散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記170117火(不二画廊 アートエリアBI Oギャラリー ラボカフェ)

2017年01月18日 16時19分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 8.5  2.8  晴時々曇り
昨日は、午後から堺筋本町近くにある不二画廊に出かけた。
途中、地下鉄の乗り換えのついでに、ギャラリー編みにもよったが、イラストらしい小さい絵が多数並んでいて、興味がなかったし、時間的に余裕がないので、素通りして地下鉄に乗り不二画廊に行った。
不二画廊は、3月に終了し法隆寺の画廊に移転するときいていた。
DMにもファイナルエキシビジョンと記載されていた。
オーナーの話しでは、現在不二画廊と法隆寺の画廊とを同時に営業していて、それを法隆寺に絞るという事らしい。
オーナーとはよく話をするが、たまにしか不二画廊に行ってなかったので、なんとなく敷居が高かった。
展覧会は、今まで不二画廊で展覧会をやった人達のグループ展の後半だった。
全ての作品が、高い質を保っていて、不二画廊がいい作家達に愛されていたことがうかがえた。
ひとしきり、オーナーや出展作家と雑談してから、京阪電車難波橋駅にある「アートエリアBI」に行った。
始めていくギャラリーで場所が分からず、駅員の人に教えてもらった。
堺筋が通通る中の島のなにわ橋(ライオン橋)の西の地下にある、京阪難波橋駅改札口から更に西に行くと大きな広場が現れた。
そこが「アートエリアBI」(http://artarea-b1.jp/about/)だった。

広場から東の方を見ると大きな空間に作品が設置されていた。
鉄道芸術祭6 ストラクチャーの冒険(http://artarea-b1.jp/pdf/tetsugei6_A3_flyer.pdf)と題し、榎忠氏のインスタレーション、五十嵐大介氏の漫画の原画をもとにしたインスタレーション、インンビジブル・デザインズ・ラボのピアノと玉転がし装置による音によるインスタレーションを展示していた。
構造=ストラクチャーをキーワードにした展示会だが、そのコンセプトとのマッチングがうまくいっているかという問題は、別にしてそれぞれの作品は、かなり見ごたえがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=ygri89NeuVc
作品を、ゆっくり鑑賞した後、「アートエリアBI」を後にして、西天満のOギャラリーに行った。

フジイ フランソワ展(http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/)が開かれていたが、髑髏をモチーフにした作品は日本画で、独特の霊魂観 九十九(功徳)の対象としての髑髏と土に還る自然といったキーワードをちりばめたコンセプチャルで戯画的日本画に仕上げ、その独特の世界に浸ることができ面白かった。

Oギャラリーを後にして、再び「アートエリアBI」に行った。
19時から「アートエリアBI」でラボカフェのセミナー「『見えない世界』を通じて考えるメディアの構造」が開かれていたのだ。
ゲストは、ヴァージル・ホーキンス(大阪大学大学院国際公共政策研究科 准教授)
話の内容は、報道の偏りに関連した話がテーマだった。
冒頭で冷戦終結後、多くの死者を出したのはアフリカのコンゴ民主主義共和国の紛争であるが、記事の分量からすると、フランスやヨーロッパのテロ事件が、数人からせいぜい百人レベルの死者であるのに対し、コンゴの紛争では数十万人が犠牲になっていて、これらはパレスチナ紛争や中東のテロよりはるかに大きい犠牲者数だが、日本で報道される記事の分量からすると非常に少ない。
そもそも、国際記事そのものが1-2割程度という。
これは全世界同じ傾向であるという。
地球上で、日々様々なことが起きているが、報道されていないことが山ほどあるらしい。
しかしネットでは、様々な情報が発信されているが、報道されていないのが現実である。
といったような話があり、興味深く話を聞いた。

そんな話を聞きながら私なりに考えたことがあった。
こうした話の中には、ニュース素材(事件、事故・・例火事・殺人・戦争・政治経済)の断片と報道との関係には、情報の整理(捉え方=指向性<例保守的かリベラルかとかどちらの陣営に近い意見か>、編集といった問題が含まれる。
単に、ネットで事故の場面をアップしても、それもニュースではあるが、その背景に大きな問題が隠されていることを取材により表に出す<例 バス事故の背景に過重労働の問題がある。>のが報道であり、(ニュースも報道も同じであるが、ここではあえて報道機関から出されるニュースを報道とする)そのために報道するには、ニュース素材を整理、分析、評論することが必要であり、そのためには、組織的に動く必要があり、結果的に報道機関としての組織体が必要になると思っている。
同時にニュース素材の取捨選択段階から整理編集段階で、好むと好まざるとに係わらず、個人や報道機関としての組織の指向性(様々な傾向、保守・リベラル、政治中心・娯楽中心、・・・・・)が加わることは言うまでもないし、そうした指向性を強く打ち出す報道機関(政府寄り、リベラル、スポーツ紙・・・)も多い。
こんなことを考えながら「アートエリアBI」のラボカフェを後にし、地下鉄淀屋橋駅に着いたのは、9時過ぎだった。

ラボカフェでは、無料で様々なイベントをやっている。
「アートエリアBI」イベントスケジュールhttp://artarea-b1.jp/schedule/

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昨日記1701116月(寒さと冷えと自己発熱 炊飯・副食製造)

