過ごしています。



どうぞ宜しくお願い致します
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