散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記170103火(風邪わずかに回復 筋疲労?)

2017年01月05日 21時20分38秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 14.8  6.5  晴後一時曇
3日は、起床時体調は悪くなかったが、鼻喉の状態は前日よりわずかながらよくなったという感じであった。
くしゃみも咳もあった。
とにかく、体調をこれ以上悪化させないようにしようと思った。
そのため午前中は朝食後ゴロ寝したり、TVを見て過ごした。
午後に遅い昼食をとった後、昨日記を書いた。
昨日記を書くうちに、ブログ書きは少し時間がかかりそうなので、体調に問題はなく咳やくしゃみも少なくなったので、ブログ書きを中断して、外が明るい間に再び天満橋まで歩こうと思った。
運動なり仕事は、始めた時はしんどいが、1週間もすると慣れるといったことを日常的に経験しているので、長距離歩行も習慣化し体に慣れさせようと考えたのだ。

風邪による体調が悪化すれば、帰りは地下鉄で変えればよいと思い、4時半ごろから家を後にした。
前日、1日休んだので、30分近く歩いても体調は全く問題なかった。
結局問題なく家を出てから、1時間弱足らずで天満橋のファストフードまで行き、そこで1時間半ほどコーヒーを飲みながら本を読んだ。

帰りは、途中でコースを変更し、JR森ノ宮駅から玉造交差点を経由して帰った。
玉造の交差点で、突然ハムストリングの一部が凝りを感じた。
痛みを感じるほどではなかったが、経験的にこのまま速足で歩けば間違いなく筋肉痛に見舞われ、最悪の場合、軽い肉離れ(筋断裂)になる可能性があった。
肉離れを起こすと、数か週間から月単位で痛みが残り、しかも筋肉が断裂した部分は回復しないので、その周辺の筋肉が強化されるのを待つしかない。
すぐに歩くペースを落として歩いた。
私の場合使いすぎでPPSになる可能性もあるので、気を付けなければと思った。
幸い、自宅まで何事も起こらずに帰宅できた。
帰宅後もくしゃみや席は続き、体調が回復していないことを感じた。

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昨日記170102月(風邪のため休養 )

2017年01月03日 23時48分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.5  3.4 晴一時曇
昨日起床すると喉から気管にかけて違和感が広がっていた。
なんとなく熱がありそうな感じである。
前日、感じた通り風邪かインフルエンザかわからないが、何らかの呼吸器系の感染症に感染したと思った。
痰もわずかながら絡むし、鼻水やくしゃみもでる。
このまま起床せずに、寝正月にしようかとも考えた。
しかし、寝正月にすると、食事の準備もしないため、食事しなければ、体力が落ちると考え、とにかく起きて、3食の食事だけはとり、体の様子を見ようと思った。
ということで、基本的には終日家でゴロゴロすることにした。
午前も午後も、食事の準備・食事・後片付け以外はゴロゴロと寝たりTVを見たりした。
夕方近くになって、SNSを見たり、ブログを書いたりした。
喉から気管の状態が悪化することはなかったが、よくもならず、くしゃみも出た。
夜になって、一部不足している食材を購入しにスーパーに出かけた。
帰宅後、夕食を含む5食分の副食を作った。
そのため、夕食を済ませたのは11時近かった。

去年の秋から支出の抑制を強化したため、今年は例年より貧相な年越しになったし、正月に風邪もひいたので、正月気分は、全くなかった。
しかし、風邪が悪化せずに食い止められたのは不幸中の幸いだ。
経済的にも、夏以降の強力な支出抑制が功を奏し、現状の預金残高は例年より増加したが、今月ネット回線やプロバイダ契約の解約による違約金が発生するので、どれだけマイナスになるのか心配だ。
当然数万円の違約金が発生するはずなので、結果的に預金残高は例年より少なくなるが、想定の範囲内で収まると考えている。
だが、年収は月9万円で生活保護以下だが、支出抑制を堅持(分相応の生活。)すれば今の生活に全く支障はない。
ただ、現状では可処分所得がほとんどなく、行動が極めて制約されるので、生活を充実させるためには、できればアルバイトを探す必要があるだろう。

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昨日記170101日(正月行事 神道 再び徒歩で遠出)

2017年01月02日 18時26分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.7  3.7 晴一時曇
元旦の朝は、独居老人にとっては家族とか他者という最小限の社会単位が存在しないので、社会通念上の年中行事は関係ない。
もし私が、民族主義者なり、神道とかその他宗教の信者であれば、元旦の行事を行ったかもしれないし、他者の存在があれば、そこには最小単位の社会が存在するので、成り行き的に、社会規範の規制を自主的に行うようになりやすい。

