散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記141115土(土曜日のマンネリとTV 中央図書館)

2014年11月17日 00時27分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =16.3  6.9  53  32 
昨日も冷え込んだ。
土曜日は、平日と違った時間の流れがある。
大体10時から11時ぐらいまでTVを見ている。
午後もTVを見てから、西天満に出かける。
最近の行動は、マンネリ化している。

以前は、午後はたかじん氏の番組を見ていが、最近は午後のTVも、面白く無くなった。
娯楽番組で、かなり意図的に、保守系列の政治路線を強調し始めたからだ。

たかじん氏が政治色を強めだしてから、単純思考で政治を評論し、右傾化や維新の流れを作ったとみている。
その流れが、元々保守系の産経や読売系列とうまく合ったように見えるのだ。
今もローカル局は、その流れを維持し、サポートしているように見える。
大衆人気を、個人のキャラクターで包み込み政治的流れを作ろうとしている戦略が見え隠れする。
そんなきな臭さを感じて、最近はそうしたコメンテーターの顔ぶれが保守系のみをそろえているを見て、議論の方向が目に見えているので、そのようなニュースバラエティー番組は見なくなった。
お笑いを期待しているのに、プロパガンダを吹聴されてはたまらない。

無論マスコミに政治色はあってもいいと思うが、ある程度のバランスは取るべきだと思っている。
例えば維新がブームの時は、ローカル局を含め露骨に特定政党や個人を支持していると思われるコメンテーターを揃えたワイドショーを良く見かけた。
また、アナウンサーが、私は橋下支持だというのを生放送で聞いたことがあるが、選挙が近づくと、またぞろそうしたことが復活しそうな予感がする。

いずれにせよ、私の土曜日のマンネリ日程で、最近午後のTVを見る状況は多少変わったが、全体的に無駄な時間が多いので変えたいとおもっている。

午後から大阪市立中央図書館に本の返却と借りに行った。
その後帰宅せず、いつものように西天満のギャラリーを回り、帰りに天満橋で借りてきた本を読んだが、疲れているのか、眠気がひどいので、早めに切り上げて帰宅した。
コメント

昨日記141114金(季節の変わり目対策 町会のページ ジム・ランニング時速9.8km)

2014年11月15日 12時56分25秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =15.0   6.8  47  31
昨日は、朝の最低気温が6.8℃で真冬並みになり、昼間も最高気温で15度と12月並みの気温になったが、ここ数日9日に15.4℃、そして一昨日が15.3℃を記録していて、多少寒さに慣れた感じはする。
だが、まだこれから真冬の1-2月になると最高気温は10度以下になり、最低気温も氷点下になるし、12月ごろまでは日照時間も大きく変化するので、まだしばらくそうした状況に適合するまで心身には、寒冷ショックや季節の変わり目関連のストレスがかかるだろう。
精神的・肉体的更に様々な環境の急激な変化といった、ストレスがかかれば、体はそれに対応しようとして自律神経が様々な反応を起こし、一時的に心身のバランスを崩しやすく、それに応じてビタミン類も消費される。
気候の変化の激しい時は、体調管理と栄養補給や睡眠や十分な休養をとるようにしないと、免疫力が低下し、病気や体の不調を起こしやすくなりやすい。
経験的に、適度な運動や笑いはこうしたストレスに対する抵抗力を強化し、ストレス発散に役立っているように思う。

昨日午前中、回覧板で回ってきた文書の中に、町会の中でFBを始めたが、担当者不足で困っているとあった。
興味があったので、そのページを検索して覗いてみた。
回覧チラシには男女となっていたが、最新のネット募集文には、若い子育て中のママが中心となっているといったことが書いてあり、まるで町会婦人部の募集で男性は不要の感じがする。
そしてそのページには、町会の役員の会議風景や老人集会所の様子や、お上の広報機関のにおいがする。
若い人は余り映っていないし、そうした活動も紹介されていない。
コメントもないし、多分町会の人のほとんどは、この存在を知らないだろう。
ネットの募集文を見ても、例えば、若者が発言することができたり、これは町会長や部長やたくさんの方々のご理解と優しさがあるからこそ、とか書いてあったりして、少しセンスが古くて一般の人が関心を持てないかも知れない。

住民自治の単位でもある町会というのは、町会員全員会費を納めていて、一種の公共機関と同じで、町会長や役員が権力を握って意のままに動かしているわけではない。
ただ、町会民が何も言わないから、自然にそうなっているだけのことであるので、IT部会の活動が、町会長や役員の理解と優しさがあるからという日本人に多い御恩の発想は、本末転倒している。
町会の機関決定をすれば、それを有志が集まってそれに沿うように実行するだけのことである。

町会のメディアというなら、若者を呼び寄せることに焦点を当ててはいけないので、子供から老人まで誰でも、老若男女、どの年代が見て興味を持つなり、楽しめるメディアでなければならない。

この件で一言コメントしようと思ったが、こんな威勢の良い批判(口だけ出す)をして、責任を持たされると私の時間がつぶされる。
無論少しの時間なら、町会員として協力する責任はあるだろうし、その意思もあるが一度首を突っ込むと、そのまま任されやすい。
他にやりたいことがあるし、現にいろいろな活動に参加していて時間的に暇なときは暇だが、間に行事を入れることが多く、責任が持てないのでコメントはやめた。

夜になってジムに行った。
時速9.8kmで5分間走り、時速6.5kmで2分間歩くサイクルを30分間繰り返した。
最後は、歩きを短縮し3.5分間を時速10.0kmで走り、トータル4.5km走った。
当初時速9.8km以上で5分間以上走ろうとしたが、息が上がり無理だった。
運動後、疲れも残り、足にだるさが残り、足の筋力がまだ時速9.8kmに追いついていないようだ。
コメント

昨日記141113木(衣料品処分 ジム筋トレ)

2014年11月14日 13時29分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =15.3  8.7  40  28  
昨日は、冷え込んだ。
完全な冬モードには早いが、初冬モードにしないと、寒くてストレスを感じる。
このころから年末近くまでは、寒暖を繰り返しながら、寒くなるので、その間は、重ね着をしたり羽織っていたものを脱いだりと、こまめな衣服の調整をしながらも、体もある程度寒さに慣れ、12月も中ごろになると、厳冬期に近い服装になる。
寝具も同様だ。
我が家では、無暖房のため12月下旬には、家の中で冬山用のダウンを着込み、居間には断熱シートを敷くので、寒さを感じることなく、過ごすことができる。
ただ、冬山用の羽毛服や重ね着をする断熱パンツが、パンパンに膨らむので、少し動きにくいという欠点があるが、想像するよりはるかに快適に過ごしている。

昨日はごみの日で、紙製品や衣料品も廃棄できる日なので、使わなくなったほころびのある衣料品や2-30年以上前の衣料品を整理して捨てた。
未だ、古い衣料品は多くあるが整理が必要だが、リサイクルに出して値の付きそうなブランドものや、オシャレなものはなく、ゴミでしかない。

