今日、朝食後、いつものように何気なく新聞に目を通していたら、「園まりさん死去 三人娘、「逢いたくて・・」」との記事が目に飛び込んできて、驚きのあまり、釘付けになった。記事によると、7月26日に急性心不全で亡くなった、とのこと。
振り返れば、私が大学卒業後、当時、六本木にあった研究所(現在は、その地が国立新美術館に生まれ変わっている)に勤務していた頃、何をおいても大好きだった唯一無二の女性歌手が、園まりだった。もちろん、彼女のレコードは、「逢いたくて逢いたくて」など何枚も買っていて、今でも残っている。
当時、私の”園まり好き”は、私の家族や勤務先の仲間までもが知っているほど有名だった。あの頃、園まりがテレビに出ていたときなど、私の一番下の弟は、「むーちゃん、園まりがテレビに出てるよ!」って、二階にいた私に声をかけてくれていて、今でもその声が聞こえるほだ。
それに、園まりの親族が赤坂見附近くで、確か、お花屋さんをやっているらしい、というのを週刊誌かなんかで知って、実際にその場所に足を運んだこともあって、研究所仲間からも冷やかされたものだった。
最近では、彼女は、テレビにはまったくといっていいほど出ていなくて、そんな中、たまたま、たしか、つい2~3カ月前に、「徹子の部屋」に出演していて、それを見た私は、相変わらずの若さ、可愛さを保っているなぁ、と思ったものである。
振り返れば、私が大学卒業後、当時、六本木にあった研究所(現在は、その地が国立新美術館に生まれ変わっている)に勤務していた頃、何をおいても大好きだった唯一無二の女性歌手が、園まりだった。もちろん、彼女のレコードは、「逢いたくて逢いたくて」など何枚も買っていて、今でも残っている。
当時、私の”園まり好き”は、私の家族や勤務先の仲間までもが知っているほど有名だった。あの頃、園まりがテレビに出ていたときなど、私の一番下の弟は、「むーちゃん、園まりがテレビに出てるよ!」って、二階にいた私に声をかけてくれていて、今でもその声が聞こえるほだ。
それに、園まりの親族が赤坂見附近くで、確か、お花屋さんをやっているらしい、というのを週刊誌かなんかで知って、実際にその場所に足を運んだこともあって、研究所仲間からも冷やかされたものだった。
最近では、彼女は、テレビにはまったくといっていいほど出ていなくて、そんな中、たまたま、たしか、つい2~3カ月前に、「徹子の部屋」に出演していて、それを見た私は、相変わらずの若さ、可愛さを保っているなぁ、と思ったものである。