即ち、その土地の風土慣習による年中行事であり、今回の場合は正月行事である。
しかし独居老人にとっては、年中行事をこなしたとしても、何の意味も持たない。
例えば私がキリスト教や仏教といった宗教に強い信仰を持っていれば、その教義に基づいた行事・作法や祈りをささげるだろう。
幸か不幸か、私は宗教について関心はあるし、仏教やキリスト教や神道に対し多少の知識を持ち合わせているが、強い信仰心はない
両親が存命中は、正月になると神棚と仏壇にお鏡を備えていた。
両親が他界した後は、兄の家に立派な仏壇を作り両親の位牌その他を、その仏壇に移した。
神棚はまだあるが、地元の神社の奉賛会もいつの頃か会費を払わなくなりやめたことになる。
最近は、考古学や歴史的興味から、神道のことについていくつかの学術的な本を読み、神道の成立から現在までの過程を理解できたし、非常に興味深い事実を知った。

神道の成立は古墳時代以降で、6世紀から7世紀ごろと考えられるが、詳しいことは分らない。
とにかく神社の成立が明確でないのだ。
そもそも、初めは神社という社殿がなかった可能性があり、単なる磐座、依り代だった可能性が強い。
本来日本の神は訪れる神であり、神を招いた(おぎしろ)のだという考えがあり、磐座や依り代はその証であるし、その典型である。
同時に、古来日本の神は祭らねば祟る(たたる)ものであったという説もある。
そもそも、日本の神道は多神教であり八百万の神であり、天照大神を頂点としたヒエラルキーの有る信仰体系ではなく、平安時代でさえ天皇は、他の神社に直接参拝できなかったという。
それぞれの地域(古来その氏族の支配地)で氏神がいて、天皇ですら氏神に敬意を払わねばならなかったという。
天皇の氏神は伊勢神宮であり、天皇が他の神社に直接参拝するようになったのは、幕末からという。
それ以前は、神社に入っても、その脇で参拝したという。
神の怒りに触れると、神が祟り、天皇でさえ災いが及ぶため、丁重にもてなしたという。
その典型が、菅原道真を祀る天満宮と言われる。
ただ言えることは、現在の神道は古墳時代の祭祀を引き継いでいるということは、多くの研究者の一致するところである。
神社成立後から、江戸末期までは、神社と仏教が非常に密接に関係していたといい、僧侶が神主を兼ねていたことも多かったという。
天地垂迹説(てんちすいじゃくせつ)もあり、明治以前の多くの人は、神道と仏教が一連の流れの中に位置づけられていたのではないかと言われる。
私の場合、幼いころに、人間は死後仏教で仏さまになり、50年たつと神道の神様になると教えられたが、そうした民間の信仰の在り方は、明治以前の信仰形態の名残ではないかと思っているし、そうすることで仏壇と神棚を同時に祭るという形態が残っているのかもしれない。
江戸時代以前から、吉田神道やその他独自の神道思想の影響もあり、江戸時代以降に国学者も加わり神道絶対主義的原理主義が徐々に広がりをみせ、仏教排斥の主張が広がり、明治維新の廃仏毀釈運動につながる。

そうした動きも含め、明治以前の神道と、その後の神道がかなり違ったものになっていることを、知る必要がある。
明治以降、神社が国家管理され、統合廃止格付けされ、大きな神社ですら所有地を減らされたりした例も多いと言い、神社の数も神主もかなり減少したという。(ある意味合理化した)
明治の廃仏毀釈、国家神道で神社が栄えたのではないのだ。
神道系の、新宗教(天理教 大本教 金光教・・・)の成立過程の政治的な流れも分かった。

正月に関してずいぶん余談が、長くなった。
こうした話は、学問的に研究すべき点が多く、面白い。

さて元旦の朝は、とりあえず世間の慣習に従おうと思い、元旦はお屠蘇を飲み、3が日を雑煮で過ごすことにした。
両親が居た頃は、元旦の朝は父の一言とお酒で新年を祝い、雑煮と煮しめや正月料理を食べていたが、両親が亡くなり、一人暮らしをするようになってからは、一人でお酒を飲み自分で作った雑煮を食べていた。
即ち、一度もお屠蘇というものを飲んだことがなかった。
たまたま味醂に屠蘇散がついていたので、出汁に味醂は必ず使っているので購入した。
屠蘇散の説明書通り前日から酒とみりんを混ぜたものに屠蘇散を浸しておいた。
説明書には、味醂又はお酒に浸すとあったが、味醂100%はとても飲む気がしないので味醂と酒505ずつにした。
元旦の朝飲んだが、まずかった。
酒だけに浸せばよかったと後悔した。
雑煮は、いつもの副食を作ってから、水を追加して沸騰させ、その後小さな餅4個(計150g)を加えて1分間電子レンジで加熱すると、うまく仕上がった。