昼前に住之江区で再開発計画に関連して、文化創造プロジェクトを推進している千島財団が面白そうなので調べた。
なんとなく2-30年前に阿倍野地区再開発の前の準備期間の何年間か、芸術村のような形のものを作って、若い芸術家の卵たちが、活動していたこともあったし、最近では中津のガード下もそうである後、そうしたもの理念は似た感じはあるが、活動はもっと本格的なもののように見えて、有力作家を招待しての大規模なイベントを開催している。

夕方からジムに行き筋トレを行った。
11月7日の筋トレより一部若干落ちたものもあるが、概ね前回同様の記録で、、そろそろ負荷を上げてもよさそうだ、と思うようになった。
筋トレの終わりに、7-8分間時速12kmで短時間(30秒)程度のインタバルを行った。

帰宅後、副食作りの準備を始めたが、丼鉢を7個体制にすることで、より簡単に準備しやすいと思えたので、天満橋の百均に丼鉢を買いに出かけた。
丼鉢を買ってから、いつもの店で読書をしながらお茶を飲んでいると、隣に3-40歳代の中間管理職ふうのサラリーマンらしい男性が座った。
しばらく何も注文せず、そわそわしてカウンターをたまに見たり、スマホをいじくったりしていた。
ざわついた気配なので、本を読んでいても気になった。
その男の話、時間があれば、別に書きたい。
コメント

昨日記141112水(経済状況と活動制限 みんぱくXナレッジキャピタル)<追>

2014年11月13日 12時56分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =19.2  13.5  68  46  
昨日は、前日のランニング疲れ(疲労感はなかったが)か、なんとなく新聞やTVを見て過ごし、そのまま昼食後も、惰性でなんとなく過ごした。
ただ、予定には正倉院展と書いてある。
昨日は正倉院展の最終日で、無料日でもあったのだ。
以前から、昨日は朝から正倉院展に出かけて、奈良のギャラリーや「はならアート」を観に行こうと決めていた。

ところが先週頃から、現在の私の置かれた経済環境を考えるようになった。
預金通帳を見る限り、昨年の今頃より早いペースで出費が重なっている。
しかも、この先運転免許の更新や、風呂代その他まとまった出費が、予想される。
その上、京都、奈良、神戸で催されるイベントで是非行きたいものがいくつもある。
しかし、それを実現すれば、その先アルバイト先が見つからなければ、破産するしかない。
少なくとも、現在の年金で、最低限生活するだけの金額、月10万円余りの収入はある。
従って、結論は単純である。
すべての費用の掛かるイベントと、交通費のかかるところには行かないことだ。
私が、経済的に許容できる範囲で有用だと思うイベントだけに絞り込むしかないのだ。
具体的には、FB等で魅力的などうしても行きたくなるイベントをたくさん見るが、交通費がかかる場所のイベントや、入場料が必要なイベントは、定期的なものを除き、原則行かないことにした。

話を戻すが、昨日は、朝から上記のようなことを私の頭の中で繰り返し考えていた。
心の片隅では、奈良に行き正倉院展に行ったり、「はならアート」を見たいという強い欲望が渦巻き、もんもんとしていて、それで煮え切らない日中の行動となっていたのは間違いなく、TVを見たり新聞を見たりしながら、行きたい気持ちを抑えていた。
少なくとも、数日前まで正倉院展の最終日は、特別無料になっているの、で行く予定を立てていたのだが、自分の客観的経済状況に危機感を抱き、予定を覆したので、心の納まりがつきにくかったのだ。

夕方になって、予約していた、グランフロント大阪で行われる、みんぱくの連続講座「みんぱく×ナレッジキャピタル ―イメージの力をさぐる―」に出かけた。
7回の連続講座だが、今回を含め6回休まずに出席している。
すべての講座を聞けば、私が趣味としている美術鑑賞(特に現代美術)に関係する「イメージ」に関して、文化人類学からのアプローチが何か見えると思った。
しかし今のところ見えてこないが、国立民族学博物館(みんぱく)と国立新美術館がコラボして行った企画の意味がなんとなく見えてきたが、もう一つ新美術館の視点が見えない。
みんぱく収蔵品を現代美術らしく見せることに関しても、現代美術らしく見えるという感じのみである。

現代美術には初めから作者の制作意図が込められていて、それなりの創作活動が行われているが、みんぱく収蔵品の大半は消費されるものであったり、何かの用や儀式や威信材として供されるものであり、大きな差がある。
芸術とは、表現なのであり、その先には個人やグループの表現したいものがある。
それに対し、民芸雑貨や祭祀用具は、用途がまず優先される。
その関係は、芸術作品とデザインの関係も同じである。
デザインは、クライアントの意志や用途・機能が最優先されるし、クライアントがあってのデザインである。
芸術作品は、本人の意思や感性が最優先され、観客を意識していないことが多く、自分の表現に合う観客・聴衆を呼ぶのである。

しかし、そうした民芸雑貨や祭祀用具やデザインの中に、芸術作品と同じ、美術的要素が含まれているのも事実である。
日本の大正昭和時代の民芸運動で、民芸的要素を美として再評価した精神とも共通する。

歴史的に見て、芸術が独立して強調され出したのは、個人の権利の拡張と比例するのではないかと考えている。
個人に自由がない状態では、自己表現もそもそも存在しない。
西欧でルネサンス以降に芸術が発展し始めたのも、個人の自由と関係あるのかもしれない。
今回の一連のセミナーで、改めてイメージや民芸品について考えられさせられたし、今後もこうしたことをヒントにしながら、イメージに関連したことを考えていきたい。
コメント

昨日記141111火(ブログ書き ジム・ランニング )

2014年11月12日 12時10分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴・曇  最高/最低℃ 平均/最低% =20.3  10.5  67  46
昨日は、朝ブログを書き、昼にジムに行き、夕方いつもの店で読書し、夕食後6食分の副食作りの一部を終えた。

この頃、日課のブログ書き=昨日記が長くなっている。
昨日の昨日記も2000字近くあり、書き始めから投稿するまで2時間余りかかっている。
大体文章を書くのに、調べたりもすることが多く、1時間800字程度かかる。
多分、事実を記載するだけなら千字以上かけるだろう。
かなり時間を浪費していると感じているが、ある意味書くことで考えをまとめたり、調べて正確な事実を把握したりしているので、無駄ではなく、必要なのかもしれない。
必要なものであれば、もっとまとめるとか、しっかりした形で出したいとも思うが、中途半端な感じである。