2017年01月17日 12時54分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 6.9  0.9  晴・一時雪
昨日も良く冷え込んだが、一昨日よりはましだった。
全国的に、最強と言われる寒波に見舞われ大雪となり被害が続出しているようだ。
幸い大阪では雪が積もらなかった。
去年の冬の大阪の最低気温を見ると、1月の24・25・27日にそれぞれ―2.4、-3.5、0.7℃を記録しているので、大阪だけ見れば去年の寒さほどではなかったといえるようだ。
先程、私のブログ内のアクセスランキングを見ると、2014年1月25日に書いた「無暖房生活の勧め」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/617a50c7572451d8b66e0721f456ded6 )が読まれていたので、読み返してみた。
書いてある内容は今もほとんど同じである。
ただ、大きく変わったといえば、当時オーバーズボン3枚をはいていたが、今は当時もはいていた下着の普通の長ズボン(パッチ)の上に冬ズボンをはき、家ではその上に防寒用のオーバーズボンを1枚はいているだけであり、外出時はオーバーズボンを脱いで出かけている。
ここ数年、筋肉量が増えているように思うが(ジムのデータを見る限り、確実に筋肉量は増加している。筋肉量と筋力(力の強さ)は比例すると言われている。)、筋肉量が増加すれば基礎代謝が増加し発熱量が増加するので、基本的に体温が上昇し体は温かくなる。
そこで5年前と現在の筋肉量に比例する筋力を比較すると、筋力は増加していて、多分基礎代謝=自己発熱も増加しているものと思われる。
(女性の冷え性や、老人の冷えは、筋肉量の低下も冷えの原因の一つと言われる。)
従って、以前より冷えを感じなくなった理由は、筋肉量の増加による基礎代謝の増加にあると考えている。

昨日は、冷凍ご飯が無くなったので、昼食後冷凍ご飯製造の為、1kgのコメを炊いた。これで12食余りの冷凍ご飯を製造した。
その後夕食の副食も無くなっていたので、6食分の副食を製造した。
こうした作業だけで、午後から夜まで食事関連の作業で時間を費やし、読書とか散歩とかしたかったが、それ以外何もできなかった。
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昨日記170115日(夜中に騒ぐネズミ? ブログのカテゴリー 美術鑑賞)

2017年01月16日 12時53分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 5.1  -0.6  晴・曇
昨日は数年に一度という寒波に見舞われ、大阪も最低気温が氷点下になったが、室温は5.3℃だった。
無暖房の我が家は、最近消灯すると、玄関と3畳の間の仕切りのガラス戸が音を立てる現象が続いていた。
風があるときには、この戸はカタンカタンと音を立てる。
しかしそれ以上に細かい音を立てるのだ。
ネズミがガラス戸のサンの上を走り回っているらしい。

痕跡は、ガラス戸と柱の隙間にあった。
その隙間がネズミの出入り口になっているらしく、その部分だけが黒ずんでいるのだ。
即ち、ネット工事の時に光ケーブルを通すためにガラス戸と柱の間に、ケーブル保護用の当たり止めとして厚さ1cm長さ1.8m?の定尺の板(多少切った可能性有)を張り付けて、上部の隙間から光ケーブルを通すようにしていた。
そのため、その板とガラス戸の天井との間が2-30cm程幅1cm余りのすきまができたままになっていた
そこから二十日ネズミが出入りしている形跡があったので、その部分を粘着テープでふさいだ。
数か月すると張り付けたテープが無くなっていて、他の場所に引っ付いていた。
まさかネズミが粘着テープをはがすはずはない。
第一に、剥がす時にテープが体に引っ付くので不可能と信じ込んでいた。
よく見ると小さく咥えた後があった。
それを見て納得した。

粘着テープは水にぬれていると付かないのだ。
口で咥えた場合、動物の口は濡れているので付きにくいので、容易に粘着テープを咥えることが可能と思った。
柱の隙間に改めて粘着テープを丁寧に張り付けた。

そんな処置をしたのは、1週間ほど前だった。
そのころから夜になるとカタンカタンガラス戸が鳴った。
風によるガラス戸の振動にしたら、数が多いし連続的なので、ネズミの仕業と考えた。
寝ていても、寝付くまでは気になる音である。
ネズミを遠ざけるため、冬の寒さを利用して台所の窓を開け、炊事場と玄関の室温を下げてやった。
台所や3畳の間と炊事場や玄関には、それぞれガラス戸があるので外気の冷たい空気が、台所や居間に入り込むことはない。
以前はそうすることで、ネズミは来なくなった。(多分温かい家に移動したと考えている。)
ところが、ここ数日効果なく、更に一昨日は、やけに音が大きくよくカタンカタンというなと思っていたら、急にその音が鳴らなくなり、たまに、風によりカタンと鳴る程度に非常に少なくなった。
イタチが来てネズミを追い回し、捕獲したのではないかと思っているが、とにかく夜中のうるさい音がなくなってよかった。
過去には、炊事場にイタチの足跡は何度も見ているし、炊事場の窓でイタチが遊んでいるのを見たこともあるし、炊事場の棚の上に、ネズミの血と思われるものがついていたこともあるし、たまにイタチの体毛らしきものも発見していて、どうやらイタチは我が家の玄関や炊事場を遊び場所と思っているようでもある。

つまらぬ余談?が長くなったが、昨日はブログのカテゴリーを見直し、この昨日記とそれ以外の今・観考録や日記に近いエッセイ類をまとめて、日記に統一した。
従って昨日記は今まで通り書くが、カテゴリーは日記となり、当日に起きたことを書いた記録中心のエッセイも日記に含める。
従って、今暑いとか大雨だとか、近所で何かがあったといった、日々の出来事の記録に類するものは日記のカテゴリーにする。
また昨日記も無くし、出来事は折々に書くという形にするかもしれない。
このカテゴリーの統一で、観考録等の記事のカテゴリー変更作業で時間を費やしたが、まだかなり残っている。

この日はジムにもいかず、ほぼ終日家に籠っていた。
寒かったのと、今後美術鑑賞の趣味を止めるか検討中の為いくつかのギャラリー回りをする予定もあったのだが、行くことを止めた。
美術鑑賞の趣味を止めることに関しては、考えているところで、年賀状には、「美術鑑賞は、貧乏人には不適と悟った」と書いて投函した。
以前にも書いたように、美術鑑賞にはその場に行かねばならず、交通費や入場料や交際費等様々な出費が嵩む。
月家賃込みで9万円の生活している者にとって、経済的に無理があるように感じていて、今年はすべての美術鑑賞から縁切りも検討した。