午後になって、運動不足にならないように、前日行ったウォーキングを再び行うことにした。
距離にすると往復で10kmに近い。
歩き出すと、体が重かった。
明らかに昨日の疲れが残っているらしかった。
それでも同じコースを片道1時間弱で歩きファストフードで本を読んだ。
しかし、その時くしゃみが何度か出た。
実は、朝起きた時から喉の奥で、鼻からの空気が直接当たる個所に違和感を感じていたのだ。
それが、午後には声帯から気管支に違和感が広がり、軽く痰も絡むようになり、咳も出始めた。
経験的に、これは本格的な風邪の前駆症状だと感じた。
熱はないが、とりあえず葛根湯を服用した。
帰宅した時は多少体に疲れも感じた。
帰宅後昨日記を書いたので、早く寝るつもりが12時半ごろになった。

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昨日記161231土(徒歩で遠出)

2017年01月01日 22時04分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 11.5  1.6 晴曇
31日は、午前中から、遅い昼食までブログを書いたり、傷の手当をする以外はTVを見て過ごした。
傷はかさぶたにならずに済んでいたが、幅1センチほどのピンク色の線になっていた。
午前中消毒し絆創膏を貼り換えた。

夕方になって、怠け癖がついてはいかんと、外出することにした。
外出する前に、絆創膏は外した。
以前から考えていたことだが有償ボランティアで、歩行の効果を実感したので、歩くことにした。
とりあえず、大阪城公園を横切って、天満橋のファストフードに行き、そこで一休みして、自宅へ戻ることにした。
いざ歩くと、速足で歩いて、1時間弱かかった。
ファストフードでお茶を飲みながら、本を読んだ。
本を読みながら、顔にかさぶたが出来なくてよかったと思った。

帰りはスーパーに寄り、年越しそばとお酒を購入して帰った。
徒歩なので、荷物になった。
そばは今までの丼に作った副食をそのまま利用し、そばの出汁をすべて副食に入れ、十分に混んでから、8割そばをその上に入れて、1-2分煮込んで食べたが、うまかった。

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あけまして、おめでとうございます

2017年01月01日 21時17分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
荒れ庭に、刺したミカンにメジロきて
さえずる年賀に、華やぐ空気

あけまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

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昨日記161230金(顔面擦り傷)

2017年01月01日 21時03分35秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 9.5  3.4 晴一時曇
30日は午前中から午後にかけて何もすることなくTVを見ていた。
しなければならないことは、たくさんあるが、それは、しなくても外部には影響を及ぼさないことなので、放置している。
(例えば、掃除や片付やレシートの記帳・・・・)
しかし、ゴミは、放置するとゴミ屋敷になるので、いつもきちんと出しているし、洗濯ものは選択しないと不潔になるのでこれもきちんとこなしているし、食後の後片付けも1食分片づけをさぼって2食分同時にすることはあっても、必ず速後の片付はやるし、万年床にすると活動できないので布団・毛布類は、きっちりと押入に入れている。
この様に見ると、放置しているものは、わずかである。

昼に昨日記を書き、その後昼食をとった。
その後副食が無くなったので、9食分の副食を30%程度作り保管し、その中の3食を完成させた。

夜になって、ジムが休みなので運動不足解消のため歩いてみようと思い出かけたが、途中から軽く走ってみようと思い、バッグを肩にかけ、それを抑えながら走ったが、スピードを出していて躓いて転び、受け身をして問題ないと思ったが、スピードが出ていたので顔が手の前に出て、顔面を強く打った。
普通にこけた場合は打撲で済むのだが、走ってこけたために擦過傷(擦り傷)になった。
始め血は出てなかったが、数分後から出血し止まらなくなったので家に戻った。
鼻の右側の孔の下から唇の直近まで真っすぐ1センチの幅で擦りむいた。
急いで脱脂綿にアルコールをしたし、数分貼り付けた。(数分間アルコールを張り付けると十分消毒できる。化のうした場合も私はこの方法で化膿に対処している。小さな腫れなら治ることが多い。)
その後絆創膏を貼ったが、寝る前にも血が滲んでいたので取り替えた。
翌日に、化膿しないか、化膿しなくてもかさぶたにならないか心配しながら床に就いた。

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