3時にジムに行ったが、昨年たまに3時台に行った記録がある。
昨年行ったときは2時3時台が混んでいることが分かり、ジム行を夕方にシフトした。
昨日は、3時過ぎに行ったが空いていた。
時速9.8kmでのランニングを行った。
先々週まではやっと時速9.6kmでのトレーニングになれたところで、何とか20分間近く休みなしで走れるようになったが、時速9.8kmでのトレーニングは2回目で、未だ体の筋肉や持久力はついていないので、無理があるのは承知の上だ。
前回は時速9.8mで4分から7分間走り、その間時速4.6kmで2分間歩くのが限界だった。
(4-2-4-2-5-2-6-1.5-3.5)
昨日はさらに厳しく、30分間で時速9.8kmと6.5kmをそれぞれ交互に、6分―2分―7分―2分―6分―2分―5分のサイクルで約4.5km走った。
運動はかなりきつく感じ、無理をして走ったので、運動後足の筋肉に疲労感を感じたし、寝るまで全身に軽い疲労感があったが、今朝は疲労感も筋肉疲労も感じないし、すっきりした状態である。
これからも、時速9.8kmのトレーニングを進め、時速9.8kmで30分間無休で走れるようにしたい。

ジムから帰宅後、軽く休みを取りお茶を飲みに出かけた。
考古学の本を読み進めたが面白い。(シンポジウムでの報告内容を編集加筆したもの)
コメント

昨日記141110月(4分間体操その後 ブログ下書き修正 タニハ フレッツ光隼の料金問題)

2014年11月11日 12時32分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =20.6   11.9  63  43
昨日は、朝から副食の6個の温野菜作りに追われた。
とにかくこのうちの1つが朝食になるので途中でやめると、準備をし直したりして手間がかかるので、朝食が遅くなることを承知で6個の温野菜セットを仕上げた。

遅い朝食後、久しぶりに4分間体操を実践したが、しんどくて毎日続けられないどころか、文字通り3日坊主で終わっている。
その間やり方を考えた。
20秒間激しい運動をして、10秒間休む30秒で1サイクルを8回繰り返して、4分間行うと効果が出るという。
その効果とは、持久力や筋力のUP ということで、心臓の筋肉を鍛えるということらしい。
しかも毎日やらなくても、1週間で3回以上やればよいという。
ところが、腕立て伏せで試したが、とても20秒の繰り返しで8セットもできない
そこで、自分流にアレンジして、各サイクル違う運動を入れることにした。
今考えているのは、腕立て伏せ―腹筋―スクワット―木刀降り―シャドウボクシング・ジャブ・ワンツウ―
腕立て伏せ―腹筋―スクワットといったメニューで考えているが腕立てが2セットできるか分からない。
とにかくやり終えた後も、筋肉に疲労感が残るのが、これは普段使っていないことで起きるのか分からないので、とりあえず、運動がきつければ運動回数やスピードを見直し、て、改良を加え、週に数回は出来るようにしたい。

昼前から昨日記を書き始めたが、番茶を今年初めて入れて試行錯誤したので、そのことを書いていたら、お茶に関する思い出がいろいろ浮かんで長くなったので、切り離し昨日記をまとめた。
遅い昼食を終えて再び、書き残したお茶に関する思い出の断片の文章を見ると、句読点や繰り返し、その他数多くの問題が見つかり修正した。
私が書いた無校正の文は、いかに間違いだらけの乱文か再確認させられた。

こうして文章を訂正し、追加して投稿したころには、日も暮れていた。
大相撲を見てから、お茶を飲みに出かけた。

そこで本を読んでいて、古代史考古学の講演会で、有力な先生が、丹後丹波は非常に面白いという話をされていたが、本を読んでその意味が分かった。
弥生から、古墳時代へ移行する時期、即ち卑弥呼の時代前後に、この地域が激変するのだ。
それ以外に、今では辺境の地に思われる丹後丹波のタニハと呼ばれる地域に巨大前方後円墳が存在する。
更に、それ以前の弥生時代は、出雲と北陸が、共通した日本海文化を持っているのに、タニハ(丹後・丹波)だけが、その間を分断する形で独自の文化を持っていた。
この辺りに、強力な王権が存在していたようで、この勢力が大和政権と深く結びついていた可能性も考えられる。
古事記等の伝承を見ても、大和と出雲とは、何らかの形で対立していたことを感じさせる話だが、タニハに関しては、そのような話はない。
鉄の流通に関しても興味ある地域だ。
今後更に考古学上の詳細が明らかになれば、弥生後期から古墳時代移行期へのタニハの役割が見えてくるのかもしれない。
伝承上の人物タヂマモリ(菓子の神様)<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%82%E3%83%9E%E3%83%A2%E3%83%AA>はこうしたことと何か関係があるのだろうか。(考古学と神話伝承を混同してはいけないが、何かの傾向のサインやシンボルともみられるし、ロマンを誘う)

寝る前に郵便物をチェックすると、NTTファイナンス関係の郵便物があり、開くとネットで請求書を見るための、IDとPWを記載してあった。
早速登録手続きをして、NTTYファイナンスの請求書をネットで調べた。
こうした手続きや、請求書明細のファイルにたどり着く作業のためかなり時間がかかった。
フレッツ光の場合、NTTとOCNが絡んでいて複雑でわかりにくい。
eo光の場合は、支払いはケイオプティコムだけでよく、わかりやすかった。

請求料金を調べると、契約時に念押しした電話とTVとネットの料金が、イオ光の時より1500円近く高くなっているではないか。
フレッツ光隼がネットの中にプロバイダ料金が含まれていなくて、ネットと電話とTVセットの料金が総合すると、イオ光より1500円以上高くなるのであれば、イオ光でも全く問題なかったので、初めから通信会社を変えなかった。
騙されたかどうかわからないが、詳細を問い合わせてみたい。

そんなことで、昨日は寝るのが1時を過ぎた。
コメント

番茶から思い出したお茶とのかかわり。

2014年11月10日 17時10分20秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
母親が元気だったころは、我が家のお茶は、1-2リットル程度の大きなやかんに緑茶か、番茶の葉を適当に入れ、熱湯を注ぐという適当なもので、それを冷えてもそのまま1日中置いておいて飲んでいた。
従って、おいしいお茶を淹れる習慣はなかった。
ある時、家に来た近くに住む会社の後輩の友達が、家のやかんを見て驚いたらしく、その後ローハイド(昔大人気だったTVの西部劇)のやかんといって、よく冷かしていた。

私が社会人になって、お茶をおいしく淹れるという習慣が分かって、私が急須や茶葉を買い、家でたまに暖かいお茶を飲むようになったが、父母は変わらず、やかんのお茶を飲んでいた。
よく考えると、親父は、元は漁師だが叔父さんの口利きで、梅田の百貨店の守衛になり、その後御堂筋にある大手銀行の守衛をしていて、窓口でそれなりのお客さんとも馴染みになり言葉を交わしたりするので、接待のことは心得ていたはずだ。
経済的にも、勤め先が銀行なので、守衛ではあっても経済的余裕はなくとも、貧しくもなかったはずで、急須でお茶を飲むということは出来たはずだし、それ以前に、急須で飲むことにお金がかかる話でもない。
それでも、やかんで沸かして、そこに茶葉を入れてお茶を飲むという、田舎式のお茶の飲み方の習慣を捨てなかったのは、どうしてだろうと、疑問に思う。

