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昨日、年金の年末調整用の源泉徴収票が届いた。
源泉徴収票をトータルすると、健康・介護保険を控除した額は、ほぼ月10万円程度となった。
先月から月9万円の貧乏生活と騒ぎ立てたのは、私の勘違いであった。
相対的貧困生活で、月9万円と月10万円の生活の質の差は非常に大きい。
これは、貧困を体験しないと分からない。
月10万円の生活でも、例えば、もし毎日銭湯(1回440円に通えば風呂屋の月3日の休みを差し引いて27日通っても、11880円必要になる。
我が家の家賃は、戦前から住んでいるので非常に安く数万円で済んでいるが(修繕は自費)、市内でそんなところは、6畳一間のアパートぐらいだろう。
年金暮らしの収入が月10万円で、今までの生活で年間数万円程度の余剰金が出る程度の暮らしということで、気を緩めて、外食を増やしたり、必要な服を積極的に買ったり、郊外に積極的に出て催し物に参加したり、飲み会に行ったり、有料の催し物(美術館 博物館 コンサート 映画・・・)に参加したり、冷暖房を使ったり、本を購入したり、通信大学を受講したり、いわゆる人並み以下の生活(年収2―300万円の<貧困生活>)をしようとすると、たちまち家計は赤字になり自己破産しなければならなくなることは目に見えている。
この様な状態で、食べていくには全く問題ないので、生活保護以下であってもこのままの状態を維持し、大病を患った時は、生活保護に頼るしかないと思っている。
年収が120万円クラスでは、いくら万一の時のためにお金を貯めても、2-30万円程度の貯蓄では大病したり、大きな事故や災害に合うと、その程度のお金は何の役にも立たない。
ただ、治療が必要な軽い病気や、冷蔵庫やその他家電製品や自転車の買い替えや家の修理には必要なので、10万円余りの余剰金(できれば20万円)を作るようにはしておく必要があるので、何年かかるかわからないが計画的に達成したい。
又、貧乏自慢と関連した話になったが、現実を見つめることは大切と思っている。
実態を書きだすことで、自分の置かれた環境や構造を冷静に見つめ対処することが出来るし、ブログに残しておくことで、後から振り返り参考にすることもできるし、現実に参考にしていることもある。
幸い、私は現実の生活に多少不満はあるが、ほぼ満足している。
物質的欲望を追えばきりがないし、それで精神的に満たされるものでもない。
現状の生活でも、中世どころか江戸時代や明治の庶民の人々から比べても、多分物質的には、当時の金持ちや貴族の生活レベルを保っているのではないだろうか。
例えば、1-2世紀前までは、知的環境を見れば、ネットやTVもなく無論音楽も自由に聴けるわけでもない。
今では、飢えることもないし、おいしいものはいくらでも安い価格で食べられる。(インスタント食品ですら非常においしい。)
冷暖房もなかったし、明かりもローソクだったし、衣料防寒具も粗末だったし、交通機関も整ってなく移動も不自由だった。
病気になっても医療は極めて貧弱だった。
この様な比較をしなくても、現実に日々ジムに行き、ネットを楽しみ、図書館で本を多く読み、CDやFMやTVで、音楽を楽しんでいる。
又月に何度かは、ギャラリーを回り、現代美術を楽しみ知人友人や作家達とも話を楽しんでいる。
不定期ではあるが、無料や安い会費の講演会やイベントに参加し、知的活動を楽しんでいる。
ファストフードに行ってコーヒーを飲みながら、いい環境で様々な本を読んだりしている。
以前は、ファミレスのランチサービスでドリンクバーを楽しみながら本を読んだこともよくあったし、それは、今でも毎日でなく、たまになら即可能である。
夏は、屋外50mプールで水泳を楽しんでいた
。
要するに、現実に貧乏くさい生活でなく、負け惜しみとかではなく、心の底から自分なりに満足のいく充実した生活を送っているのは事実であるし、今後とも工夫してそうした生活を広げていきたいと考えている。
また冒頭から大きく脱線して自分の生活と経済に関して長々と書いたが、全体の周囲の構造がよく見えてよかった。
この日は朝にメールを整理した。
年末以来メールを開いていなかった。
夕方になり副食が無くなったので、食材の買い出しのために3軒のスーパーに出かけた。
その後、図書館に本を返却するために図書館に行って図書を返却した。
帰宅後は夜遅くまで9食の副食を製造した。
そのため、11時からの夕食になり床に就いたのは午前1時前だった。
予定では、この日JIMに行く予定だったのだが、行けなかったのは残念だった。
