手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

50年近い遠い日の想い出-出張途中に鹿屋に寄り道しキャバレーに入る

2020-04-12 17:39:46 | 想い出
50年ぐらいも前のこと。ロケット打ち上げにともなう出張で、鹿児島に出張する機会が何度もあった。まだ独身だった頃のこと。あるとき、私はひとり、出張現場までの道中の途中で寄り道して知らない街などを見物するため、出張する日を予定より1日だけ早目にして東京を寝台車で出発して、いくことがあった。
その日は、鹿児島県の鹿屋というところで寄り道をした。昼間は鹿屋の街を散策した後、夜も遅くなってきて、泊まる旅館も決めていない状態で、敢えて、若い女性が男性を接客する、いわゆるキャバレーに一人で入ったのだった。その当時、私は、東京では、たまに友人とキャバレーに入っていたことがあるので、鹿児島という地方のキャバレーが大都会の東京と違って、どんなものか知りたい、という好奇心があったからだ。お客に女性が接待していろんなよもやま話をするのは、東京の場合と同じで変わらない。ただ、この当時の鹿屋では、この日の私のように、東京からのお客が来る、というのは、滅多にないようで、大都会の話題などで盛り上がった。私は遊び心も手伝って、お店の閉店までねばった。そして、私の脇に座った、私お気に入りの女の子に、その夜の泊まり場所は決めてないことを話したら、その若い田舎娘の女性が、「ウチに泊まってもいいわよ」と、私の期待していたとおりのことを言ってくれた。その女の子、背の小さな田舎娘といった感じのお嬢さんだ。
閉店後、彼女が下宿している民家の2階に案内され、私は彼女と同じ布団の中で一夜を共にしたのだった。その晩は、言うまでもなく、彼女は当然のように、積極的に私とのセックスを待ち望んでいた。私たち二人は、貪欲に互いの快楽を求めあった。私は、彼女の秘肉の奥深くに挿入・結合して、お互いに最高の頂点を求めあった。より深い結合のために、私がピストン運動を加えるたびに、彼女は、「サトシ!」、「サトシ!」と私の名前を何度も大声で叫んで絶頂を楽しんでいた。(註:私は彼女には、「敏(サトシ)」という偽名を伝えていた!)
こうして、互いに絶頂を味わった結果、私たちは深い眠りに落ちて行ったのだった。
しかし、約2時間ほど眠った後で、二人はまたもセックスの虜に襲われた。それで、この晩は再度のセックスをして、またも、お互いに最大限の喜びを味わったのだった。
この光景はいまだに忘れることのできない、大興奮の想い出だ。
一夜が明けた、その日のこと。私は出張現場まで、定刻に到着しなければならないため、当日朝は早めに起床、午前7時頃に鹿屋のバス停から始発のバスに乗り込んだ。その際、驚いたことに、昨夜を共に過した娘さんがバス停まで見送りに来てくれていて、バスの窓越しに朝食のための食物を手渡してくれたのである。
そして、バスが出発したとき、彼女は、見えなくなるまで手を振ってくれていた。あの日の光景は今でも忘れられない。娘さんのことを思い出すたび胸が熱くなると同時にこみあげてくるものを感じる。この想い出もまた、生涯忘れられない、大切な想い出だ!!
世間では、鹿児島の女性(薩摩おごじょ)は情けに非常に篤い!という評判を耳にすることがあるが、確かにそうだと思う。結婚するなら、鹿児島の女性がいい、という噂は本当だと思う。
あの鹿屋のお嬢さん、今頃どのような人生を送っているのだろうか?幸せな毎日を過ごしていてほしいと願うばかりである。


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