そういえば、今は亡き9歳年上の兄も、大企業に入って結婚するまで家から通っていたが、お茶に関しての苦情を聞いたことがなかった。
彼は、一時期会社のクラブで日本画や謡の教室に参加していたようで(多分上司の指示で社交上の必要性から・船場近辺でのおつきあい?そういえば私が最初に勤めた会社<工場>の専務も地の人で、謡をしていて、社員に一緒にやらんかといっていた。)、帰宅後短冊や色紙に描いたり、絹を枠に張り膠を塗って、胡粉を塗り、山水や鯉なんかを描いたりしていた。(応挙の流れをくむといっていたので、四条派系統?)
描くときは、台所にこもって絵を描くが、そんなときもお茶に関しての苦情は聞いたことがなかった。
日本の趣味なので、その教室では、いいお茶も出ていたと思うのだが。

私が、成長し社会人になって、最初の会社では、技術部で設計をしていたが、技術の部屋には熱湯サーバが置かれ乗せて熱湯を注いで茶葉を浸し、少し待ってから、茶こしを引き上げ、お湯を切って所定の置場(空の湯呑)に置いてから、自分の湯呑のお茶を飲んだ。
茶こしの茶は、出がらしになるまで使うことが原則で、お茶の葉が広がってお茶の出が薄くなると捨てて新しい葉を入れることになっていて、みんなそれを守っていた。
そうしたときに、先輩たちから茶こしを使った時のおいしいお茶の入れ方のコツを聞いたりした。
このようなことを通して、おいしいお茶の飲み方に多少興味を持った。

それ以前に、お茶に関係したことで言うと、20歳になった時に教育委員会が主導して、成人式の時に出席者を集めて青年団体を作り毎月親睦活動を行ったが、その時の行事の一つで、茶の湯を体験したこともあったが、詳しいことはすべて忘れた。
また、何時のころか(多分社員旅行?)忘れたが、煎茶道も体験したことがあるが忘れた。(宇治の黄檗山周辺?)
その後、興味を持って、丁度日本再発見ブームの時期があった頃だと思うが、岡倉天心の「お茶の本」も読んで感動した覚えはあるが、今は中身を覚えていない。(多分九鬼周造の『「いき」の構造』やルース・ベネディクトの「菊と刀」を読んでいたころ?)
中年になって、サラリーマン当時、社交常識として接待を受けたり、する場合にも茶の湯関連の知識が必要ということで、NHKの教育TV等で見たり、テキストを購入して読んだこともあった。(上からも言われた。)

このように、一応過去にお茶に関する知識を持ったことはあるが、近年一度お点前を受ける機会があったが、過去に読んだことをすべて忘れ、3回ともわざとずるずる音を立ててお茶を飲んだ。
後で間違っていたように思い調べると、大間違いだった。
お茶の飲み方や、作法は日ごろから習熟していないとだめだということが、よく分かった。

私が親しかった知人の物故作家は、当時貧しいながらも阿倍野近くの、お茶の教室に通っていた。
彼はよく私に、一度安物のお茶の道具を揃えたら、抹茶代は大したことがないし、家でお茶をたてるだけで落ち着き静かな気分が味わえると、盛んに、茶道を私に薦めたのを思い出す。

コーヒーに関しては、仕事で抽出方法をいろいろ研究したが、お茶の場合は、抽出方法にたどり着くまで作法や道具も含まれて、更に抹茶と煎茶でも文化体系が違うが、奥が深く文化的要素も絡むので面白そうだ。
自己流でネットや本やTVで機会があるごとに、折に触れ少しずつ調べてその精神を吸収し、既存の流派や作法や道具にこだわらず、素朴で簡素なお茶をたしなむのもよいと思っている。
コメント

昨日記141109日(番茶試飲 退屈な雨の日 風邪の始り??と免疫力)

2014年11月10日 13時14分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
雨  最高/最低℃ 平均/最低% =15.4  13.3  87  62
昨日は、ほぼ終日雨のうっとうしい日であった。
朝は、なんとなく退屈なので、先日購入した番茶の試飲をした。
袋に書いてあるやり方に沿って、お茶を淹れた。
うまかった。
今度は、煎茶の安いセットを購入して、煎茶も楽しんでみたい。
この後、お茶に関連した思い出をいろいろ振り返って書いていると長くなったので、別ブログにする。

午後になっても、雨は降り止まず、晴れていても室内の明かりを消せば、字も読みにくくなるほど薄暗くなる長屋の室内は、日没直後に近い状態で節約のため、自分のいるところだけの明かりを灯していて、周囲は暗く、しかもTV等で見たいものはなく、ますます陰気で退屈な日曜日になった。
一昨日から、何度かくしゃみも出て、肌寒いので、厚手のネルのスポーツシャツにウインブレーカーを羽織ってから、肌寒さは無くなった。
冬になると、無暖房の我が家は、室温が10度を切り、真冬では日中でも6-9度程度でダウンジャケットを着て快適に(寒さはほとんど感じない、露出部分のみ冷たさを感じるときもある。)過ごすが、今はまだダウンジャケットを着こむと暑い。


昨日は、多少のどにわずかな痰が絡でいたが、鼻かぜから喉に来るのはいつもの軽い風邪の流れのパターンで、私の場合こうした症状に、腰痛の兆しを伴うことが多い。
一昨日や、昨日も腰に少し違和感を感じたので、かぜの軽いものに感染したのかも知れない。

体温が下がると、免疫力が落ちるので、気温が下がると風邪にかかりやすくなる。
とにかく、風邪等の感染症の軽い症状が見られたら、それに対抗するには免疫力を上げるしかない。(消化器系の場合や、ある程度熱や痛みが出れば、専門医に診てもらう必要がある。)
私の場合、免疫力を上げるために、下記のような、いくつかのメニューを実践している。
軽い運動をして血行をよくし体温を上げる、チョコレート又はココア・みかん・ヨーグルトを食べる、しっかりと睡眠や休息をとる、ビタミン類(特にC・B)やタンパク質を摂る、といったことを実践している。(これらは、すべてマスコミでも取り上げられ、科学的根拠がはっきりしている。)

午後も、ほとんどTVを見たり新聞を読んだりしていたが、必要に迫られ、雨の中近所のスーパーに数点の食材の買い出しに出て、その後7月のレシートの一部を会計ソフトに記帳したりしたが、それ以外はなんとなく夕食までゴロゴロと過ごした一日であった。
夕食後、6食分の副食の極一部を寝る前までに作り、今朝残りを時間かけて作った。
コメント

昨日記141108土(西天満 大阪城公園の夜の催し物)

2014年11月09日 12時53分02秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ 平均/最低% =18.2  10.3  59  36
昨日は、朝から副食の温野菜セット6食分をゼロから作り、時間を取られた。
午後からは、週末のルーチンである西天満のギャラリー廻りに自転車で出かけた。
途中、大阪城公園を通る時に、大規模な通路規制が行われ、公園の大通りのセンターあたりに、車線の柵を設け、通行規制しランナーの走る場所を確保していた。
何か、マラソンのようなものが始まるらしいと思いながら、西天満に向かった。
大阪マラソンは、すでに終了しているし、それ以外の大きなマラソンが、開かれることは聞いていない。