しかし、現状を考えると、FBの友達は美術関係者が大半で、親しく交流している人も多いので、どうもすべての美術と縁切りという訳には行かないと思っている。
そうしたことを考えると、当面は、現状のまま、今の美術関係の友人知人関係はそのまま維持し、市内のギャラリー回りは続け、経済的に無理せずに可能な範囲で美術鑑賞を行うようにしつつ、今後美術との距離をどうするか考えたいと思っていて、フェードアウトも選択肢の一つではある。

この話は、私の老化に伴う活動の縮小という意味ではないし、美術に関心が無くなったわけでもない。(逆に興味や魅力が強くなったという訳でもない。)
すべての事に関し(ただし運転免許の返納はありうる)老化による活動縮小なんて事は毛頭考えていないし、今後新しくチャレンジすることがあるかもしれないが、とにかく経済的に可能な範囲でしか実行できないだけの事で、そうした状況に適合する生活をするだけの事なのだ。

夜になってファストフードに行き、コーヒー片手に読書を楽しんだ。
帰宅後遅い自炊をおこない遅い夕食をとった。

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昨日記170114土(ジム・本格的ランニング開始 )

2017年01月15日 21時20分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 7.2  0.1 晴
昨日は、今日は積雪の可能性の予報が出ていたので、食材の買い出しに出かけ、3軒のスーパーを回った。
風は冷たかった。
夕方から、ジムに行った。
正月休み明け以来3度目のランニングであるが、11日はハムストリング異常が治ったかの様子見の走りだった。
13日は短時間(15分)で、体をランニングに慣らすための導入の走りだった。
従って、この日(14日)は、前日より走行時間やスピードを上げてのトレーニングと考えていた。

しかし走り出すと、少しずつ限界スピードを上げ、最終的に時速10kmと8.5kmの間を上下しながら、30分間4.4km走りぬいた。
この値は、年末年始前とほぼ練習負荷で、当初予定していたより大幅に激しいトレーニングになった。
ここまで、できるとは予想していなかった。
どうやら、ランニングは、ほぼ元に戻っていると思った。
それでも、まだ体の方は充分ついていっていないので、多少苦しく、筋肉にも負荷がかかっていると思った。
こうしたことも、1-2週間も走れば年末同様の体調になる思われる。
トレーニングを終え、更衣室で熱いシャワーを浴びた後、いつものように、最後は1分程冷水シャワーを浴びるが、さすがに冷たかった。

足元からだんだんと上の方向に、らせん状に冷水をかけていく
胴体に掛けるときは、腹筋に力を入れ、歯を食いしばり、気合を入れる。
最後に、両肩から頭へ冷水を浴びせる。
このときが、最も冷たく感じ緊張するときである。
冷水シャワーを浴びた後乾燥タオルで体を拭くときは、ジムでのすべてのトレーニングを終わったという安堵感でほっとする。

ジムから帰宅後荷物はそのままにして、すぐに外出し薬店で切らしたサプリメントを購入し、その後ファストフードで本を読んだ。

ジムに通い始めて、しばらくした頃は、アメリカの高官が、朝に数kmのランニングをして、その後仕事をするという話を聞いて信じられなかった。
それ以外にも、日本人の有名人たちも、そういう話をしている人が何人かいた。
当時、時速7-8kmで1-2km走ると、疲れて、本を読んだり仕事をしようという気には、とてもなれなかったし、ランニング後本を読んでも、疲れて眠くなり読書どころではなかった。
しかし、今はランニング後の仕事や読書も納得できるし、実感している。
今から思えば、当時はそれだけの体力がないのに、体力に合わない無理なトレーニングをしていたということだと思っている。

昨日は、夕食が遅くなりそうなので、読書を早く切り上げて帰宅した。
夕食後、銭湯に行きゆっくりと体を温めた。
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大寒波襲来室温5.3℃ 170115(日)

2017年01月15日 13時02分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今朝の室温は5.3℃、昨日の朝は7.2℃
現在13時前で室温は7.5℃
今机でPC作業をしているが、上半身はほとんど寒さを感じないが、下半身は冷えるのでひざ掛け使用。
これで膝から下の冷えはほとんど感じなくなった。
昨年までは、確か最も寒い時はオーバーズボンを2枚はいていて、ひざ掛けは使用しなかった。
しかし、断熱性の高い商品が破れて廃棄してから、そのままになっていた。
もう、1か月足らずすれば温かくなるので、これ以上冷え込まなければ、このままいこう。
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昨日記170113金(ジム 閲覧数の変化)

2017年01月14日 18時10分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 10.4  4.6  晴時々曇り
昨日は、午前中に昨日記を書き、午後には副食を3食分作った。
夜になって、ジムに行った。
筋トレを行ったが、年末以前の力をつけるまではもう2-3週間時間がかかりそうだが、思ったより早いペースでリカバリできているが、これからが限界に近づくので時間がかかる。
その後ランニングを17分行った。
スピード派時速8kmと10kmを交互に切り替えるインタバル形式で走った。
今年に入って2回目のランニングなのでこの程度のトレーニングで十分だろうと思う。
ハムストリングの異常が悪化しなくてよかったと思っている。


最近まで訪問者数に比べ閲覧ページ数が数倍以上多かった。
ところが、ここ数日急に閲覧ページ数が下がりだし、ほぼ訪問者数と閲覧ページ数が同じになった。
以前から感じていたのだが、、業者関係の人が面白いブログのページにリンクを貼っていたり、健康情報等の記事を書くのに参照している可能性があるのかもしれないと思った。
現在の閲覧数の変化で可能性が最も高いのは、ポータルサイトの検索ロボットが、検索しなくなった可能性があるのかもしれない。
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昨日記170112木(寒波接近中 耳と中学の思い出 貧乏自慢の悪癖)

2017年01月13日 12時13分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 9.4  4.7  晴
昨日から冷え込みが強くなった。
週末には、大寒波が来るということで、大阪でも最低気温が氷点下3度になるとの予報が出ている。

