散歩者goo 

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番茶から思い出したお茶とのかかわり。

2014年11月10日 17時10分20秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
母親が元気だったころは、我が家のお茶は、1-2リットル程度の大きなやかんに緑茶か、番茶の葉を適当に入れ、熱湯を注ぐという適当なもので、それを冷えてもそのまま1日中置いておいて飲んでいた。
従って、おいしいお茶を淹れる習慣はなかった。
ある時、家に来た近くに住む会社の後輩の友達が、家のやかんを見て驚いたらしく、その後ローハイド(昔大人気だったTVの西部劇)のやかんといって、よく冷かしていた。

私が社会人になって、お茶をおいしく淹れるという習慣が分かって、私が急須や茶葉を買い、家でたまに暖かいお茶を飲むようになったが、父母は変わらず、やかんのお茶を飲んでいた。
よく考えると、親父は、元は漁師だが叔父さんの口利きで、梅田の百貨店の守衛になり、その後御堂筋にある大手銀行の守衛をしていて、窓口でそれなりのお客さんとも馴染みになり言葉を交わしたりするので、接待のことは心得ていたはずだ。
経済的にも、勤め先が銀行なので、守衛ではあっても経済的余裕はなくとも、貧しくもなかったはずで、急須でお茶を飲むということは出来たはずだし、それ以前に、急須で飲むことにお金がかかる話でもない。
それでも、やかんで沸かして、そこに茶葉を入れてお茶を飲むという、田舎式のお茶の飲み方の習慣を捨てなかったのは、どうしてだろうと、疑問に思う。

そういえば、今は亡き9歳年上の兄も、大企業に入って結婚するまで家から通っていたが、お茶に関しての苦情を聞いたことがなかった。
彼は、一時期会社のクラブで日本画や謡の教室に参加していたようで(多分上司の指示で社交上の必要性から・船場近辺でのおつきあい?そういえば私が最初に勤めた会社<工場>の専務も地の人で、謡をしていて、社員に一緒にやらんかといっていた。)、帰宅後短冊や色紙に描いたり、絹を枠に張り膠を塗って、胡粉を塗り、山水や鯉なんかを描いたりしていた。(応挙の流れをくむといっていたので、四条派系統?)
描くときは、台所にこもって絵を描くが、そんなときもお茶に関しての苦情は聞いたことがなかった。
日本の趣味なので、その教室では、いいお茶も出ていたと思うのだが。

私が、成長し社会人になって、最初の会社では、技術部で設計をしていたが、技術の部屋には熱湯サーバが置かれ乗せて熱湯を注いで茶葉を浸し、少し待ってから、茶こしを引き上げ、お湯を切って所定の置場(空の湯呑)に置いてから、自分の湯呑のお茶を飲んだ。
茶こしの茶は、出がらしになるまで使うことが原則で、お茶の葉が広がってお茶の出が薄くなると捨てて新しい葉を入れることになっていて、みんなそれを守っていた。
そうしたときに、先輩たちから茶こしを使った時のおいしいお茶の入れ方のコツを聞いたりした。
このようなことを通して、おいしいお茶の飲み方に多少興味を持った。

それ以前に、お茶に関係したことで言うと、20歳になった時に教育委員会が主導して、成人式の時に出席者を集めて青年団体を作り毎月親睦活動を行ったが、その時の行事の一つで、茶の湯を体験したこともあったが、詳しいことはすべて忘れた。
また、何時のころか(多分社員旅行?)忘れたが、煎茶道も体験したことがあるが忘れた。(宇治の黄檗山周辺?)
その後、興味を持って、丁度日本再発見ブームの時期があった頃だと思うが、岡倉天心の「お茶の本」も読んで感動した覚えはあるが、今は中身を覚えていない。(多分九鬼周造の『「いき」の構造』やルース・ベネディクトの「菊と刀」を読んでいたころ?)
中年になって、サラリーマン当時、社交常識として接待を受けたり、する場合にも茶の湯関連の知識が必要ということで、NHKの教育TV等で見たり、テキストを購入して読んだこともあった。(上からも言われた。)

このように、一応過去にお茶に関する知識を持ったことはあるが、近年一度お点前を受ける機会があったが、過去に読んだことをすべて忘れ、3回ともわざとずるずる音を立ててお茶を飲んだ。
後で間違っていたように思い調べると、大間違いだった。
お茶の飲み方や、作法は日ごろから習熟していないとだめだということが、よく分かった。

私が親しかった知人の物故作家は、当時貧しいながらも阿倍野近くの、お茶の教室に通っていた。
彼はよく私に、一度安物のお茶の道具を揃えたら、抹茶代は大したことがないし、家でお茶をたてるだけで落ち着き静かな気分が味わえると、盛んに、茶道を私に薦めたのを思い出す。

コーヒーに関しては、仕事で抽出方法をいろいろ研究したが、お茶の場合は、抽出方法にたどり着くまで作法や道具も含まれて、更に抹茶と煎茶でも文化体系が違うが、奥が深く文化的要素も絡むので面白そうだ。
自己流でネットや本やTVで機会があるごとに、折に触れ少しずつ調べてその精神を吸収し、既存の流派や作法や道具にこだわらず、素朴で簡素なお茶をたしなむのもよいと思っている。
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