西天満では、ほとんどのギャラリーが、2週間の会期で前回観たものか休廊中で、結局展覧会を観たのは1軒だけで、がっかりした。
事前調査していなかった私の落ち度だ。
奈良や、京都や神戸の、美術館、博物館、ギャラリーに観に行きたい催し物は、たくさんあるが、ここは我慢のしどころである。
最優先は、我が家の財務内容のバランス改善で、とにかく収支バランスの均衡を死守しなければならず、分相応の行動をするか、収入源確保しかない。
収入減が確保できなければ、今ある手持ちのもので工夫して分相応の生活をなすべきだ。
ということで、現在すべての活動は、経済力に合わせ縮小中で、できる限り郊外には出かけない。

西天満の帰りに、天満橋のいつもの店に寄った。
昨日は、調子が良ければ速読をするのだが、多少昨日のジムの疲労があるのか(疲労感の自覚は無いのだが)速読できず、読んでいてもすんなりと頭に入らなかった。

帰りは、夜になっていた。
再び大阪城公園に近づくと、そこには体に多くのイルミネーションを付けて、スケスケのバレー用のスカートをはいた多くの若い女性や、仮装した男女や、中には乳母車を押した女性が、4-5m幅の列をなして歩いたり、ゆっくりと駆け足をしていて、その列は太陽の広場まで続いていた。
外堀のメインロードを進んで、太陽の広場に行くと、そこから次々と同じような人たちが湧きでていて、ランニングコースに入り、体にイルミネーションをつけて、ワイワイガヤガヤ奇声を上げたり踊ったりしながら走ったり歩いたりしていた。
男性より、若い女性の方が多かった。
先に、大阪城公園の入り口でこの催しの警備員に聞いたところ、エレクトリックランという催しで、主催者は、警備員も知らないといっていた。
多分、5千人以上からひょっとすると、万単位の人が参加しているのではないかと思えた。

帰宅後ネットで調べて、世界中あちらこちらで行われている催し物で、大阪だけでもいくつか行われているようだ。
コンビニでチケット販売し、参加者にはTシャツ、ゼッケン、光るリストバンド・メガネが配られて、ラン終了後は祝完走パーティーが開かれ、Djプレイに合わせ盛り上がるらしい。
ランの様子を見ていると、原色の被り物を付けた女性も多かった。
ある意味、屋外ディスコと考えた方が分かりやすい。
なんとなく、危険ドラッグの世界?とこういう催しと底の部分で、共通する要素を感じる。
だが、明らかに、この催しは最先端の現代文明の一コマでもあり、老人にはついていけないが、若者には日常的なことなのだろう。

私は、若いころも今と同様まじめ人間であったが、好奇心旺盛で、職場の同僚たちと、たまにゴーゴー(今の人には分からないだろう)やディスコにも行ったりしていたことがあり、スキー場でもディスコがあったりして踊ったりしていたので、今でも楽しむことはできると思っている。

参考 エレクトリックラン http://electricruninfo.jp/
コメント

昨日記141107金(貧困 光ボックス導入失敗 ジム・筋トレ・ランニング)

2014年11月08日 13時19分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =20.6  12.3  55  36
昨日は朝から昨日記を作成するのに時間を取られた。
予防接種を受けるのに、貧困が理由で無償になっているが、私自身ここでも繰り返し自分が貧乏であることを書いてきた。
貧乏であることを自慢しているわけでないし、以前から貧乏を表明することで、貧乏な人を見下したり避ける人たちが多いこともよく知っていて、そういうことを言わない方がいいと忠告する人もいた。
しかし、貧困に付きまとう様々な思いは、貧困を体験しないと分からないし、同時に貧困で何が悪い、という気持ち自分にはある。
なりたくて貧困になったわけでないし、誰だって人生で転落する可能性を持っていると思う。
幸い、私は貧困層ではあるが、年金のおかげで食べることだけは心配ないし、工夫して生活の質も保っていて恵まれている。

逆に、貧困になったことで、様々なことで差別したり見下したりする、人の痛みが分からない人たちを見分けることが出来ると思っている。
普段非常にいいことを言っている人達や紳士淑女のような人でも、本心は差別主義者やエリート意識の塊でであったりする、相手の立場を考えることができない人たちをたくさん見てきた。
一方、貧困層や差別されているからと言って、ある意味わざと汚らしく荒々しくふるまう人たちもいる。
いろんな意味で両極端の人たちは必ずいて、ゼロにはできないというより、少数存在して当たり前と思っておいた方が良いが、いかにその数を教育や啓蒙活動で小さくするかが重要なのだろうし、それが、普通の社会であろう。
ところで、なんで昔はよかったという話を昨日書いたのか振り返ると、心の奥底に、私も昔は少しは余裕があって貧乏でなかったという、差別する見方が見え隠れする。
こうした傾向は、私の場合昔から存在していて、ある意味自分自身を生臭い人間で、いつも意識していないと自慢の多い鼻持ちならぬ人間になりそうな気がしている。
ただ、貧困の話題をいつもわざたらしく頻繁に書くことは、愚痴っぽく聞こえ、ひがみにも見えるので、今後ほどほどにしたいと思う。

午後は、NTTから送られてきた光ボックスなる機器の使用後のアンケートを求められていたが、これは、私が希望した話でもなく昨日まで数か月放置していた。
再三メールが届いていたので、テストした。
しかし2時間程いろいろ試したが、TV受信機との相性が悪いのか、設定がうまくいかずあきらめた。
取説を見ても、そのリモコンを使って出来ることをいろいろ書いてあるが、今こうしてPCでネットもTVも自在に見ていて、ゲームは全くしないので、わざわざリモコンを使うメリットは感じられない。
結局、企業のアンケートのために時間を無駄に使わされた。

夕方、食材を買い集めた。
夜になって、ジムに行った。
相変わらず、気は進まなかったし、なんとなく足に疲労を感じた。
11月6日のランニングが、影響しているようだ。
昨日は、初めに筋トレを行ったが、まずまず順調にウエイトトレーニングをこなし、記録的にはUPしている種目もあった。(例今まで14回動作できたものが15回まで伸びた。)
筋トレ後、ランニンングを行った。
ランニング前から、なんとなく足の違和感(疲労)を感じていたが、時速9.8kmで走り始めそれは、息上がりの形ですぐに出てきた。
同時に足がだるくなった。
そのため8分間連続して走る予定を、4分間で終えて2分間時速6.5kmで歩くことにした。
同じセットを、もう一度繰り返しその後、走る時間を、5分、6分と伸ばした。
結果的に30分間時速9.8kmで走りその間息が上がると時速6.5kmの歩きを2分間の休み入れ、トータル約4.5km近く走った。
11月6日は、無理して時速9.8kmのトレーニングに挑んで、昨日は2回目であった。
今後もこの調子で休みなしで走る時間を増やし、時速9.8kmで20分間以上走れるようになれば、いよいよ時速10kmにチャレンジしたい。
体には、かなり負担がかかっているようだが、トレーニングで思ったより持久力や筋力が伸びていることに驚いている。
少なくとも、夏過ぎたころには、時速9.2kmまで落としてトレーニングしていたのだから、もう少し長い目で見ないと確定できないが、それから比べるとかなりの体力のUPになりそうだ。
コメント