昨日は、目を覚ますと7時を過ぎていた。
目覚ましはセットしてあるのだが、左側を向いて寝ていて気付かなかったらしい。
私は、幼い時から慢性中耳炎を発症していて、中学生のころまで耳鼻科に通い、高校の頃もよく再発していた。
小学校の頃には右耳の聴力は、大きく落ちていた。
20代後半になって、素潜りをして鼓膜に穴が開き、中耳炎を再発したのをきっかけに、耳鼻科の先生の紹介で、大阪府立病院で鼓室整形手術を受けた。
その時、会社を1か月休み入院した。
手術結果は良好で、絶対安静時に右耳からも音が入っていたので、一時聴力を回復するかと思えたが、安静中に大きく笑ったのが原因かどうか分からないが、耳の中でボンと大きな音がしたので、その時が原因を作ったのではないかと思っている。
それでも手術をして分かったのは、真珠腫という慢性の炎症が原因で、中耳にある、3つの伝道骨はほとんどなくなっていたらしいが、少なくとも真珠腫は取り除いたので、それ以降中耳炎は発症していない。
同室の人で同じ手術を受けた人は、聴力を回復したが、やかましくて寝られないとぼやいていた。
この手術を受けた多くの人が、聴力を回復したらしい。
私の場合、普段右耳が聞こえないからと言って、不自由を感じるときといえば、右隣にいる人の話が聞き取りにくい為右を向いて話さねばならないことぐらいで、並んで歩くときは右側に立って歩くようにしている。
左の聴力は、問題なく小さな物音でもよく聞こえるし、音楽も十分楽しんでいる。
TVの音でも標準のボリューム(20)ではうるさく感じることもあるので、多少音を小さくして(15程度)聞いている。
以前は声が大きいと言われたが、それは、個人的な癖で右耳が聞こえないことが影響しているのではないし、ある時期(多分40代)から声を小さくして話すようにしている。
ただ、中学校1年生の時に、難聴を理由に担任から聾学校への転校の話があり、母にも伝えていたことに大きく傷ついた。
その担任の英語教師は、1年生の途中からいなくなったが、転校の話は右耳が聞こえないために、成績が400人中100番台まで低下したと勘違いしたのが原因だろうと思っている。
先生の話はよく聞こえていて、聴きにくいことはなかった。
成績が急降下したのは、他の原因である。

当時我が家にも、定年退職した父が故郷に帰り漁師になりたがっていたという問題があった。
学校では、校庭の裏に連れ込まれ、顔を知らない他クラスの同級生(ほとんどが別の小学校の出身者)に囲まれ生意気だと集団で暴行されたこともあり、人間関係で悩んでいた。
その中学校は、新設校の為非常に荒れていて、上級生の中には少年鑑別所送りになったものもいると聞くし、当時ヤクザの子弟もいたようだし、他校との喧嘩、抗争の話も聴いたし、警察も警戒していたようだ。
その後私が社会人になってから、近所の幼馴染は教員になっていて、話を聞くことがあった(30年ぐらい前の話し)が、母校の中学校はその後大阪市中心部並みの優良校になり、荒れた学校のイメージは無くなっていたらしい。
私が在籍当時は、非常に荒れた学校だったのに、学区内トップの公立高校に大量の合格者を出し周囲を驚かせた。(進学のための補習授業を行っていた。)
しかも、そうした連中よりも優れた成績の友人達が、工業高校や商業高校に進学した者が何人もいた。

目覚ましと耳の話しから、長い思い出話になった。
この日は、夕方昨日記を書いた後、副食が無くなったので、食材の買い出しのために、銀行で出金して3軒のスーパーを回った。
この日は途中で、ホームセンターにもより、軍手と厚底の冬用スリッパも購入した。

今の生活を維持できるのも、安い食材を買い集め特価品や賞味期限切れ間近の見切り品を使用して、徹底してコストダウンを図っていることも大きな要因の一つである。
多分購入価格の合計では、一軒のスーパーだけで買い揃える時より、1-2割安く購入していると思っている。
無論それ以外に、無冷房無暖房や、風呂に行かない、服や家電製品はつぶれなければ買い替えない、外食や飲み会には行かない(100円コーヒー程度はOK)、有料の催し物は極力いかない、交通費のかかる遠出(市内はOK)はしない、といったことも大きな要因だ。
そうしなければ家賃込みで、大阪市内で月9万円の生活は不可能だ。
それでもジムに行ったり、図書館を利用したり、ギャラリー回りをしたり、ネットでSNSやブログを楽しんだりして、生活に不自由はない。
ただ、冬の寒さは問題ないが、夏の暑さだけは問題だが、この夏はある程度の対策を実行する予定だ。(午後の屋外プール行の復活とか、図書館通いとか、水冷ファンの検討・・)
(安い小型クーラーを買える程度の余剰資金は持っている。)

また悪い癖の一つである貧乏自慢で脱線した。(繰り言のように何度も何度も繰り返し書いてきた。)
どうも変なというか、歪んだというべきか、ある種の自己顕示欲があるらしい。

この日は、今日(1/13)の昼食から副食が無くなるので、とりあえず7食分の副食を50%仕上げてから遅い夕食をとった。
今から、とりあえず1食分の昼食を仕上げてから、昼食をとることにする。

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昨日記170111水(予定日報表フォーム更新 ジム)

