sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:殺されたミンジュ

2016-01-30 | 映画


覚悟してたけど疲れた。しばらくは気楽な映画しか見たくない。笑
半分くらい、画面を手で覆って隙間から見ながら、
背中も肩もバリバリに緊張して見たので、
ビールやワインではなく、ウィスキーか何かが必要な疲れです(^_^;)

一言で説明すると、拷問映画と言っていいかも。
暴力シーンのエグさで言えば、彼の他の映画の方がエグい感じはするんですけど、
キム・ギドク見るの久しぶりで免疫が切れてたので疲れました・・・。
(前作「メビウス」はこわくてまだ見てない・・・笑)
エグい暴力描写はとても苦手なので見たくないし疲れるんだけど、
見ると彼の表現の強度みたいなものにさすがだなぁと、度肝を抜かれるので
かなり頑張って気合入れて見に行きました。
怖いものや不快なもの苦手なものでも、普段意識していない部分の気持ちを
激しく揺さぶられるようなものは、結局見に行ってしまう。

ある夜、ミンジュという名の女子高生が男たちに捕まえられ、殺されます。
ミンジュというのは韓国語で民主というのと同じ音なので、
殺された民主主義という意味にも取れるようになっています。
1年後、実行犯の男たちからそれを命じた者たちまで順番にどんどん拉致され、
拷問の末に自白を書いたあと解放されるということが起こります。
だんだん偉い人が出てくるけど、誰も女子高生殺しの犯行の理由は知らず、
言われたことをしただけだと言います。
実行犯には罪悪感に苛まれていた人もいるけど、
将軍とか、もっと偉い人になると、どんどんふてぶてしくなり
良心の呵責も無くなっていきます。
女子高生を殺すことも上の命令であり、それは国のため世の中のためであるはずで
何も間違っていない、正しいことなのだと信念を語ったりする。

一方、この女子高生殺しの犯人たちを拉致し拷問するグループの正体も
少しずつ明かされていきます。
国家権力や諜報組織ではなく、過激派でもなく
いうなれば世直し必殺仕事人的な存在?
でも、そこに参加する人々の動機も様々で、
社会やその支配構造の中で虐げられた鬱憤のある人たちという共通点があるだけです。
そしてこの彼らのしていることをテロと呼ぶシーンも出てきます。

とりあえず、それぞれが何かを象徴していると考えられるので、
殺されたのは民主主義や自由や人権、無力な個人など、
殺したのは官僚や政府や独裁者やそれらの混合したシステムのようなもの、
それを暴き正そうと拷問するグループは
社会の不平等と不条理に不満を持つテロリストたち、
という構図なのかなと真ん中へんくらいまで思いながら見ていました。
テロリストの中で内ゲバ的なことが起こり、
テロリストの中でボスが独裁的になり、暴力で味方を脅したり縛ったりする。
テロリストのメンバーは政治的理想があるものだけではなく、
単に個人的鬱憤ばらしがしたいだけの者もいて、
そういう者を集めて訓練させ拷問部隊にしたてあげる・・・。
実際に世の中で起こっていること、そのままですね。

キム・ギドクは、いつも、どこかむき出しで、案外稚拙というか、
マンガっぽい単純なところがあると思います。
この映画も、語られないことにこだわらずに、距離をとって見ればわかりやすい。
上記したような構図がわかれば、難しい映画ではないのです。
でもまた、そういう構図で見るのはわかりやすいけど、単純化しすぎかな、
と思って、途中からはそういう構図に全部当てはめて見ることはやめました。
キム・ギドクの映画は、そういうむき出しの単純さを見てとり、
したり顔で割り切ってしまうものではないからです。
彼の映画には独特の図太い強さがある。
勢いと強度と激しさで突き進む。
エロもグロもバイオレンスも、表現の手段として存分に使われていますが、
それもどれも、この「強さ」の道具でしかないように思います。

この映画には、ひとり八役の俳優さんがいるんだけど、それを知らずに見に行って、
2人目の役が出てきた時、同じカフェで前とは別の女性と一緒のシーンだったので
同じ人が年月を経てこうなったの?純真そうな子と付き合ってたのが、
別れてはすっぱな女と付き合うようになったの?傷が消えてるから何年かたったの?と
時系列を思い違いしたり、
3人目の役が出てきた時もまだわからず、
また似た顔だなぁ、いや、イケメン俳優の見分けがつかないわたしの老化現象?
と思ったりして、けっこう混乱しました。
4人目くらいで、あれれ?これって、もしかしてひとり何役という趣向?
って気づいて少し落ち着いたけど・・・。
それで、その同じ人の役は、あるグループのメンバーを、それぞれの生活の中で
いたぶったり暴力振るったりする人たちの役だったので、
そういう抑圧支配する側を一人の俳優に象徴させてるのかと思ったら
全然違うタイプの役もまた出てきて、さらに少し混乱。
単純に一人複数役、と考えると、やっとすっきりしました。笑

そして、それがすっきりする頃には、冒頭で女子高生が殺された理由も、
最後まで明らかにはされないのだなきっと、と思うようになり、
それは一体なんなんだろうと複雑な深読みをすることもなく
もやもやしたはっきりさせたい気持ちもなく、なんだか納得していました。
あえて描かない、あるいはどうとってもいいように観客に委ねるために描かない、
あるいは何かを象徴する形で示しているので明示しない、など
描かれない理由にもいくつかの取り方がありますね。
まあ、わたしは描かれないものは描かれないまま放っておく派ですけど。
それぞれなりの答えを見つけて、安心するのではなく
答えのない状態を、そのままにしておくのに、慣れてきたのだと思います。
大人になったということかな。笑
でも、ラストはいろいろ考えさせます。虚無的でやるせない。

主演俳優も、八役やった俳優も、他も役者はみんなすばらしいですが、
(いやぁ、うまいわみんな・・・)
グループの中にひとりだけいる女性が、私生活でDVを受けるシーン、
あのシーンの女優の演技はすごかったなぁ。

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