昨日記141106木(インフルエンザ予防接種 私の経済力の変遷)

2014年11月07日 13時18分14秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =22.8  15.3  71  62
昨日は朝から、先週肺炎球菌の予防接種を受けた医院に行った。
インフルエンザの予防接種を受けるためである。
先週受診した際、医師からインフルエンザの予防接種も無料で受けられるので、どうかでということを薦められた。
無論無料なら異存はない。
肺炎球菌の予防接種後、他の予防接種を受ける場合一週間の禁止期間があるとのことだった。
私の場合、住民税が非課税になっているので、大阪市の場合、生活困窮者として予防接種の自己負担額を無料にしているようだ。

今は、貧困層に属する、生活困窮者に近い経済状態であるが、30年前は、サラリーマン生活をして、年収600万円弱もらっていて、株の売買もしていて、4-5千万円は持っていて、リッチとまではいえないが、多少余裕のある生活をしていた。
よく貯めたものだと思うが、今詳細に当時を振り返り、下記に概要をメモしたが、当然のことだったと思った。

私は工業高校卒業後、大阪市北区天神橋商店街近くにある、町工場のある中小企業の技術部に入った。
そうしてサラリーマンになって以来、家に給料の一部を自主的に渡していて、給料の3分の1程度渡す時もあった。
会社は忙しく、残業や休日出勤も多く、給料やボーナスもそれなりにもらっていた。
母親は、それらのほとんどを、郵便局の定額預金にしていた。
今では、信じられないことだが、当時は郵貯の定額預金の利率が良くて、しかも半年複利なので、10年間据え置くと、ほぼ倍以上の金額で払い戻しを受けることが出来た。

その後、その会社に10年務め退職したが、その間会社は技術力で急成長し、中小企業だった環境試験装置の会社が、私が退職後しばらくたってから、大証2部に上場を果たした。(現在東証1部)
そこに勤務していた時代(中小企業時代)に、会社がボーナスを払えなかった時期があり、その時会社の株を、ボーナス分社員に配り、後日会社が買い戻すことにしたことが、何度かあった。
その株は、会社の買戻しを受けず、社員がそのまま持っていても良かったので、私は持ったまま約10年間在職した会社を退職した。
このことも40代になって、それなりの資産になった。(当時未上場)
よく知る先輩は、ボーナスとして支給された時に、会社株を買い増ししても良かったので、一工場労働者でありながら、株上場後に億に近い資産家になったという話を、本人から聞いたことがある。(本人は質素な生活をしていたようだ。)

その後、30歳になった時に、技術兼任の修理工として、町工場もある食品機械の下請け中心の小企業に採用された。
その後設計部門に移り、昇進し30代後半になって、技術の管理職として働くようになり、平日は9時から最終電車頃まで働くのが当たり前となり、工場のカギも渡され、最後に会社のすべての戸締りをして帰ることも多かった。
技術の幹部として、早朝や土・日曜の会社の幹部会議は日常茶飯のことで、サービス部門の設立や研修といったことや、大規模な見本市への対応等で、東京や北海道への1-2週間の出張もよくあった。
自分の空いた時間は技術関係の最新技術を勉強したり、マネージメントを勉強したりした。
こんな形で、週末に同僚・部下達と深夜まで飲み歩く以外、お金を使う時間の余裕はなかった。
とにかく、製品開発から輸入品の評価、改良、技術サービス体制の整備、品質管理、作業工程の見直し、取扱説明書の作成等、技術に関するあらゆることを、技術係で手掛けた。
一応当時は、肩書きは係長ではあるが、前記の通り、技術の人事・予算・開発計画を任され、技術部門を統括していて経営幹部会に出席していた。
逆に製品に重大な問題が発生すると、顧客の責任者・幹部やトップと面会し技術代表としてお詫びもさせられた。

こんな状態で、サラリーマン時代、大きな買い物をするわけでもなく、ファッションに凝るわけでもなく、お金を使う時間も余裕もなかったので、自然に貯まった。

40歳になった年の年末にその会社を辞め、翌年1月シカゴに語学留学で渡米した。
その準備は会社を辞める数か月前から周到に調査準備し、会社の人事異動が決まる前に年度末退社を会社に告げ、その後予定通り留学した。

留学中ちょっと残念なことが起きた。
アメリカに語学留学していた時に、未上場のNTTの一次未公開株を証券会社の担当者が、数口割り当てると、直接アメリカに電話で言ってきた。
帰国して処理しようか迷ったが、結局帰国しなかったので、手持ちの1口だけの処理に終わったことが残念だった。

余談だが、シカゴでの語学留学は、学生ビザを取っていた関係で、当初の3か月の予定を大幅に超え、1年半に及んだ。
その後、メキシコはじめ中南米のほぼすべての国の首都を回り、民芸雑貨を収集して帰国した。
特に、メキシでは、1か月近く語学学校に通い、ペルーにも日系人の知り合いが出来て2週間以上長くいて、コロンビアには、友人宅に2週間近く滞在したし、ベネゼラでは、現地で研究調査していたアメリカ人の元語学学校のルームメイトで当時シカゴ大学大学院生の友人と、1週間近くアマゾン川とオリノコ川の合流地点(ブラジル・ペルー・ベネゼラの国境)に探検旅行(ガイド付き)に行った。

しかし、こうして貯めこんだお金も、アメリカから帰国後、起業して、喫茶店、中南米の民芸雑貨店、ギャラリーを順次経営して、それぞれの事業に失敗し2000年8月に、金融機関から数百万円の個人債務を抱え店じまいした。
そして2008年12月に、司法書士の勧めで進めていた自己破産手続が完了し、自己破産が確定した。

インフルエンザの無料接種の話から、筆が走り過ぎ、私が若い時から貧困でなく、経済的に恵まれたときもあったことを自慢げに長々書いてしまったが、これも事実の一つなので、私の自分史の一コマの概要として書き留めておく必要があるので、読者の方には迷惑だったであろうがお許し願いたい。

だが、いくら昔はよかったといっても現状は変わらないし、現在は、清貧の生活を送るといえばかっこいいが、お金がなくて何も出来ず、家にウジウジとこもりがちな生活をしているというのが実態だ。
だからこそ、もっと違う視点でこれからどう生きるかが問題なので、どのようにして工夫しながら積極的に自分を活かせる活動をすればよいか日々検討したい。

昨日は、午後から副食作りに時間を取られ、それ以外の時間、以前からたまっているレシートの記帳を行った。
レシートの記帳はまだ7・8月分が大量にあるので、少しずつ処理していきたい。
コメント

昨日記141105水(職安 ジム:ランニング時速9.8km27分)

