私には、ずっと以前から、何気なく気が付いているが、今もって是正できていない悪い習慣がある。例えば、期限が決められたような仕事の場合、期限ギリギリまで先延ばしにしてしまう!、というような習慣である。
これに関して、昔、こんな想い出がある。中学生時代だった、ある時、数日後に実施される試験に備えてみんなが試験勉強をしている時、級友の峯崎くんが「今、自分たちが試験勉強をしてるみたいに、普段からいつも毎日、猛烈に勉強し続けていけば、すごい人になるんだろうな!」って、言っていた。この言葉は今も耳に残っていて、時々想い出す。
私は、彼の言葉に同感である。この言葉は、物事をやり通そうとする時、"背水の陣"の状態に置いて臨め!という言葉にも通じている。これは、いざ、という時あるいは、差し迫った状態にならないと、凡人って、なかなか本腰を入れて物事に取り組まないものだ、ということを如実に表現している、と思う。普段は試験勉強をしてるときみたいな気持になれない凡人とそうでない人とは、ここで大きな差がつく、と思う。凡人でない人、充実した人生を重ねている人たちは、逼迫した状態に自分の立場を置いて、自身を甘やかすことなく自己実現を目指している人のことを指す、のではなかろうか。
会社を定年退職して、エブリーサンデー状態になると、期日の限られた行動義務があるわけでもなく、この先、死ぬまで、毎日の時間がまったく自分の気の向くままの自由状態になる。この先、寿命が尽きるまでの自分の持ち時間をどのように使って過ごしていくかは、各自の自由である。人によっては、魚釣りとか将棋・囲碁の趣味のレベルアップに励んだり、無農薬野菜作りを手がけてみたり、お遍路さんとなって全国の名所を巡り歩いたり、など人それぞれの価値観や考え方によって様々だろう。
さて、私の場合、定年になってからまもなく10年になるが、振り返ってみると、この長期間に何をやってきたかと自問してみると、自分で納得できるような充実した生き方をしてこなかった、としか言えない。ハッキリ言って、もったいない時間の過ごし方をしてきたな、と思う。これって、今まで、まさに期日の差し迫った試験というものの無い、自由気儘な状態であり、自分を甘やかして過ごしてきたから、ということに起因している。どうやら、恐らく、私の場合、期日の迫った試験に望む時みたいに、逼迫した状態に自分の立場を置くことが必要のようだが、かといって、今さら、そんな窮屈な状態に自分を置くのはイヤダ、というのが本音である。こんな中で、トシとともに私には、時々、いずれ有無を云わせず訪れる"死"というものが逼迫して意識されるようになってきて、なんかしら最近焦り気味でもある。
これに関して、昔、こんな想い出がある。中学生時代だった、ある時、数日後に実施される試験に備えてみんなが試験勉強をしている時、級友の峯崎くんが「今、自分たちが試験勉強をしてるみたいに、普段からいつも毎日、猛烈に勉強し続けていけば、すごい人になるんだろうな!」って、言っていた。この言葉は今も耳に残っていて、時々想い出す。
私は、彼の言葉に同感である。この言葉は、物事をやり通そうとする時、"背水の陣"の状態に置いて臨め!という言葉にも通じている。これは、いざ、という時あるいは、差し迫った状態にならないと、凡人って、なかなか本腰を入れて物事に取り組まないものだ、ということを如実に表現している、と思う。普段は試験勉強をしてるときみたいな気持になれない凡人とそうでない人とは、ここで大きな差がつく、と思う。凡人でない人、充実した人生を重ねている人たちは、逼迫した状態に自分の立場を置いて、自身を甘やかすことなく自己実現を目指している人のことを指す、のではなかろうか。
会社を定年退職して、エブリーサンデー状態になると、期日の限られた行動義務があるわけでもなく、この先、死ぬまで、毎日の時間がまったく自分の気の向くままの自由状態になる。この先、寿命が尽きるまでの自分の持ち時間をどのように使って過ごしていくかは、各自の自由である。人によっては、魚釣りとか将棋・囲碁の趣味のレベルアップに励んだり、無農薬野菜作りを手がけてみたり、お遍路さんとなって全国の名所を巡り歩いたり、など人それぞれの価値観や考え方によって様々だろう。
さて、私の場合、定年になってからまもなく10年になるが、振り返ってみると、この長期間に何をやってきたかと自問してみると、自分で納得できるような充実した生き方をしてこなかった、としか言えない。ハッキリ言って、もったいない時間の過ごし方をしてきたな、と思う。これって、今まで、まさに期日の差し迫った試験というものの無い、自由気儘な状態であり、自分を甘やかして過ごしてきたから、ということに起因している。どうやら、恐らく、私の場合、期日の迫った試験に望む時みたいに、逼迫した状態に自分の立場を置くことが必要のようだが、かといって、今さら、そんな窮屈な状態に自分を置くのはイヤダ、というのが本音である。こんな中で、トシとともに私には、時々、いずれ有無を云わせず訪れる"死"というものが逼迫して意識されるようになってきて、なんかしら最近焦り気味でもある。