2017年01月12日 16時57分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 11.1  5.4  晴後時々曇
昨日は、午後から予定日報表の今年度版フォームの制作をした。
5年以上年前までは、毎年フォームを一から作っていたので、数日かかっていた。
更に12月1月の既存データを移動させるのにも時間がかかった。
その後考え方を変え、前年のフォームをそのままコピーして、不要部分を消去するようにして大幅に時間短縮できた。
それでも、書式をコピーするので、元のフォームにセルを結合している部分が数多く存在しているので、それを見つけ出して処理や修正するのに1日がかりの時間を必要とした。
ここ数年は、更に考え方を変更し、以前から比べると、大幅に短縮できる方法を編み出し、現在は数時間程度で新しいフォームを使用できるようになった。
夕方になって、ジムに行った。
年末年始は、歩き以外に体を使っていないので、体力や筋力の低下は織り込み済みで、7日9日とも運動レベルを落として、体を調整することから始めた。
しかし1月3日に歩いたときに感じたハムストリングの異変(凝り)が絡み、軽く走ろうとしても足に異常が発生したので、昨日まで走ることを避けていた。
昨夜、が初めてのランニングになるので、恐るおそるスピードを上げて、走り始めた。
最終的には、時速10kmでも短時間走った。
結局時速8kmから10kmで約19分間走った。(主に時速8.5kmが中心)
体力的にはきつかった。
筋トレでは、すべて荷重を2.5kg加えた。(年末の荷重より2.5kg少ない)
帰宅後、頭のトレーニングのため、ファストフードに行き読書を楽しんだ。

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昨日記170110火(過酷な家事労働とお金 日常化した遅い夕食)

2017年01月11日 12時00分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 13.0  6.1  晴
10日は、午前から午後にかけて4時間近くかけて、昼食を含む副食を9食製造した。

最近は、副食は3食から6食単位で製造することが多い。
その間に、冷凍ご飯の製造や、食料品の買い出しが入るので、毎日休みなく食事関連の家事をしている感覚に襲われる。
それ以外に、掃除や洗濯もしなければならないし、ジムに通わなければならないし、家事で時間をとられる。
ジムに関しては、行く必要のないことではあるが、私の中では義務化している。
というのも、現在健康でかつ体力も十分あるのは、運動と食事によるものだと、経験的に思っている。
年末年始の風邪が、軽く収まったのも、体力があったからだと思っている。
体力が弱かったら、熱を出して寝込んでいた可能性がある。
(年末年始、家でごろごろしていたので、寝込んだのと同じように見えるが、病気が悪化しないよう意図的にゴロゴロしていたのであり、動き回る体力はあった。)

余談になるが、同様のことを、昨日(1/10)妻の殺人容疑で逮捕された講談社の有名漫画雑誌編集者であった朴容疑者が育児休暇に関連したことを新聞コラムに書いていたのを見たが、それを見て私が普段家事に関して愚痴をここで書いているが、主婦の子育てはもっと大変なんだと認識した。

しかし、私は貧乏なのですべて自分一人でやらねばならないが、講談社を代表する編集者であれば、給料もそれなりにもらっているので、ある程度お金を使って家事代行サービスを利用して、家事や子育ての負担を軽減して、ゆとりのある生活ができたはずだと思っている。
即ち、心をお金で買うということではなく、物理的(買い物、掃、洗濯、調理等の家事)なことに関してお金でサービスを買えるなら、家事代行なり食材の宅配サービスを利用し、その分の空いた時間を子育てとか余暇利用(趣味・娯楽)や休養に回すことで、家事労働の過労を無くすることができると思う。

夕方から、昨日記を書いた。
その後、気晴らしを兼ねて、自転車でファストフードに行き読書をしたので、夕食を終えたのは11時過ぎになった。

今年は出来るだけ、夕食を9時台には終わらせるようにしたいと思っているが、最近は10時から11時ごろに夕食が終わるのが日常化している。
幸い胃腸が強いのか、ヨーグルトが効果的なのか分からないが、日々の通じも快調だし、胃腸に異常はない。
下痢や腹痛のため市販の胃腸薬を必要としたことは近年では無く、購入していないので、古い正露丸糖衣錠しかもっていない。
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昨日記170109月(ジム・筋トレ ラン<一部筋肉違和感により歩行>)

2017年01月10日 22時31分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.2  5.6  曇一時晴
9日は成人の日だが、起床時の体調は良かった。
午前中は、漫然とTVを見て過ごした。
午後になって、冷凍ご飯が昼食でなくなったので、12食を炊飯し冷凍した。
夕方になり、副食も無くなるので、3軒のスーパーを回り9食分の食材を購入した。
帰宅後、即必要な夕食と朝食の副食2食を製造し、大急ぎでジムに行った。
一昨日と同様負荷を落とし筋トレとランニングを行った。
筋トレは、一昨日同様負荷を3㎏減らした状態でトレーニングしたが、回数を13回と2回増やした。
ランニングも、トレッドミルを使って走り始めたが、ハムストリングの一部に異常(軽い痛み)を感じたので歩いた。
異常の部位は先日歩いて、違和感を感じた部位だ。
15分間時速5km~6.5kmで歩き、後半は勾配を加え、最大3%まで増加させた。
歩いているうちに、違和感は無くなった。
筋肉の血行が良くなって、例えば筋肉の一部で血行が滞っている部分がの血行が良くなったか、筋肉が疲労していたものが、血行が増加し疲労回復したとか、原因はいろいろ想定できるが、理由は分からない。
毎年のことだが、トレーニングの記録を年末前のレベルに戻すには、1-2か月以上かかるかも知れない。

帰宅後は遅い夕食と、洗濯を済ませてから床に就いた。
12時前に寝るのが目標なのだが、なかなか12時前には寝られない。

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昨日記170108日(断食・冷水シャワー)

2017年01月10日 18時56分38秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 7.4  5.6 雨一時曇
8日は朝8時に起床した。
年末年始をはさみ、3週間プチ断食していないので、起床が遅かったこともあり、断食しようか迷った。
しかし、病み上がりでもあり、体力が落ちているので、来週以降にプチ断食をすることにした。
しかも前日、ジムで体重を測ると運動靴とスポーツウエア込の状態で64㎏台なので、裸の状態だと63㎏台になる。
目標値は65kg台程度が望ましいと思っている。