2014年11月06日 13時34分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =20.6 10.8  63  48
昨日は、午前中昨日記を書いたが、一昨日の行動自体は凡庸な1日であったが、情報機関に関連する話題(プリズムや友人達)を書いたり、初めての電子図書の購入騒動や、職安で見つけた怪しい社団法人のことを書いて、随分長い(3千字近い)話題を書いてしまい、時間を取られた。
長い文章や込み入ったことをブログに書くと必ず、閲覧数は激減する。
誰でも、長い文章を読むのは、時間も必要だし、更に下手な文章は読むのに忍耐力も必要で分かりにくいので、嫌になる。
その意味で、昨日の昨日記は、読者に迷惑を書けたかもしれないが、筆者とすれば、たとえ下手な文であろうとも、実際に起きた事実や感想を文字で詳細を記録して残しておきたいという願望があるので、お許し願いたい。

午後になってから、職安に出かけた。
職安では、最新の情報を検索し、その中にやはり例の社団法人の怪しい求人票があったので、プリントアウトして、相談員に怪しい求人票への面接申し込みに行った。
すると、相談員はこの団体は要注意であるといい、その根拠を教えてくれた。
やはり、昨夜私が疑っていたことが、妄想ではなく事実だったようだ。
結局、それ以外めぼしい求職先はなかった。
相談員の話では、この歳では、コネがなければ定年制の関係もあって、定年制なしと記載してあっても実質上60歳から65歳以下の、より若い人を対象にしているという。
70前後では、清掃か警備の仕事しかないという。
後は、自分の人脈を辿って、コネで探すしかないという。
いくら元気であっても、普段から求人側と接触していなければ、求職者の健康状態は外見だけでは分からないので、定年制なしと書いてあっても、実質的には60過ぎの高齢者を避けるという。
このことは、以前から分かっていたが、改めて実態を再確認させられた。
結局怪しい社団法人の実態の一端が、明確になった以外得るものなく職安を後にし、天満橋の店でお茶を飲んで帰った。

帰宅途中で、スーパーに寄り、予めチェックしておいた必要な食材を購入して帰った。
帰宅後すぐに、ジムにでかけた。
入場中止時間までに何とか間に合った。
今回、初めて時速9.8kmでのトレーニングに挑んだ。
以前は9.6kmだったが、スピードが時速換算で200m上がるだけで、呼吸がすぐに上がることを何度も経験したので、今回も3-4分程度で息が上がることを予想していた。
しかし、走ってみると意外に長い時間走れた。
結局27分間(スポーツセンターの閉館時間にかかってしまったため、30分の予定が27分になった。)走り、途中時速6.5kmの歩きで2分間を2-3回入れて、トータル4.km余り走った。
その後も、快調で体の疲労や筋肉痛もなかった。
コメント

昨日記141104火(プリズム 職安 電子ブック 求人票の中身)

2014年11月05日 12時11分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ 平均/最低% =19.1  9.8  58  40
昨日は、午前中から副食の5食分の温野菜製造(トッピング)に2時間余りかかった。
5-10種類近くの野菜、を洗ったり、不要部分を切り取ったり、計量して切り分けたりするのに、結構時間がかかる。
例えば、カボチャは皮が固く、切るのに力が必要だし、種もとらなくてはならない。

副食製造が一段落したので、ネットを見たり記事に関していると昼を過ぎてしまった。
始めFBを見ていたのだが、先日ブログに情報機関関連のこと(NSA)を少し載せたら、その関係者が載っているFBのカスタマリストの過去のコンテンツ(中身=記事)がすべて消えてしまった。
以前から同様のこと繰り返し経験していた。
そのFBのカスタマファイルには以前は5人ぐらい掲載していたが、それ以降、ほとんどの友人を他のカスタマリストに移したので、記事がすべて消える被害は最小限に抑えられた。

昨日、ビックリしたのは、そのFBの空になったカスタマリストに、関係者の最新投稿記事が再び載り始めたことだ。
このブログも監視されていて、情報機関に都合の悪いことを書くたびに、FBを使ってシグナルを送っているように感じている。(過去同様のことを何度も経験している。)
因みにこの散歩者のブログの検索で、情報機関で検索すると、過去にこのブログに書いた、「情報機関」をキーワードとして、文中にその単語がかかれているブログがすべて表示される。
その中の、いくつかのブログには、私が直接体験し、今も起きていることを書いていて、友人であり情報機関関係者でもあると推測している人たちとの過去のいきさつも書いている。(彼らは、今も私の親しい友人ではある。しかし、同時に同盟国ではあるが、状況証拠や直接証言から、<実際にある人物からは、過去にCIA要員だったと聞いた。>彼らの国の機関の指示を受けた人たちと推測していて、私が情報収集目的に利用されないよう注意しています。 その情報機関は、今は軍事政治のみならず、企業活動(産業スパイ)の情報収集にも力を入れていると報道されていました。<こういうことを書くと妄想と思われるので書きたくないのだが。事実なので。>)

じつは、昨日FBの友達の記事に関するコメントのやり取りに、私もコメントし、NSAのプリズムのことに、一言触れた。
参考
プリズム
NSA:<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E5%B1%80>
この件や、今回改め何度も蒸し返した形でここに書いている件で、また反応があるかどうかわからない。
だが、断わっておくが、私は別に反米でもないし、反NSAキャンペーンをしているつもりは全くないし、する理由もないし、日米安保も今の国際環境では必要と思うが、利用される可能性があるので、(同盟国とはいえ、TPP交渉でもわかるとおり対立点もあり、利用されると日本の国益と相反することも出てくる。)気を付けたいと思うところだ。

夕方から職安に出かけた。
以前、得体のしれない変な郊外の社団法人が、抽象的な業務内容で、更に応募しそうにない求人条件でよくも求人募集するな、と思っていた法人が、新しく文言を変えて求人していたが、雇用条件は同じである。
気になったのでプリントアウトしておいた。
職安が5時15分で終了したので、近くの天満橋のいつもの店にお茶を飲みに行った。
昨日はどういうわけか、本をしばらく読むと眠気に襲われた。
いつもは、秘かに持ち込んだ飴玉をなめると、眠気が解消するが、昨日は効き目がなかったので、早い目に切り上げ帰宅した。

帰宅後、気になっていた電子図書を買うことにした。
NHKの語学講座のテキストだ。
初めてのPCでの電子ブック購入で、様々な認証手続に右往左往し手間取った。
アプリのダウンロードもかなり手間取った。
無論カードによる支払い決済も、慣れていないので、おっかなびっくりで決済した。
いろんな手続きが終了し、ダウンロードも正確にできているのかどうか分からなかった。
どこから電子ブックが読めるようになるのかさえ分からず、一時途方に暮れた。
画面上のファイルをすべて消去すると、スタート画面に見慣れぬアイコンがあり、それが購入書店のアイコンだった。
それをクリックしてからも、本の中身を表示しページをめくるのも試行錯誤をしおどおどしながら操作した。
しばらくするとその操作にも慣れ、自在にテキストを読めるようになった。
非常に便利である。
何よりこれで、本の山を作らなくて済む。