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昨日、年金の年末調整用の源泉徴収票が届いた。
源泉徴収票をトータルすると、健康・介護保険を控除した額は、ほぼ月10万円程度となった。
先月から月9万円の貧乏生活と騒ぎ立てたのは、私の勘違いであった。
相対的貧困生活で、月9万円と月10万円の生活の質の差は非常に大きい。
これは、貧困を体験しないと分からない。
月10万円の生活でも、例えば、もし毎日銭湯(1回440円に通えば風呂屋の月3日の休みを差し引いて27日通っても、11880円必要になる。
我が家の家賃は、戦前から住んでいるので非常に安く数万円で済んでいるが(修繕は自費)、市内でそんなところは、6畳一間のアパートぐらいだろう。
年金暮らしの収入が月10万円で、今までの生活で年間数万円程度の余剰金が出る程度の暮らしということで、気を緩めて、外食を増やしたり、必要な服を積極的に買ったり、郊外に積極的に出て催し物に参加したり、飲み会に行ったり、有料の催し物(美術館 博物館 コンサート 映画・・・)に参加したり、冷暖房を使ったり、本を購入したり、通信大学を受講したり、いわゆる人並み以下の生活(年収2―300万円の<貧困生活>)をしようとすると、たちまち家計は赤字になり自己破産しなければならなくなることは目に見えている。
この様な状態で、食べていくには全く問題ないので、生活保護以下であってもこのままの状態を維持し、大病を患った時は、生活保護に頼るしかないと思っている。
年収が120万円クラスでは、いくら万一の時のためにお金を貯めても、2-30万円程度の貯蓄では大病したり、大きな事故や災害に合うと、その程度のお金は何の役にも立たない。
ただ、治療が必要な軽い病気や、冷蔵庫やその他家電製品や自転車の買い替えや家の修理には必要なので、10万円余りの余剰金(できれば20万円)を作るようにはしておく必要があるので、何年かかるかわからないが計画的に達成したい。
又、貧乏自慢と関連した話になったが、現実を見つめることは大切と思っている。
実態を書きだすことで、自分の置かれた環境や構造を冷静に見つめ対処することが出来るし、ブログに残しておくことで、後から振り返り参考にすることもできるし、現実に参考にしていることもある。
幸い、私は現実の生活に多少不満はあるが、ほぼ満足している。
物質的欲望を追えばきりがないし、それで精神的に満たされるものでもない。
現状の生活でも、中世どころか江戸時代や明治の庶民の人々から比べても、多分物質的には、当時の金持ちや貴族の生活レベルを保っているのではないだろうか。
例えば、1-2世紀前までは、知的環境を見れば、ネットやTVもなく無論音楽も自由に聴けるわけでもない。
今では、飢えることもないし、おいしいものはいくらでも安い価格で食べられる。(インスタント食品ですら非常においしい。)
冷暖房もなかったし、明かりもローソクだったし、衣料防寒具も粗末だったし、交通機関も整ってなく移動も不自由だった。
病気になっても医療は極めて貧弱だった。
この様な比較をしなくても、現実に日々ジムに行き、ネットを楽しみ、図書館で本を多く読み、CDやFMやTVで、音楽を楽しんでいる。
又月に何度かは、ギャラリーを回り、現代美術を楽しみ知人友人や作家達とも話を楽しんでいる。
不定期ではあるが、無料や安い会費の講演会やイベントに参加し、知的活動を楽しんでいる。
ファストフードに行ってコーヒーを飲みながら、いい環境で様々な本を読んだりしている。
以前は、ファミレスのランチサービスでドリンクバーを楽しみながら本を読んだこともよくあったし、それは、今でも毎日でなく、たまになら即可能である。
夏は、屋外50mプールで水泳を楽しんでいた
。
要するに、現実に貧乏くさい生活でなく、負け惜しみとかではなく、心の底から自分なりに満足のいく充実した生活を送っているのは事実であるし、今後とも工夫してそうした生活を広げていきたいと考えている。
また冒頭から大きく脱線して自分の生活と経済に関して長々と書いたが、全体の周囲の構造がよく見えてよかった。
この日は朝にメールを整理した。
年末以来メールを開いていなかった。
夕方になり副食が無くなったので、食材の買い出しのために3軒のスーパーに出かけた。
その後、図書館に本を返却するために図書館に行って図書を返却した。
帰宅後は夜遅くまで9食の副食を製造した。
そのため、11時からの夕食になり床に就いたのは午前1時前だった。
予定では、この日JIMに行く予定だったのだが、行けなかったのは残念だった。
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