プチ断食すると確実に1kg程度体重が落ちるので、体重を回復させるのに数日間余分に食べなければならない。
それでも、多分プチ断食は体の様々な機能に刺激を与え、生体機能にいい刺激を与えているのではないかと、勝手に想像している。
根拠のない似非科学的想像の話だが、断食による糖分不足によりミトコンドリア関連機能への刺激で、活性化されたり、オートファジー細胞が活性化されるのではないかと想像したりしている。
ただ、生体に刺激を与え生体反応を良くし、生命活動を活性化することは、スポーツを始め、鍼灸マッサージ、ストレッチ、ヨガ、シップ薬、入浴、サウナ等よく知られた方法で日常的に行っているのも事実だ。
(断食効果に関する科学的根拠を知らないが、ロシアでは断食が医学的な健康維持手法として、専門病院もあるという。)
生体に刺激を与えるといえば、ジムでは運動後にシャワーを浴びて汗を流すが、その後に水シャワーに切り替え、全身に冷水を1-2分浴びせるようにしている。
真冬の時は、水温も低く厳しい。
冷水シャワーも、普段使わない体に備わった自然の機能に、いい刺激を与えていると想像している。
その結果かどうか分からないが、我が家は無暖房で室温は低いが、寝るときや朝には裸になってパジャマや服に着替えるときに室温が6度でも寒くて震えたり、鳥肌が立ったりすることはない。(時間が短いせいもある。)

プチ断食の話しから余談が長くなったが、この日は雨だったこともあり、ほぼ終日家にいて、副食を作ったり、ブログを書いたりして過ごした。

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昨日記170107土(図書館 ジム)

2017年01月10日 10時55分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 10.9  1.4 晴後薄曇
7日は、朝か咳やくしゃみもなく、声も少し枯れている程度で、体調は概ね回復した感じだった。
それでも午前中は、TVを見たり昼寝したりしてゴロゴロしていた。
午後になって、遅い昼食を済ませた後、自転車で地下鉄の駅まで行った。
前日までは、力を入れて体を動かそうという感覚や感情は全くなかったので、この日の体調を知りたかった。
5分ほど自転車に乗っていると、速く走りたくなり力強く自転車をこぎ、スピードを上げた。
久しぶりに、風を切って自転車で走る喜びを感じた。
その時、風邪ひき始め前に普段から持っていた、やる気や闘争心のようなものを感じ、風邪が回復したことを実感した。
その後、地下鉄に乗り中央図書館に本を返却し新しく本を借りて帰った。
途中いつも寄るファストフードで、借りてきた本を読んだ。
帰宅後、大急ぎで夕食を含む2食分の副食を作った。
副食を仕上げるとすぐに、ジムに行った。
年末以来、正月に風邪になり体力を低下させたので、筋トレやランニングの負荷を下げて運動した。
(筋トレでは、3kg負荷を落とし、押しや引き下げ運動の負荷は、47kgx11回 ランニングでは時速8から9kmで10分)
帰宅後疲労感は無かった。
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昨日記170106金(風邪かなり回復 家電量販店へ 私と哲学・思想)

2017年01月08日 20時53分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 10.8  4.4 晴一時曇
6日は、咳やくしゃみも非常に少なくなり、体調も悪くはなかった。
3日の日に体温を測ろうとして、電子体温計を使うと電池切れで使えなかった。
そのため体調が回復してから、購入しようと決めていた。
それに数日前に気付いたのだが、洗濯機への継ぎ線が多分3-40年前に私が作ったもので、ビニルコードが硬化して非常に危険な状態と判断した。
そういうこともあって、この日午後から梅田の家電量販店へ、体温計用ボタン電池と、電源コードと、スマホカバーを買いに行くことにした。

体調もよさそうなので、地下鉄の駅まで歩くことにした。
歩き始めは快調だったが、10分近くなると体が重く感じるようになった。
かなり体調は回復しているようだが、まだいつもの「やるぞ!」と気合の入る状態にまでは回復していない感じだった。
駅前の銀行で出金してから地下鉄で梅田に出て、家電量販店に入った。
電池と、コードと、スマホカバーを探すのに、手間取った。
スマホカバーについては、以前に下見していたのでおおよその場所の見当はついていたが、この日行ってみると、当時アローM03用は1-2種類しかなかったが、この日行くと4-5種類に増えていた。
SIMフリーで、通信費はガラ携並みに安く、本体価格とSIMカードセットで3万円5千円前後(同じ富士通製でも販売会社<OCN イオン・・・>により差がある)するが、ワンセグ・おサイフ・1310万画素や、その他上位機と遜色ない機能をもっていて、落下や防塵や防水機能もあるのでそれなりに売れているのだろう。

家電量販店を出て、梅田のファストフードで、コーヒーを飲みながら、本を読んだ。
哲学関係の入門書のようなものを読んでいるが、多くの人名や主義思想の名称が出てきて覚えきれない。
そういう時に、スマホは非常に役に立ち、入門書ではさらりと書いてあることでも、その人の時代背景とか思想をスマホでかなり詳しく調べることが出来非常に役立っている。
その後、帰宅した。

そもそも、哲学関係に触れたのは、中学生の頃か、高校生の頃か忘れたが、河合 栄治郎の「学生に与う」を読んで、カント哲学の一端に触れたのが最初で、それ以来哲学に興味を持った。
20代初めの頃にNHK第二放送で大学講座というものがあり、哲学史をやっていたのを、欠かさず聞いたことがあり、それ以来近代哲学の新書版の本もたまに読んだりもし、弁証法やマルクスの断片もかじったりした。
その後仕事が忙しくなり、それ以降技術者としての最新の科学技術の勉強を優先し、哲学思想関係に接することは少なくなった。