そんなことをしていて、見たいお笑いバラエティー番組、終わりの一部しか見れずに、残念だった。
結局、遅い夕食になってしまった。

夕食後、職安から持ち帰った10社近い求人票を精査すると、定年制で引っかかったり、資格が必要だったり、多分そこまでの私の技量がなかったりして、残ったのは数社だった。
その中で、先に述べた得体の知れない求人票については、求職対象というより、何をしている会社なのか、興味がありURLから調べた。

すると簡単なHPが出てきた。
驚いたことに、適当な団体と思っていたが、中身をよく見ると、政府直結の団体に近い、というより多分自民党筋と経済団体の肝いりの組織ではないかと感じさせる団体であることが分かった。
リンク先には、各官庁のxx省にリンクが張ってあり、代表者は企業団体関連の有名人だ。
当然、この団体を受けてもはねられるだろうが、その業務内容は、官庁の作成したような明るい未来の社会のイメージを描いたステレオタイプの地域創生事業で、具体的に何をするかは定かでない。
中身を探るために、一度ダメもとで、応募して見てもいいかなと思う。
先ず合格することは考えられないが、求人条件では月給換算で5万円にも届かない可能性があるのが問題だ。
同時に、HP上でそれらしき情報をリンクさせて、大きな組織と関係あるように見せかけている詐欺的求人の可能性も捨てきれないので、実際に会って判断するしかない。
それ以前に、まだ履歴書を作っていないので、それが先決だ。
コメント

昨日記141103月(ジム・筋トレ)

2014年11月04日 13時53分48秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ 平均/最低% =18.6  11.3  54  38
昨日は文化の日なので、朝から確か無料で入場できる美術館や博物館があったと思い、ネットで調べた。
散々探したが、確かに一部の美術館博物館の無料日というのがあったが、特別展は無料ではなかった。
しかし正倉院展は、最終日のみ天皇皇后両陛下の傘寿の祝いということで、無料になるそうだが、文化の日ではなかった。
以前に、京都国立近代美術館に行ったときに、関西文化の日ということで無料になっていたことがあった。
そんなつまらぬ調査に午前中時間を費やした。
その後も、出費を抑制するよう自分に言い聞かせているので、出かけたいがその気持ちを抑え、ただのところがあれば行ってもいいという考えなので、結局出かけることもなくいつも通り家で過ごした。
天気も悪く、玄関と裏庭の東西にしか開口部のない長屋は、昼間でも電気を付けなければかなり暗い。
別に加齢で白内障が進行しているわけではない。

夕方から6食分用意した温野菜を使いきったので、次の6食分を作るための食材を買い出しに、3軒のスーパーを回った。
輸入品の物価高と、生鮮食料品の悪天候による値上がりとで、買い物に行くときは、いつもひやひやしながら行く。
例えば、とあるスーパーで安かった肉が、ある日から全くなくなっていたりする。
同じ肉が他のスーパーでは、2割以上割高だったりすると、仕方なく買うが、残りの手持ちのお金が気になる。
もう二度と自己破産はできないという意識が常にあり、万一お金がショートすれば、先ず日々の食料品からカットするしかない。
幸い、今はその心配はないが、経済的余裕はなく、緊急時の備えが必要だ。

夜になって、ジムに行った。
筋トレを中心に行いランニングは、時速10.2kmで3分間走ったが、息が上がりそれ以上走れなかった。
遅い夕食後は6食分の温野菜作りに追われた。
夜中まで温野菜作りをするのは嫌なので、区切りのいいところで作業を中止しして寝た。

コメント

昨日記141102日(朝寝 ジム・ランニング時速9.6km30分休み2回)

2014年11月03日 13時15分47秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ 平均/最低% =21.8  17.3  80  57
昨日は、一昨日朝からボーっとしていたのに、夕方以降問題なく過ごし、夜先頭に行って気分が良くなったのか、ついついPCを開きSNSを丁寧に見て回ったおかげて、寝たのは1時半ごろだった。
そんな関係もあり、目覚ましはOFFにして寝た。
起床したのは、8時半だった。
急いで寝具をしまい、日常生活のペースに戻ろうとした。
しかし、いくら急いでも普段通り生活すれば、朝食は9時半ごろになり、かなりリズムが狂う。
そこでダイエットにもなるので、朝食抜きにすることも考えたが、簡単に朝食を済ませることにし、温野菜を作る代わりに、いくつかの野菜を丼鉢にそのまま入れ(ブロッコリ オクラ アマトウガラシ ニンジン カボチャ・・)特製だしを入れて7分間ほどゆでた。
簡易温野菜以外は、主食のパン、蜂蜜 納豆、チーズに水代わりの牛乳を用意して出来上がりだ。
手早く準備も終わり、9時前には食事することが出来た。

ゆっくり寝たせいか、朝食後はいつも眠くなるが、眠くならずクリアな頭で、新聞を読んだり、TVを見たりネットを見たりしながら、積極的なダラダラ(無目的)をしながら、休日モードを楽しんだ。
昨日記も昼食後の午後になって書いた。

夜になっていやいやながら、ジムに行った。
10/31にジムに行ったときは、1週間近くブランクが出来たので、10/24同様に体を慣らす積りで運動した。
昨日は、その考え方で行くと、体を本格的に鍛えるための運動になる。
ところが、気分は全く乗っていないので、やるぞ!とか、苦しくても頑張るぞ!いう気合が入ってなかった。
それでも、以前書いたように気合が入ってなくても、運動しているうちに、なんとなく乗ってきてそれなりのトレーニングができることを発見したので、昨日もダメもとで、とにかくある程度体を動かすことを目的に行くことにした。

昨日は、ランニングで、予定通り時速9.6kmで走ることにした。
走りだすと、いつも休みたくなるが、あと少しで目標値になり、休めると自分に言い聞かせ、その値に達すると、この調子だとまだ余力があるので苦しくても目標値を上げて走ろうと、再び自分に言い聞かせて走り、それを何度も延長し、結果的に13分走り、時速6.5kmで2分歩き、再び8分間走り2分間歩き、残りの時間走り、トータル30分間インタバル形式に近いランニングをし、結果的に約4.5km走った。

直後はへとへとで、筋トレをすることはできなかったが、帰宅後は、疲労感や足の疲れといったことは感じなかった。
以外と、持久力や筋力がついているのかもしれない。
今後、トレーニングを重ね、20分間時速9.6kmで休みなしで走れるようになれば、それ以降は時速9.8kmでのインタバル形式のランニング30分間に切り替えようと思っている。
時速9.8kmで、30分間走行への挑戦は初めてで、より苦しい運動になるので不安でもあるが、自分の限界への挑戦ということで楽しみでもある。

しかし、連休に行きたいところも多いが、やはり先立つものがなければ、その範囲で生活するしかない。分相応の生活に異存ないが、物価上昇と年金の目減りで分相応の範囲が狭められるのは、どうも納得がいかない。
コメント