そのころ、いつも休日にはよく映画を見に行き、名画(ミュージカルや西部劇や戦争ものが好きで、古いものはかなり見ていて、黒沢作品をはじめとする日本人の巨匠作品もよく見た。)をよく見に行った。
また、逆にATGといったの前衛的な映画も見たりしていたが、なんとなく物足りないので、それ以外に中学校の美術で学んだ仏像が京都奈良に多数あったので、試しに古寺を回るようになった。
当時は京都や奈良も観光化されておらず、ほとんどのお寺は訪問者もなくさびれ、殺風景で荒れていた。
そんなことをしている間に、古寺巡礼が注目されるようになり、NHKなどでも仏像鑑賞講座が放送され、NHKから出版された仏の心と形?を読み、和辻哲郎の古寺巡礼等を読んで、仏教にも興味を持った。
そのころ、日本人論もはやり、「菊と刀」とか「いきの構造」とか「縦社会の人間」といったいくつかの日本人論をよんだ。
そうしたことから、少し哲学的なものに興味を持つようになり、技術関連の勉強の合間に再び哲学関係も読むようになったが、フロイトの著作もその一つであった。

その後、40歳でアメリカに行ったときに、イリノイ大学付属英語学校の進級用のエッセイより進んだペーパーに書くテーマとして、教師と面談の上、高校の授業で印象に残っていた、マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に関係することをテーマに選んだ。(哲学というより社会学になるが)
本来、大学図書館で本を読んでペーパーを書くのだが、それだけの英語力はないので、日本語の岩波文庫や親書の本を買い読んだ。
同時に、儒教や陽明学・朱子学関係の本も読んだ。
何故、このテーマかというと、当時欧米以外先進国で国民所得が多いのは、日本だけだった。
しかもヨーロッパでも、カトリック国とプロテスタント国ではGNP/キャピタ(国民一人当たりの所得――当時GDPではなくGNPだった)に差があった。
宗教と、国民一人当たりの所得に関係があり、それはウエーバーの言説が当たっていると思った。

では、なぜ日本が例外なのか、欧米でも議論されていて、解答は出ていなかった。
私は、日本の儒教受け入れ精神にそのカギがあると感じた。
アメリカ人も、中国人、朝鮮人の友人たちもすべて、儒教は宗教と断定していた。
しかし日本人にとって、儒教はある意味倫理であり哲学であった。
しかも実践の方法が他のアジア諸国と違っていた。
そこで日本の儒教受容と実践構造に鍵があると見て、日本語の本を購入して読んだのだ。
そうした本を読んで考えを進めると、プロテスタントの構造と日本の江戸時代に多くの商人や武士に支持された石門心学やその他儒教の影響を受けた考え方の構造(質素倹約・勤勉)と実践行動が、プロテスタントの精神構造に類似性があるのだ。
中国や韓国の儒教は、単に形式を守るだけと同時に宗教になっているが、日本では倫理・哲学として議論され赤穂浪士や大塩平八郎のように間違っていれば正したり、身をとして反抗するすといった姿勢があるが、他国では服従のみ。
そうしたことを、ペーパーにして提出した。(提出前徹夜した。)
(偶然だが、ウエーバーの問題は、シカゴ大学に行ったアメリカ人の友人Eの研究テーマの中にも含まれていた。<彼の研究は、南米におけるカトリック社会とプロテスタント社会といったような話で、その後彼は、南米の都市でフィールドワークを行い、学位をとったようだ。>)
そんなこともあって、ウエーバーの考え方や、儒教も少しだけ知るようになった。
同時にそうした物は、哲学思想にも共通したものがあった。

帰国後、美術に係わりだしてからは、現代美術の見方考え方が分からず、専門家のアドバイスもあり、記号論関係の入門書や専門書をいくつか読んだ。
実存主義は、アメリカに行く前からある程度理解していたが、記号論を知ってから、新しく構造主義に触れた。
しかし、構造主義に対し、現象学や実存や認識論の系譜が、対立するものとして全く理解していなかった。
その後構造主義やフーコーの解説書なんかも読み、それ以降現代美術や芸術に関する考え方が、随分整理され、自分自身考え方を整理し、自分なりの芸術観を持つようになった。
美術の考え方の中には、様々な時代の思想、思考回路が重層的にまとまりなく存在していて、それらが断片的にあちらこちらの場面で引用されているのが実態だ。

最近イグノーベル賞を受賞したというソカール事件なるものを知ったが、哲学や現代美術に関して、深く考えさせられる重要な問題だと思っている。
言説の言いっぱなしと、論証とは違う。
間違った前提や定義の明確でない前提にいくら複雑な論理を重ね展開しても、全く意味がなく価値もない。
自然科学では、一定の条件の下で絶対はあるが、文化芸術においては絶対はないので、単純に権威に頼ることは危険である。
何故なら、文化芸術は価値観により形成されていて、価値観は論理ではなく、民族、宗教、風土、歴史・時代、慣習、伝統、美意識、経済・・・その他多様な要素で人間集団が好き嫌いで決まるものであり、従って絶対はない。(芸術に関しては専門家の間でも常に意見が分かれ、無数の意見が出る(=絶対がない)が、科学では一つの結論に収束し、再現性が無ければならない。)
我々が今芸術といっているのは、主に欧米文化の下での芸術であるが、各時代地域でそれぞれの芸術が存在していたし、そもそも芸術という意識が生まれたのはルネッサンスよりのちの時代の話しであり、芸術家が生まれたのは、もっと後のことである。(それまでは職人 科学者も同じ)

私は権威や専門家の意見は大いに尊重し参考にしているが、それに従っているわけではない。
全ての、過去の文化芸術評論で今から考えると的外れな評論をしている例は無数にあるのではないだろうか。(実態を調べたことがないので正確なことは言えない。)
論理・科学は、ある一定の条件では正しいが、文化芸術は、価値観により、時代や地域・風土で常に変化するので絶対的なものはない。
又他の価値観で、別の価値観による芸術を評価することはできない。(例えば山水画の芸術観でキュビズムを評論評価することは不可能である。)

私はこうした議論をするときに「パラダイム」を言う言葉を使い、人文系でも枠組みを含む一連の体系といった意味で使っている場合も見受けられるが、「パラダイム」は科学技術体系として使われる用語のようで適切ではないらしい。
どちらかというと「エピステーメー」に近いのかもしれない。(これはフーコー提唱したものだが、)
芸術には、文化・技術・思想・宗教・風土を背景とした一つの体系・枠組みがあり、切り離すことが出来ないし、時代とともに変化する。
その総体として特有の価値観が存在する。
価値観は、論理ではないので、正しいとか間違っているとかは言えないと考えている。(文化人類学的思考でもある。)

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昨日記170105木(風邪少し回復 支出抑制の効果)

2017年01月07日 13時58分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 10.6  5.8  晴時々曇
5日は、体調が前日より多少回復した感じがあった。
くしゃみも咳も減ったが、体はまだ重い感じだったし、声は枯れたままであった。
この日はゴミ出しの日なので、年末年始に溜まったゴミを大きな袋に入れて出した。
ただ、今年は徹底して節約し、年末年始のために購入したものはほとんどなかった。
昨年夏から、スマホ購入やネット回線切り替えのための出費に備え、徹底的に支出を抑制し、催し物に出かける回数を大幅に絞り込み、大阪以外への遠出は極力避け、必要品以外は買わないようにしたために、スマホ購入や、ネット回線切り替えに伴う違約金等大きな出費があったにも関わらず、結果的に例年より預金残高はわずかながら増加した。
しかし、締め切日の関係で未払いの違約金が、今月発生する可能性が有るので、平年並みの残高になりそう。
病気や事故等を考えると(昨年は、歯科治療で出費した。)せめて年間の預金残高最低の月でも10万円以上の預金残高がないと、安心して生活できないが、現状では達成できていないので、今年はもうひと頑張りしなければならない。
通常なら、突然の出費に備え、少なくとも30万から50万円程度の余剰資金は必要だろう。

だが、今日(1/7)いつもはいている革靴の底を見ると、穴が開いていた。
支出抑制の付けが今年はいろいろ起きて、買い替えラッシュにならねば良いがと思っている。
冷蔵庫や洗濯機や電子レンジ等購入後10年以上たった物がある。
現に昨年度は、電気掃除機が壊れ廃棄したが、新しいものは購入せずコロコロや紙クリーナーやワイパーを使用し拭き取っている。
この方が体も使うし、床や畳もきれいになる。
ただ、私の場合さぼり癖があるので、気が付くと、部屋の隅に埃が積もっていることは多いので、できれば毎日が無理でも2日に1回は、拭き掃除をしたいと思っている。
(余剰資金で、1-2万円の電気掃除機なら買えるが、購入しないつもりだ。)

この日は、体調がよくないことを自覚したので、休養し家でTVを見たりSNSを見たり、ゴロネしたりして体調回復を優先した。
その間、未処理の3か月分のレシートを月別、発行者別に区分するのにかなり時間をとられた。
夜になって、久しぶりにファストフードに行き、コーヒーを飲みながら本を読んだ。

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昨日記170104水(風邪多少回復 寒さ対策 体力と病気)

2017年01月06日 23時38分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 13.8  3.6  晴時々曇
4日も、起床してすぐに体調がそれほど回復していないことが分かった。
だるさとかはないが、少しボーとした感じで、少し体が重く咳やくしゃみもあった。
筋肉痛とかはなかったが、気管から喉にかけて荒れた感じで、声は完全に枯れていた。
それでも前日よりは良くなった感じであった。
朝食後は、体力回復のために1時間余り寝た。
今には断熱シートが数枚重ねて敷いてあるので、腰から下にひざ掛けをかけて寝るだけで、寒さは感じない。

特に上半身の冬山用のダウンジャケットの保温力はすごく、室温5℃くらいのところにじっとしていても少し冷える感じ程度なので、朝方の室温10℃程度では温かく感じる。
室温が5度程度とさらに低くなれば、下に着込めば寒さは解消できるし、例えば万一0℃以下になっても、スキー用ジャケットを下に着れば、多分十分温かいと考えている。
室温13℃ぐらいになると、じっとしていても冬山用ダウンは暑いので、スキー用のダウンジャケットに着替える。
掃除や調理をするときには、たとえ室温が6度ぐらいでも冬山用ダウンジャケットでは暑くなり、スキー用のダウンジャケットに着替えている。

この様に寒くても、こうした装備のおかげで、寒さは全く感じないし、居間で布団もなしにゴロネすることもできる。(夜寝るときは、パジャマに着替えマットの下に断熱シートを敷き、断熱性の高い毛布や掛け布団を何枚も重ねて寝るため、掛け布団の調節を間違うと(枚数とか布団のずらし方)、暑くて夜中に目覚めることもある。
(良い睡眠のためには、就寝後から明け方にかけて、徐々に体温が下がる程度の断熱にする必要があるので、断熱(厚着・掛け布団を重ねる)しすぎると体が放熱せず、熱がこもり睡眠の妨げになる。しかし、初めから冷えを感じる状態では寝付けないので、寝るときは冷えを感じない状態<布団に入るとすぐに自分の体温であったまり、冷たさを感じなくなる状態>が必要。)

午後は副食が無くなったので、とりあえず必要な4食分を作った。
副食製造完了後、食材が無くなったので3軒のスーパーに、自転車で買い出しに出かけた。
やはり、自転車に乗っても通常の感覚となんとなく違ったし、力を入れスピードを出す気にならないし、へたするとふらついているのではと思ったりもした。
はっきりした悪寒はなかったが、わずかではあるが悪寒に近い感覚もかすかに感じた。
インフルエンザか他の風邪か不明だが、とにかく感染性の病気にかかり、経過を見ると、ある程度病状が進行し(ひどいくしゃみ、咳、鼻水、痰 声の枯れ ボーとした意識感 悪寒未満)、やっと回復過程にあるようで、今後も無理せぬよう気をつけねばと思った。

帰宅後再び追加の副食を作り始め、トータル8食を完成させてから夕食にした。
今回は、寝込むほどの病気ではないが、普段ほとんど病気しないので、一人暮らしでの病気は大変だと感じた。
同時に体力自慢であっても、病気をすると、健康な時の体力はほとんど役に立たないことも痛感した。

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